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かけがえなかった

寂しさだけはいつまで経っても慣れない。今まで助けてくれていたものが少しずつ離れていくのはやっぱりどこか痛い。それでも向き合わなければならないし耐えなければいけない時もある。寂しいけれど想いを送る方はそれ以上の感情があり届けるものがある。だからこそ今回卒業するメンバーのセレモニーが開催出来て本当に良かった。それとも同時に一周して見えてきたものがありそれを表現出来ることが何よりメンバー自身も嬉しいことなのだと思う




櫻坂46 1st Album 「As you know?」

アルバムというのは今その時のグループそのものを象徴するものだしそれはメンバーにとっても応援してる身からしても大切な思い出でもあるし確かな記録でもあって、これからもずっと大事にしていきたい。まずはアルバムアー写について、みんなが陸の方を向いていて良かった。海側を向いていたらそのままみんなでどこまでも行ってしまいそうな気がして、でも今の彼女たちに何一つ心配なことなんて無くてそんなことすらも感じさせないくらいなんだよね。だからこそメンバー全員が笑っているのかなって。そしてアルバムタイトル名でもあるこの「As you know?」という言葉、直訳すると「あなたが知っているように?」という意味になる。一見、僕らに問いかけているように聴こえるし見える。これ以外にも意味はあるのではないかと思い、自分なりにいくつか考えてみた。「ご存知の通り」、「ご存知では?」、「知っているつもり?」、「知っているでしょ?」、「あなたが知っている通り」、みたいな感じ。先程言った通り問いかけているのであれば、「?」マークが付いていてもおかしくないのだが問いかけているのではなく逆にその姿を知らしめているかのようにも見えてくるし、まるで知っていて当然かのような感じにも思えられる。そうなると彼女たちから感じられる「As you know?」とは「対等な立場、余裕、物事」を達観した見方になってくるのだと思う。だがそこで「摩擦係数」という言葉が絡んでくることによりその意味合いは変わってくるんじゃないかと思っていて。「あなたが知っているように?」ではなく、「本当に君たちが知っている彼女たちかな?」という意味になるような気がしていて。どこか知らないうちに彼女たちとすれ違っていたんじゃないかと。すれ違っていたことにより彼女たちの素顔みたいなものが見えてきたと同時にこれが今の櫻坂というグループなんだなって教えてくれてくれた気がして嬉しかったしさらに熱く込み上げるものがあった



「摩擦係数」

成長することによって生まれる人生の葛藤とすれ違うことの本質を謳った楽曲だなって

大人になるってのは 丸くなるってことだろう?
真剣にぶつかったって 理解されはしない
上手く他人との距離を取れと
優等生は皆 勝ち組は今 わかったような口を利く

成長することの意味を僕はずっと悩んでいるし今も悩み続けていて生きている上で人と関わることの意味合いを自分自身に問いかけていて、その辿り着いた疑問が「丸くなる」ということだったんだと思う。「丸くなる」という言葉は本来、「性格の角がとれて円満になる」という意味なのだがここでの丸くなるというのは「人との関係を解り合う」ということなのではないかと思っていて、「僕」は単純だけれど素直でもあるからため正面からぶつかっているみたいな感じで相手に対して問いかけているのだけれどその行為自体を否定された状況に置かれていて納得のいかない中、周りからは距離をとれと言われているのだと思う。自分の信念を曲げずに突き進み疑問ばかり問いかけられているのが相変わらず「僕」らしいなとも感じる

そんなふうに僕は感情 抑えられない
自分飼い慣らすことしたら僕じゃなくなる
「愚か者めどうしたってただ損をするだけだって」
何を我慢するんだ?

周りと同じように感情を抑えることが出来ない僕は自分自身を制御出来ないことを解っているからこそ「僕じゃなくなる」と言っていて。ここで言う「飼い慣らす」というのは周りの人間に強いられるみたいな感じで強く言うなら半強制的になっている状況のことで。「愚か者」とは周りの人間が「僕」のことを指していることで「僕」がそのままでいることは損をするだけと忠告しているのだけれどそれすらも聞く耳を持たなくて「何を我慢するんだ?」と自問しているし誰かに投げかけているのだと思う

そう
黙るってのは敗北だ言いたいこと言ってやれ
「ただじっと睨んでたって」何も伝わらない
そう
ムカついてるならムカついて
むしろそのまま不機嫌に「さぁ 自分晒すしかない」
殴るよりも殴られろ

