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1ヶ月が過ぎたということで。


おはこんにちこんばんは。
みすずです。

私が小高に生活拠点を移してから2月4日でちょうど1ヶ月が過ぎました。
おかげさまで小高での生活や仕事にも慣れました。おそらく葉山にいたときより何十倍・何百何千倍にも元気で活発な若者になっております。(葉山にいたときが絶望的過ぎたのかもしれないが。)
関東でお世話になった皆さん!私は福島浜通りは小高にて元気でやっております!!心配しないでください!笑

今回はそんな1ヶ月をまとめると共に、2月以降(今後)の私についても書いてみようと思います。

1月はとにかくもがいた

1月4日に来てからとにかく動きまくり、挨拶しまくりで大変だったなと振り返る。
会う方みんなに年齢を聞かれては驚かれ、「なんで小高に来たの?!」だったり、高校生からはいい意味で「能力の無駄づかいやんw」と言われたり。ちなみに同居人や駅舎のメンバーからも「キャラ濃いなあ〜」や「だいぶぶっ飛んでるよ」と言われている。私自身がだいぶ変わり者だということに、来てから2週間が過ぎたあたりでようやく自覚した(遅すぎ)。10代・大学1年生1人で実家を飛び出し移住した女の子が駅舎の管理人をやっている、と風の噂になっていたりもあるようだが、いい意味でも悪い意味でも顔を覚えてもらいやすい・存在を知ってもらいやすいフレーズだ。この1ヶ月で地域住民の方・行政の方・起業家・移住を検討している方や観光客などとお会いでき、お話や関係が出来た。(いいこと。)

仕事面では、高校生をはじめとする駅の利用者を見守る、という責任もあり。最初はお互いで距離感があり「こいつ誰や」みたいな感じだった。(12月の駅守が毎日変わっていたのもあるかな。)存在感を濃くしようと話しかけられそうな人には声をかけたり、インタビューなどもした。そのうち、だんだんと心を開いて距離が近くなった感覚もあり、今では毎日お話をしに来てくれる子、ゲームやお菓子パーティーに誘ってくれたりなど和気あいあいとなっている。もちろん誰もいない時は寂しい気持ちもあったり、タスクがないときは暇かな、と思ったりもあるが、そこは何とかしている。(笑ってくださいみなさん)


仕事場です。

今まで務めていた人たちとはまた違った居場所・雰囲気づくりが出来たらいいなと思い、行動している。「駅のフリースペースの管理人(通称駅守)」という肩書きがある今、地域の人からは「ほうほう駅守さんかー」という目で見られたりもあるので、意識をかなり高く持っていかなければという想いだ。実際、昼間に駅前の大通りを自転車で走っている時、「小高駅の駅守さんですか?!」とおばちゃんに声をかけられてやば…顔知られすぎでしょ。ってなったこともある。 人間関係だってそれは同じだ。小高は特に特殊な地域であり、また古き文化の残る地域性がとても強い場所なので、若者が溶け込むには若干の苦戦を強いられた。地域コミュニティとしての難しさ、年齢的・経験的な難しさ、バックグラウンドの難しさなど様々な壁や鐘にぶち当たっては泣いてを繰り返す。回数を重ねていくことでだんだん認められていく物であるから、ある意味精神ゲームなところはあったがそれもまた楽しかった。しばらくはお世話になる土地、これからの縦も横も幅広いつながりを意識したい。 

一方で、わたしの昼間の居場所である小高パイオニアヴィレッジでは、社員の方々ににこにこされたり、話の輪に入っていったり、存在感がとても強い人になっている。いつも角っちょのひな壇に居座り、眠くなったら寝て、ハンモックをこよなく愛している。また、遊ぶ広報という制度で来た観光客の方とお話をする機会があったり、浜通りのほかの地域から小高に遊びに来た方とも交流したり。私にとっては第2の居場所として欠かせない場所になっている。

