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魔法みたいな

彼女たちを応援し始めて悲しくなったり落ち込んだりすることは無くなった。でも寂しさだけはいつだって残ってるし感じることは多くある。今回の4thシングルはその寂しさがより強く感じられたけれどそれと同時にどこか安心してしまった自分がいた。たぶんそれはメンバーから感じられた抱擁力のせいなのだと思う。一人一人がこれほどまでに卒業するメンバーのことやグループのことを思っているからこそ、「大丈夫」だと感じさせてくれた。メンバーの言葉や話してくれることをずっと尊重したいし忘れないでいたい。これからの自分のためにも




櫻坂46 4th Single

人の心の深さなんて解らないし解るはずもないのかもしれない。それでも伝えたいという意思があるのであればそれは確かな型となる。それと同時に人が込める想いというのは相手に届き、初めて型となる。定まりきれてないのかもしれないし定まることはもっと先かもしれないけれど彼女たちは「伝える」ということをまたこのシングルで伝えてくれた。それと同時によりたくさんの人に届いて欲しいという願いを込めて





「五月雨よ」

初見で聴いた感じだと、「五月雨」と「恋愛」を重ねているのだけれど天気情報の比率が高くて恋愛という主題が伝わりにくいのと何回か通して聴いた感じ歌詞があまりスっと入ってこなかったのが印象に残ってしまった。でもMVとパフォーマンスでガラッと闇雲な考えを変えさせてくれた。聴き込んでいくと恋愛を連想させたり主題にした楽曲だと感じる人も少なくないと思う。だけどこの「五月雨よ」という楽曲は恋愛を主題にしている訳ではないのだと。歌詞を深く聴き込んでいくと「僕」から「君」への一方的な恋心が「五月雨」というモチーフに喩えられる。「五月雨」という言葉のモチーフに「五月雨式」という言葉がある。そして彼女たちは

五月雨式に好きになっていく

と謳っていた。本来の意味は「断続的に物事が行われること、一度で終わらずとぎれながらも何度も続けて行うこと」を意味する言葉になる。そんなだらだらと長く続く冗長性の象徴としての「五月雨」という言葉が「僕」から「君」への恋心に重ねられているのだと思う。だけど彼女たちのパフォーマンスを見ていると本来の意味とはまた違う意味を持っているのではないかと感じることがある。だらだらと続けていくのではなく「ちゃんと前を向いてしっかりと続けていく」みたいな意味を持っているのではないかとそんな風に思わせてくれた

MVのテーマは「利他の精神」。またみんなで一緒にこの足でこの地面を力強く歩いて行こうと言ってくれる様なそして勇気づけられる、温かみのある感じとなっている

だだっ広い自然豊富な場所から始まりイントロから含めて壮大的なのに対し歌詞は少し行き詰まっていて迷っている感じで不安気な表情が捉えられる。先程言った通り「五月雨」と言うのは「断続的に物事が行われること、一度で終わらずとぎれながらも何度も続けて行うこと」であって常に降り続けているということではないのだ。時には止み、時に激しく降り、不安定要素がある。つまり「僕」から「君」へのの想いも必ず一定な訳ではなくて想う気持ちが、大きく揺らいでいるということ。この不安定要素によって「僕」は「君」に想いを伝えると伝えないの間で揺らいでいる。それが

言葉にしてしまえば
楽かもしれないけれど
自分の方からなんて
絶対に言い出せない
はっきりとしないのは
天気も気持ちも同じ
風向き どっちつかず
僕は友達のままでいい

という歌詞を表しているのだと思う。サビ前では空に向かって祈っていたり願っていたり空の様子を伺っている見えるシーンがある

これは「僕」の気持ちも空の様子も定まりきっていなくて神頼みとまでは言わないがいつか「僕」の決心する気持ちも天気も晴れるように微かな雲の切れ間から待っている様に感じられる

サビは開放的になり「僕」が少しだけ吹っ切れて天気に頼ってしまう気持ちが描かれている。「君」への愛おしさは更に込み上げて来て投げかけるも相変わらず空は闇雲なままだし切なくなってきて、しまいには虹が架かることを期待してしまう

それでも「君」に会いに行くためにどんな時も絶えることない永遠を愛を信じてると謳っているんだと思う

ここでの「広げられない傘」というが「僕」の気持ちで「君」に会えて想いを伝えられて初めて傘が開くということなのかな。それを全員で腕を広げて表現しているのがわかる。歌詞が悲しげな感じなのにどこか温かさを感じる。この要素としては地面に生い茂るすすき野原で太陽の光を目一杯に受ける仕草やメンバーが大自然に溶け込むような撮り方そしてメンバー同士が触れ合うシーン距離感のなどの草木や人肌の温もりがじんわりと伝わる映像表現が展開されているからなのだと


