これからのこと

なんだかホッとしている自分がいる。

この9日間の休みの間、自分の恋愛について考える時間が多かった。その中で、自分の情緒を如何に安定させ自分が幸福を感じる時間を増やせるのか、ということを考えた。色んな記事や、色んな恋愛観について読み漁った。人から聞くことも参考にして辿り着いた、私なりの答えだった。

私は、今まで彼が居ないと、彼の存在が私には必要だと、相手に縋るような思いがどうしても離れなかった。振られたことも相手の優しささえも、全て合理化して、相手のせいにする事で情緒を保った。そうでもしないと、耐えられなかったからだ。
なんて都合のいい人間なんだ。と今なら思うけれど、ここに辿り着くまでには2年以上はかかった。だって、なんなら先月までは、諦めようかな…だって希望がないし…でも…じゃあなんで相手はあんなに優しくするんだ。。と、、

だいぶ、私が苦手とする部類の人間の思考だったんだけれど、何が運命なのか、私の考えを一変させたのは、米津さんのカナリヤだった。歌詞を自己解釈していくと、自分と重ね合わせてしまった。
どうしても、過去を振り返りたくなる、美化された過去ばかりを見て、一歩を踏み出すことに言い訳していたこと、変わっていくことを許し合えたその先に待つ、あなたならいいよ。と思える、関係性。

私は、こうなりたいんじゃないかなあ。とぼんやり思った。あなたじゃなくてもいいのに、あなたと一緒に居ることを選びたい。と私は思った。だから、私はカナリヤをきっかけに考えるようになった。
今の私は、彼に悪影響を与える存在なんじゃないかと。自分を雑に扱う人間が、人を大切に思えるのか、と。相手からの気持ちを素直に受け止めて、自分のフィルターに通した上で、相手を見なきゃいけないんじゃないかと。そう思うと、気持ちが楽になった。

もう、私が彼に出来ることはほとんどやり尽くした。
彼の答えを待つことしか出来ない、その答えがどちらに転ぼうとも、それを受け入れる心の準備を今できる限りやらなきゃいけない気がした。
私は今前向きに、彼を好きでいることと、平行に新しい出会いがあるんじゃないだろうか、と期待している。あと半年後には社会人だ。
大きな病院への就職、そこで出会う同期の人数も100人以上はいるはずだ。そう考えると、少しワクワクしている自分がいて、もう、彼じゃなくてもいいのかな、と、今までこんなに好きでいた自分を抱きしめたくなった。

ただ、この気持ちを保つのには、強靭なメンタルと安定した情緒の上で成り立つ。自分が不安定になった時に、彼を逃げ場にしてしまうんじゃないかと思うと、そこが少し不安ではあるなあ。と考えた。

なんだか話に一貫性がない気がするけれど、おわり

#恋愛 #日記


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