移住した率直な気持ち

私は1月4日に神奈川県葉山町から福島県南相馬市小高区に生活拠点を移動させた。
と同時に常磐線の小高駅の駅を見守る人(駅守)に就任した。
駅守になるのをきっかけに移住することになったのだが、それはすなわち葉山の実家を離れることになったのだ。そんな私の今思っている率直な気持ちを書こうと思う。

夢だった小高での生活

私が浜通りに興味を持ってから早7年、NASAプロジェクトで小高について知ることになってから約2年。この間に、私の福島に対する思いは、だんだんと濃いものに変わっていった。

最初は本当に興味本位(今言ったら怒られるやつ)でしかなかったが、いつしか震災のこと、原発事故のことを勉強していくうちに浜通りの復興の可能性や震災前の魅力に気付いていった。そのうち、住んでみたいに変わっていく。それでも、避難指示が解除されていない地域に住むことなんて到底先であると中学生ながらわかっていたので、将来の目標に置いた。

 時は過ぎ高校3年生になった。春にNASAプロジェクトに出会い、再び浜通りへの熱が高まっていく。今回は原発事故に焦点を置いた福島県南相馬市小高区がフィールドとなって、その土地で働く人、起業家の話を聞いていくうちに「小高いいな」と思うようになった。
 本当に単純なやつだと思うが、行動力だけは同学年の中でも化け物だと思っているので、大学生が企画してくれたツアーに参加したりNASAプロジェクトの運営ボランティアに参加したりなど関わりたい思いから切らさないように動いていった。

 小高には私が尊敬している方がいっぱいいて、常に刺激になることばかりで、よい大人にもまれながら生きていける。私は変化を求めていたのもあって、そんな環境を欲していたのだと思った。しかしタイミングが悪く、大学受験と重なってしまったので、ここでも小高に行くのは将来の目標にしたのだ。

 2022年は大学受験に失敗したり、病気を持ったり私の中で予想外なことしか起こらなかった1年ではあったが、転機が12月に訪れる。
 それが、小高駅の駅のフリースペースを見守る人の募集だった。タイミングよくどこでも動ける状態だったので少し悩んだが連絡をし、体験し、やりたいと懇願。
 そして2023年1月、駅の見守り人になるため、大好きな土地である小高に生活拠点を移したのだ。
 私はこの選択をして今はよかったと思っている。あくまでも今は。
若干の不便とか、駅に人が来ないとかあるけど、それでも小高という土地が好きであり、5日過ぎた今本当に充実した生活が送れている。

まだ5日しかいないから、この先この気持ちがどう変化していくかはわからないし、将来もどう転がっていくかはわからない。でも今は楽しいし、充実しているし何より夢が叶ったことに満足している。


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