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七十二候 蟄中啓戸(ちっちゅうこをはいす)



#今日はなんの日 🍊
#暦の話  

夜はすべての人の為にある
これは嘘だ

詩なんかでたまに見ると
言葉に酔ってんじゃねえと
突っぱねたくなる事すらある

真実、僕らは生まれたときから
夜に拒絶されている

多くの人は孤独に夜を過ごすから
それぞれにとっての夜があってほしい
誰にも平等な夜はきっと美しいはずで
各々に寄り添う夜があればいい

山を歩き、自然と触れ合い
満天の夜空に包まれることは
きっと何か心の空洞を満たす
――そう思っていた時期が自分にもある

でも、真実は違う

実際に夜の山に行けば分かる
林も森も山の影も人を拒絶している
夜の海だって優しくない
遠く闇の奥の方では
人理や世理の一切通用しない混沌が
人が越えてはならない線を越えてくるかを
見張っている
その空洞と鏡が万象の真実と
否が応でも気づく
銀河鉄道の夜でジョバンニ達が遭遇した
「石炭袋」なんかはまさにそれだ

大自然が人を歓迎した事など
実のところ一度もない
自然は人間に立ちはだかってきた

世界は明確に境界線があるのだ

夜が人に寄り添うように思えるのは
人が都市の境界線を引いて
夜を攻略してからだ

環境保護や動物愛護すら
ある種の傲慢さである事がある

人は自然に
愛や永遠を一方的に重ねるだけで
事実上は自然を攻略しようとするし
実際、それが出来てしまう
そしてそれでいい

もともと人は自然に抗わなければ
絶対に絶滅する儚い種族で
大きな摂理の中の小さな細胞
宇宙の中の量子ひとつ分程度の価値だ
生まれた小さい自我を拠り所に個性を唱え
死して存在は星になると信じ永遠を願うが
実際はその対極の闘わねば死という闇だ

だから詩や芸術を通して
存在を超克しようとするのではないのか

暗がりにいることは
人にとってある種の馴れ合いであり
均一を錯覚させる慰めだった

しかし生命として覚醒を選択したときから
脳は光を電気信号とし認識し始め
その瞬間に輪郭と色が生まれ
自分達が裸だった事に人間は気づく
そして自我がある限り
人は独りで産まれ
独りで何処かへ去っていくと知る

そのとき夜は人を突き放したのだ

暗がりを
自分のアイデンティティと錯覚する人間に
もっと深い夜は静かな拒絶と怖れを与え
穏やかな逆説で
光の方へ人を押しやるために

その拒絶こそが
夜の優しさの本質じゃないかと思う


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