節分ガチ勢とにかくたのしかった

小高にいる人たちはみんな20代半ばからの年上であり、仕事で関わるのは高校生がほとんど。ここで失われていくのは同年代(大学生)とのコミュニケーションだ。私自身は通信制の大学で学んでいるので、サークルなどのコミュニティがない。他に属しているものもないので、ここらで一旦何かに属してみようかと考えてみたり。小高に大学生世代がいないわけではないのだが、関わるきっかけ(接点)がないのだ。むしろ小高の大学生世代もそういったコミュニティには属していなそうなのでなおさら。大前提、小高にあるコミュニティに潜りつつ、わたしの興味や思考(志向)にあう場所を見つけていきたいと思っている。

ここまでは大きく言うと1月のことを書いてきた。ここからは展開を少し変えて2月以降(今後)について簡単に書いていこうと思っている。

将来について

ますは駅舎の仕事により一層楽しみと刺激をかけること。わたしの任期と駅舎フリースペース自体が3月末までなので、そこまでの間、少しでも利用者が増えるような仕組みやコンテンツ作りをしていきたいのだ。ひとまずは最後の管理人として名を残せるように、地元住民の方に愛されるような場所を目指したい。(高望み)
その一つとして、NASAプロジェクトで取り組みのある、浜通りスモールステッププロジェクトの企画を進めることだ。駅舎フリースペースでチェキによる撮影会や文化祭のような装飾を施すこと。対象は高校生だ。今すでに壁にぶち当たっているが、小高(現地)にいる良さを生かして運営の人と話しまくって、動きまくっていいものにしたいと思っている。

私の夢について

ちょっと原点に返ろうと思い、少し想いの部分を書く。
私のライフプランの考え方はNASAプロジェクトに関わり始めてから大きく変わった。もちろん、いい意味で。もともと興味はあったが関わるきっかけがなかった福島県は浜通り、南相馬市小高区を舞台にプロジェクトが始まるー。その1期生になったのがすべての物語の始まり。月に1回カタヤブリな大人(起業家や福島に携わる人)の話を聞いたり、2021年度は運営のお手伝いをしたり(高3でよくやっていたな笑)を通して小高との距離が縮まっていく。だいぶ省略するが、これらの経験だけで、2022年の初めの方ではすでに「小高で生活をして、小高でファーストキャリアを積みたい」と思っていた。その陰には、ここまで私を作ってくれた小高という土地へなにか還元出来る仕組み作りをしたいと思ったからだ。その先には、小高で尊敬する方々を超え、誰かのロールモデルになると共に、必要とされる存在になりたいと思っている。そのためには、小高でどこかに所属し信頼を築いていく必要があると思っている。ここまで小高に外から来たよそもんが熱い想いを持っていることもないとは思っているが、私はそんな変わり者である。

これを踏まえて今後について書かせてもらう。
3月までは先ほども書いたように駅舎での仕事を精一杯やっていくだけだ。そのあと、つまり4月以降のことは、まだ未定ではある。が、気持ちだけは前を向いていて、決まっているのだ。大学4年間(私の場合は2026年夏まで)は小高にいると。その後のことは近くなったら決めるが、まずは4年間という一つの区切りを生かして、なりたい所・なるべき姿まで上がっていきたいと考えている。そのために近いうちに住民票も移す予定だ。手段はまだ決まっていないが、4月より動けるようにこの2ヶ月間でじっくりと考えていきたい。私の専攻は政治学であり、携わりたい分野はコミュニティデザイン・地域活性化・政治経済分野。小高という土地が十分すぎるほど合っているのではないか。実りある経験になるように日々鍛錬を重ねていく。

ここまで本当に長くなったが、小高で生活しファーストキャリアを積みたいという夢が叶いつつある今、セカンドについても考えなけれはいけない。それでも今は、小高での生活や人間関係、仕事をとにかく楽しんでいきたいと思っている。


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