「君」に惹かれる一方、自分の選択や想いは正しいのかと自分自身に問いかける。そこで迷いがある問いかけに痛みが出てきて

苦しいよ 君を想うと
一方的で 息もできない
中途半端は嫌いだけれど
どちらかに決められない

という気持ちが溢れ出てしまう。だが中途半端は嫌いだという信念を通し「君」への想いを決心する様子が伺わられる

ずぶ濡れになってもいい
不安の中 飛び出すべきだ
その勇気が 僕にあったら
雨だって きっと怯むだろう
何もせずに厚い雲に覆われていちゃ
君に伝わらない

そしてこの歌詞、この並べられている言葉だけを見てみると恋愛とはまた何か別の覚悟のようにも聴こえてくるし感じられてくる

「見上げたって変わらないのにどこか虹に期待してしまう」というこのシーン、期待してしまうという朧気な感じなのにどこか自信がある様に見える。これは「僕」が「君」への想いを決心したけれどやっぱりどこか虹が架かるほどの期待をしてしまっている心情を表していて、最後に「雨よ止むな」と謳っているのには「僕」が決心したことによりこれから先はもう迷うことなどないという意思表示の様なものを感じさせてくれた


個人的に手を重ね合ったり取り合ったりしているシーンが好きだ。やっぱりどこか唆られるものがある




「僕のジレンマ」

この先の選択も人生も迷っているし解らないけれど、それでも生きていくそんな葛藤を謳った歌詞だなって。今までどこか滲んでいたことや霞んでいたことの本当さを確かめられたような気がした

頬を掠めて吹き抜ける温度のある風が
世界をもう一周廻り ここに戻って来るまで
僕の決心は揺るがずにいられるだろうか

ここでの「僕」は既に世界を一周し終わって迷い始めた場所、所謂廻り始めた場所に戻って来ていてもう一周世界を廻る決心が揺るぐことは無いだろうかと自分自身に問いかけていて「頬を掠めて吹き抜ける湿度のある風」というのが「僕」が世界を一周廻ってきたことを表している「時間」ということでこの風と共に世界を一周廻ってきたということも言っているんだと思う。またその「時間」というのが「僕」が今を生きている中で見つけた本物の「僕」とその見つけた「僕」と出会ったことの心情のことでもあるのでもあって。既に廻ってきた「世界」というのは「僕」自身が見つけ出した「僕」と一緒に時間を一周してきたとも捉えられるし、過去に辿ってきた回想とも捉えられる。また、この「頬を掠めて吹き抜ける湿度のある風」は時間という意味でもあるし「僕」と共に生きてきた証跡ということでもあるんじゃないかなって

    夢を追う代償は 残酷に過ぎていく時間だ

この時点で「僕」は夢を追うことに迷いはないのだけれどその夢を追うことによって生まれる代償のことを「残酷に過ぎていく時間」と謳っていてそんな中でも「僕」は何かを捨て別の何かを得らなければいけない現状にいるんだと思う。だけどその何かを手放してしまった場合、「僕」自身が「僕」でいられなくなってしまうから「僕が僕でいるために僕じゃなくなる」と自戒しているからこそ答えが見えないと謳っているのが受け取ることが出来る。「僕」が夢を追うことによって生まれる葛藤を曲名でもある「ジレンマ」という言葉に置き変えているのだと思う。ジレンマとは「相反する二つの事の板ばさみになって、どちらとも決めかねる状態」のことを意味する。これが「僕」の葛藤ということが解る。一方この「ジレンマ」という言葉に対して対象となる言葉がある。その言葉とは「相反する感情や考え方を同時に心に抱いている」と言う意味でこれは夢を追うことによって生まれた代償を背負いながら生きている「僕」のことつまり「僕が僕でいるために僕じゃなくなる」の「僕」ということになる。後者の「僕」は一つの物事に対する全く逆の感情や意味を指していることになっていて、いわば「選択肢を比べて使うことが出来る言葉ではなくて同じものに対して逆の感情を持つこと」という理解になってくる。だが前者である「僕」は選択肢の板ばさみになってしまっている状況であるから「何を捨てて何を得るつもりか答えが見えない」と謳っているのだと思う

今すぐに行かなきゃいけない
わかっているのに 足が動かないんだ
でも君を 一人だけ
残してはいけない 心が引き裂かれるくらい

ここでの「君」というのは「過去の僕」のことで「君」が得てきた物をそして「僕」は「君」をどうしても置いていかなければいけなくなっていて。「君」よりも今自分自身に問いかけている「僕」は時間の経過と共に急がなければいけなくて「過去の僕」は既に今存在している「僕」ではないから「君」と呼んでいるのだと思う。それでも「君」の中ではあの頃からずっと時間が止まってしまっていて今でもあの頃に受けた衝撃を背負っているし相変わらず臆病なまま生きているから「僕」は中々動かないし「君」を残していけない後悔みたいなものと夢を追うこととの狭間で心が引き裂かれるくらいの葛藤があるのだと思う