飼い慣らすことの反抗として言葉で発言するよりも先に行動しているのを見ると「僕」が成長する過程の中に少なからず痛かったり荒んでいたものがあって、でもその行動の中に自らが相手に向かって手を出す行動は無いしそんなことを考えてもいないように感じられる。人が人に対して抱き締める行為の「受け止め方」ではなくて、自身が壊れてでも倒れそうなるくらい相手を待っているというか、決して迎えに行くのでは無く、迎えに来させようとしてるその姿勢と信念みたいなものを感じる。だからこそ僕は今も理解されないまま真剣にぶつかっているのだと思う

言葉を飲み込むのは 絶対によくないんだ
胸のどこかにつっかえて ムカムカしてくるよ
言いたいことは消えてなくならない
刺さっている棘 自己嫌悪だけ
唾を吐き捨て立ち直るか

ここでは相手と向き合った後に「僕」が感じたことを言っているのだと思う。恐らく相手と向き合ったのにも関わらず何も言えずにその場が終わってしまい自分の中に残ってしまっている状態なのだけれど、相変わらず言いたいことは言えていないし自分の中で昇華しきれてないのだけれど、そこからの切り替え方が今までの「僕」から確実に変化しているなと感じられる

もう体裁なんかどうだって構わない
誰も見ちゃいないよ 自分のことで手一杯
「誰にとってカッコ悪い?
自意識過剰って笑われるぜ」
好きにさせてもらおう

今の僕からしたらなんてこと無いのだけれど少なからず相手と向き合っている時に周りの視線を感じてしまっているあたり相変わらず「僕らしいな」と感じる。「僕」からしたら相手と向き合っている自身の行為は「僕」なりの真剣さを感じるのに周りから見える「僕」の行為は自意識過剰に見えているしそんな風に思われていたり笑われていたりしていることも「僕」はちゃんと解っていて。それらを全部理解した上で"好きにさせてもらおう"と言っているのではないかと思う

ほら
逃げないってのは始まりだ
面と向かって言いなよ
「背中見せちゃ 撃たれるだろう」
臆病者って
ほら
怒りは生きている証だ
縛られる社会のロープ
「さぁ 引きちぎって自由になれ」
顔近づけてどうするのか?

相手と真剣に向き合ってきた「僕」にも恐怖心みたいなものがあったのだと思う。面と面向かって相手と向き合っているつもりでも周りから見たら自意識過剰な見え方とはまた別に俯いているように見えたのではないだろうか。その衝動から相手に背中を向けてしまった。周りに対しては最初からずっと背中を向けていたのだけれど、最初から向けていた背中と相手と向き合っていた時に見えていた背中はまた違う捉え方をしていると自分は思っていて。相手に背中を向けている行為を見られたことで「僕」は周りから臆病者と言われたのだけれど「僕」は周りから臆病者と言われたことに怒りを持っているのか、それとも背中を見せた行為に自身で怒りを感じているのか、どちらにせよこの時点で少なからず怒りという感情を持っていたことに間違いはなくて。その感情を確かめる為に"怒りは生きている証だ"と自身に投げかけているのが解る。結局、「僕」は周りから言われた通りに生きていくことしか出来ないと自身で感じたことを"縛られた社会のロープ"と表現しているのかなって

このままで THE ENDか
ぶつかり合って わかり合うしかないんだ
悪いけど ほっとけない
もっともっと熱くなっちゃいけないか?
摩擦

相手と向き合うことが多くなったからこそ、相手をそのままにしておけなくなり相手を絶対に納得させるみたいな信念を持って自分自身で鼓舞しているかのようにも感じとれる。ここで出てくる"摩擦"という言葉は先述した通りすれ違いという意味はもちろん、相手と向き合うことによって生じる闘心みたいなものも含んでいるのではないかと思っている


なぜこんなにも「僕」が逞しく頼れるなと思えるのだろうか。「僕」が大人になったところでそう簡単に大人という存在になれるものなのか。大人になれなくてもその感覚を得られるものなのか。ずっと考えているけれど未だに解らない。それでも「僕」という存在を彼女たちが受け止めてくれているからこそ成り立っているのだと感じるし自己解放みたいなものだと思う。自己解放という考え方だけで言うと感覚的には「流れ弾」に近い感じかな。だけど不思議なことにこの「摩擦係数」という楽曲、聴けば聴くほど不完全燃焼感が増してくるなと思っていて。なぜ「言いたいことを言ってやれ」から「殴られろ」になるのだろうか。そこは殴ってしまえばいいのにと思う。殴って「殴られた」ならカタルシスがあったと思うけれど、そこを「殴られろ」にしているあたり櫻坂らしいなと思うしそれが「摩擦係数」の「僕」という存在なのだと思う

