何が幸せなのか? お金では買えない、幸せの話
私はとある塾で、講師をしている。
毎年小学生と出会い、二月に別れを繰り返している。
彼らにとっては、10歳~12歳くらいに、多くても週に三日くらい、少ないと週に一回くらい顔を合わせる大人なんて、きっと忘れてしまうにちがいない。
他の人がどうかは知らないが、私は別にそれでいいと思っている。一緒に勉強をしている間は、厳しく、楽しく、時には楽をしながら勉強をしてもらって、できれば志望校に合格できればありがたいし、そうではなくても、その子にとって何か人生での意味のある体験になってほしい。
引き続いて二年連続で教えることは稀であり、別れは6年生だけとは限らない。これは、教え子との話だった。
それは、もうこの学年を教える最後の授業の日だった。帰り際に、時々自分のクラスで教えたことのある女の子が、私に年齢を聞いてきた。
しかも、
「ねぇ、子供いる? 小さい子? 大きい子?」
と聞いてくる。実は子供はいないのだが、規則で色々と話せないのもあり、興味もあって何歳に見えるかその子に聞いてみると、彼女のお母さんは40歳くらいだからといってそれくらいという絶妙に遠くない(でもそれよりは若いです)予想を頂いた。
苦笑をしながら
「ていうか、単に年齢が知りたいだけなの?」
と聞くと、彼女は首を振って言った。
「何で先生は、授業であんなことをするの? 自分で考えてるの?」
と言った。
「あんな風に面白いことを、学校の先生も誰もしてくれないもん。どうやって考えたの?」
と言ったのだ。
私は授業の始まる前に必ず生徒たちと話したり、自分で考えたゲームをしたりしてから授業をしていた。そのことを言われてると分かったとき、とっさに
「それは、私がそう言うことを考えるのが好きなだけだよ。それから、それをすごいと思える子は殆どいないんだから。それに気が付けるあなたは、きっと私みたいに自分で面白いと思えることを考え出せるようになるからね」
と言えた。
彼女は納得したように、今までありがとうございました、とお礼を言ってからバスに乗って帰って言った。
その日の帰り道、私は味わったことのないくらい、幸福な気持ちを味わいました。
私はこの幸せにお金を払ってない。
こんなに幸せになれることってあっただろうか?
元から、お金が欲しいから何かを焦ってやることはなかった。
仕事も、お金というよりは働くことで色々見つけることが楽しくてしている。
貯金なんか微々たるものだし、先はどうなるかわからない。
でも、この喜びをこんな風に貰えたことを感謝している。
その子とは、校舎が変わったのでその後を担当することはなかった。でも、その子にとって素敵な将来が訪れるように、前向きに勉強してくれていると、私は信じたい。
本当に、その子に感謝しています。
あなたに会えて、よかったよ。
ありがとう。
大切なものは目に見えないと、大好きな本で読んでいましたが。
本当に大切なものは、お金では買えないものかなと思いました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
もしよろしければ、あなたの幸せだった記憶もコメントしていただけたら嬉しいです。
記事をお読みいただきありがとうございます!少しでも楽しみ、お役に立てるように頑張ります。