一番近くの誰かが かけがえのない存在だと気づく

この「一番近くの誰か」というのが「君」で「僕」は今現在まで生きてきた中で幾つもの選択をしてきていつしか世界を廻るほど成長しすべてを手に入れようと思うほどまでになったのを「幼い頃見てた夢叶うと信じて」と謳っていて、すべてを手に入れてしまった時そこに人生の選択をする「僕」はもういなくて置いていかれてしまった「君」だけが残っている状況になってしまうのではないかと「君」がよぎることにより「僕」に対して「虫がよすぎる」と言われ「僕」は「人生で大切なのは選択をすることだ」と再認識するしいつからか置いてけぼりにさせてしまっていた「君」が「かけがえのない存在」ということに気づいたんだと思う。それと同時に「かけがえのない存在」は一番近くにいるということを「君」が教えてくれたということが読み取れる

そんな僕の 身勝手なサヨナラでさえ
仕方ないねと
君にそっと微笑まれて 白旗揚げた

ついに「僕」は決断をして「君」に別れを告るのだけれど「君」からしたら「僕」の別れ方が身勝手なのに「仕方ない」の言葉だけで済ませると同時にそっと微笑むだけで終わっていることから「君」が「僕」に対する諦めのようにも聴こえてくる。「君」からすれば「僕」の別れ方がどこか許せないもので今まで背負ってきたものを置いていくのか、置いていった場合「僕」には何が残るのかと問いかけているようにも思える。「白旗を揚げる」という言葉は本来「降参、降服、無抵抗の意思を表明すること相手に伝えること」という意味なのだが、ここで「僕」が「君」へ揚げた白旗に込められている意味は「君」には敵わないよと悟り寂しげな表情をしているのではないかとも思い浮かべられるし弱音を吐いているようにも思えるし「僕」の中にある脆弱のようなもののことだと自分は思っていてまた「僕」が「君」に対しての諦めとも感じ取れる

無理だよ
もう 僕は どこへも行かない
優柔不断と 言われても構わない

ここでの「僕」は「君」との別れに対して躊躇してしまい夢を追うことを断念し、もうどこへも行かないと。「君」を置いてなんて行けないと迷いが生じてしまう。長い時間をかけても未だ決心に欠けるそんな「僕」に向かって「君」は優柔不断だねなんて言葉をかけるのが「君」らしいなって

どちらか一つだけ
選べと言うならば ここに残って後悔しよう

この「どちらか」というのが「君」を置いて夢を追うことを続けに行くか、「君」とこの場に残り共に「僕」と「君」に残ったものを背負いながら生きていく選択肢だと自分は思っていて。普通、「どちらか」と選択を迫られるのであれば二つのうち一つを選ぶと思うのだがこの歌詞の「どちらか」の中にはどちらも心が引き裂かれるくらい溢れてしまうほどの想いがあってそれを手放すことが出来なくなっている心情で後悔しても悔いはないという「僕」の覚悟のようなものが感じられた。そこまでして「君」を置いていくことが怖いのか背負い続けてきたものが許されることがないのか一種のトラウマとまでは言えないけれどものがそれらを縛り続けている悔しさみたいなものがあるのだと思う

この世には何一つ 割り切れるものなんてない
生きるということは ジタバタともがくこと
誰も迷うことなく 真っ直ぐは歩けない
わかるだろう

「僕」が「僕」自身に問いかけていて自己完結ではないけれどやっと「僕」自身が受け入れているような感じもして。「君」自身が「君」に問いかけているのか。「僕」が「君」に語っているのか。「君」が「僕」に語りかけているのか。「わかるだろう」の一言で済ませているのが、「君」や「僕」のそっけない部分みたいだなと感じる

いくつもの寄り道しながら
(いくつもの足跡をつけて)
いつの日にか自分の道を見つける

「僕」が今まで残してきた足跡を見返した時や足跡を付けている際に自分の進むべき道を見つける捉え方であれば迷いながらも先へ進んでいくという意思の表れが見れるけれどこの後に「ジレンマ」と二回繰り返しているあたりどうしても決めきれないもどかしい「僕」と先へ進むと決めた「僕」との葛藤が苦しさを交えながらも相対しているからこそ「どっちへ進めばいいかわからない」と謳っているのが最終的な僕にとっての結論だったのかな