MVのテーマは「野生と理性」。今までのMVとは少し違った感じで、ストーリー性というよりかはメンバー同士の対立みたいなものを見れた気がした。イントロはなんだか奇妙な感じから始まり、無機質で幾何学的で秩序による感情の統制で道化師は感情を抑圧された人間の内に隠れた野生的側面のように感じられる。冒頭で野生がいる倉庫のような場所は道化師が踊る舞台の裏手だとすると道化師は野生ということになる。あの場所から出ると撮影スタジオのような空間になっているのは道化師の野生も所詮は演技であって作り物であることを示しているのだと

途中で欠伸している彼女について。恐らくこの行為は野生への転換で見せかけの野生が退屈だから欠伸をしたと読み取れる。つまり最初の時点では野生もまだ野性を解き放っていない。抗いながらも理性に縛られた状態だと考えられる

ピエロついて。野生のピエロの踊りに理性側にいたが欠伸した彼女と考えれば繋がる。ただ野生側だったこと自体がピエロしてたというミスリードという考えもある。ピエロが自由奔放な野生みたいな意見もあるけどあれは世の中の欺瞞みたいなのに皆が何も言えずに付き合わされてる姿だとも思える。欠伸とピエロのは何かしら繋がってるのではないかとも感じる。ピエロはメイクや仮面で素顔、本心隠してるもの。野生を演じてるだけ。だから馬鹿馬鹿しくて彼女は欠伸が出る。きっかけというか理性的な秩序だけの生活が退屈みたいな感じだと思う。一般的にピエロはトリックスターとして描かれる事が多いけれどここでのピエロは秩序を壊してあらぬ方向へ誘導する役割で野生と理性という二項対立フレームそのものが道化であるという解釈も成り立つのではないだろうか。最終的に「野生と理性を融合をさせる」という構成だとしたら欠伸をした彼女まで元々野生側にしてしまったら理性が一人になってしまい融合感があんまり出ないからなのだとも思う

最初は野生が孤独の中にいて笑うこともなくただ「真剣にぶつかったって理解されない」ってことにつまらなさを感じてるところとまだ大人ではない理性が"大人ってこんなもんでしょ?"と期待もしてないところから始まって一般論の箱の中にいた異分子(他メンバー)たちが「僕」が「僕」でいるために箱から出始める。そして野生と理性の対立が動き始める。それでも何にも期待するような感じも無くただただ気だるげに与えられた振り付けをする野生が「お前はどうなの?」という感じに見下すように理性に問う。問われた理性は「あんたこそやれるの?」と挑発するように見つめ返す理性に対して一気に野生のスイッチが入り異分子を押しのけて前に出て自分の持つものを証明するかのごとく踊り、それに対して理性も自分の価値を示すように返す二人の対立が始まっていくのがゾクゾクしてくる。そしてその対立で理性の存在を認めた野生がようやく自分の才能を発揮できる相手を見つけて笑う瞬間がすごく良い。理性の価値を認めて自分のことを理解してくれる人だってなった時に「隣に立たせてあげる」と言わんばかりに。それに対して野生は純粋な喜びとも取れる顔で踊りだすのが本当に世界観をガラッと変えてるように思える。後半は野生と理性の対照的で互角な対立に見えるけれど、最初は暗く無秩序な部屋に閉じて社会から隔絶されてるように見える。野生は元々劣位な立場で、歌詞の世界観としても孤独な野生が主人公としてフォーカスされていると考えやすい。そういう意味では単に双方から競り合うというよりも野生の反逆ストーリーと捉える方がしっくりくる。秩序による統制と自由の剥奪で人間としての個を脅かす、権力や組織に対する抵抗とも。野生と理性の拮抗というよりもむしろ、野生による理性への挑戦にも思える。野生が理性に働きかけてる感じ。野生の中にある本能みたいなものは普段は理性に抑えられているものだし野生個人内でもその相互作用はあると解る。ただこの「野生と理性」というテーマ、本質を考えていくうちに「野生と理性」ではなく「野生と本能」という解釈になってくるのではないだろうか。あくまでテーマは「野生と理性」なのにもかかわらず理性が野生に対抗するべく本能を出す、化けの皮を剥いだみたいな感じにも捉えられる。それは理性が野生に対しての行為がそう見えたからなのかもしれないけれど



「W-KEYAKI FES.2022」

最終日を配信で見ました


「コンセントレーション

この4人のコンセントレーションはある意味、不完全では無くてちゃんと完成されていた。サビの振り付けは前回披露された時の変則的な陣形ではなく、横一列に並んでいたのを見るとこれが本来の振り付けだったのかとも思える。何一つ不安になることなんてなかったし、小池美波と顔を合わせてくれて本当にありがとう



今まで二人からの時間は充分に貰ったし貰わせてくれた。二人分以上のものを受け取らせてくれたのだから二人分の感謝じゃ足りないし足りるはずもない。とってもありがとう



改めて、1stアルバム発売おめでとう!


2022.8.31

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