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カナリヤ

カナリヤが、どうにも目に止まってしまって。胸が締め付けられるような、メロディと歌詞をどうしても放っておけなかったので、受け止めたままに文章化してみた。

主にピアノで構成されたこの曲は、とてもシンプルで、なんだか久石譲を少し思い出した。音楽の詳しい事は分からないけれど、何となく思い出した。

カナリヤを聴いてると、(私と)あなたの関係性を信頼してしまった。互いに向き合って見つけ合うふたりの関係性が純粋に好きだと思うし、愛おしい曲だなあと思った。

みんなが忘れてしまうような出会った頃の散歩道、あなたの指先が震えていたこと、振り向きざまに笑う顔を、不意に思い出しては覚えていたいと思う。変わっていくということは、出会った頃と同じように戻ることは出来ない。それは当然の事であるけれど、二度とこの場所には帰れないとしても、あなたとならいいよ、最後まで歩いていこう、と花を見つめて物思いにふけているのかなあと。

転げ落ちて割れた、グラスを拾うあなた
その瞳には涙が浮かぶ、何も言わないまま

場面が変わる、ふたりの関係性にヒビが入ったように思う。いい意味で。
変わっていくことは必然で、それは時にとても哀しくて、あなたじゃなくてもいい時が必ずあるはずで。
変わっていくことを受け入れることは、美化された思い出から、今見える現実に目を向けて向き合う事なのかなと思う。
だから、この後に続く「あなたを何より支えたいと 強く強く思う」というフレーズに、とても胸を熱くした。変化を受け入れた先には、あなたを支えたいと思う強い思いなんだな、と愛情を感じた。

あなたも わたしも 変わってしまうでしょう
時には諍い 傷つけ合うでしょう
見失うたびに恋をして確かめ合いたい
いいよ、あなたならいいよ、もしも最後に何もなくても、いいよ。と、
迷って、すれ違って、傷付き傷付けられて、変わってしまっても、過去のお互いの関係性に懐かしむことがあっても、

変わっていくことさえも、あなたならいいよ。と、
言っているみたいで。

米津玄師が、こんなにも誰かを受け止める。誰かを自分の中に取り込み、愛を育んでいく未来がある曲を作るようになったんだな。と思った。今まで、出会いには必ず別れが付きもので、それでもその時が来るまで愛を育もう。という、歌が多かった。だから、この曲を聴いて、誰かが居る人生を選ぶように、育む愛を歌うようになったんだなあ。と、胸が熱くなった。

私も、このアルバムで米津玄師の変化を受け入れた。変化を受け入れるまでには、やっぱり悲しくなることもあった。だけど、一緒に変わっていきたい、変わることを許し合い、一緒に歩きたいと思えるアーティストだと思った。

愛だね、とても素敵な歌だ。大好きだな。

おわり

#米津玄師 #STRAYSHEEP #日記 #カナリヤ


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