選択の答えが出ないまま終わる歌詞に曲調は世界の広さを感じさせる壮大な感じなのに対し後半になるにつれて曲調が速くなっていくのが時間の流れや焦りみたいなものを感じたしそして悩みながらも最後まで答えを出さない不器用な「僕」の心情を表した楽曲だった。この楽曲での「僕」と「君」が今回自分が書いたような捉え方とはまた違う様々な捉え方があるのは当たり前なのだけれどその別の捉え方だったりどれだけ自分が捉え方を増やしてたり変えたとしても最終的に行き着く「僕」と「君」への解釈がどうしようもなく不安定だけれど懸命に響き膨大で寄り添ってくれたものを連想させてしまうのがこの楽曲による最高最大の代償であってそれと同時に救われた人も多いんじゃないかな。自分もその内の一人なのだけれど

MVは荘厳な美しさを帯びたしっとりとした疾走感が際立っていてみんな切なげな感じなのだけれどほんとり冷えた寒さと空気感を感じさせてくれた

背景に組み立てられているオブジェや旗は今まで活動してきたことの証明みたいなものだと思う。オブジェや白旗が古くなっているのは「僕」が迷い続けたものを表しているのだろうか。それがまだ立てられている所を見ると現在も迷い続けているという風にも思える

掲げていた腕を胸元に下ろす動作は「僕」が決心をする瞬間で螺旋状の陣形は「僕が廻ってきた時間」なのかな

そして胸元に手を下ろしたまま螺旋状の陣形から抜け出し握っていた手を離した瞬間と同時に螺旋状の陣形も崩れていくのが見える。これはどこか寂しげな表情と決心した「僕」と残っている「君」の別れの始まりみたいなものを表しているのだと思うし螺旋状の陣形が力強く見えるのが何よりも「僕」が廻ってきた時間は確かなものだったんだなと解る

Aメロが始まると木々が生い茂っていたり自然がより感じられる場所に変わると同時に青みを帯びた衣装にも変わり全体での振り付けになっている。MVの中で衣装が変わるということは少なからず意味は込められていると思っていてそれが今回で言うと白色の衣装が「君」で青色の衣装が「僕」ということなのではないかと思っている。この構想をメンバーにあてて考えてみると「僕」はセンターのことを指しているのだと思うのだけれど先程言ったように青色の衣装を「僕」と仮定するならばこれはセンター個人でもありメンバー全員のことを指しているという意味合いにもなるんじゃないかとも思っている

メンバーが鏡に手を伸ばしていたり顔に手を添えていたりするシーン。恐らく「何かを捨てる」という行為の代償として「僕」に残るものは何かと捨てた後に残っている「僕」自身に問いかけているのが鏡に映っている「僕」なのだと。客観視したことによって見えた自身の姿が「僕」ではないからこそ自身を保つために「僕が僕でいるために僕じゃなくなる」と重ねているのだと

1サビが終わると再び鏡と出くわすシーン。先程とは違く立ち止まるのではなく横目で通り過ぎている姿が見られる。ここでの「僕」は決心をし歩き始めたということなのだろうか

2番Aメロに入ると先程と同じく青みを帯びた衣装のままで冒頭のシーンの場所に戻る。1番とは異なりメンバー同士でのやり取りや目を合わせたり楽しそうな表情が見られるシーンが多くある

2サビ後半は一転し今度はAメロの場所に戻るのだが白みを帯びた衣装になり暗闇に包まれた中でのシーンとなっている

ここで冒頭から見られた仮面について、これはヘッドピースと呼ばれていて見てる限りではメンバー個人によって形状が違うと思われる。モチーフとして仮面が出てきたけどずっと付けている訳ではなくて外してちゃんと顔が見えるようになってるのがとても良いなと感じる

暗闇の中でヘッドピースを付けてパフォーマンスしているのは「僕」の迷いや葛藤みたいなものなんだと思う。ただヘッドピースを付けている時は1人の時であって他のメンバーの前では決して付けていないのを見ると「僕」の中の突き通すものがあるのだと思う

青みを帯びた衣装のシーンはヘッドピースを着けた「僕」が見ている過去の回想でそれが額縁の中の世界ということになり白みを帯びた衣装になったシーンからは現実が交差して一人になることを理解した「僕」がヘッドピースを取り涙と共に旅立っていくという未来を表しているのかな

このシーン、歌詞とは違いメンバー全員楽しそうな表情が見られる。歌詞の通りジタバタとしているようにも思えるけれど迷い続けているその状況でさえも逆に楽しんでいるようにも見えるのが覚悟を決めた「僕」の姿そのものを表しているようで

ラスサビは再び冒頭の場所に戻り白みを帯びた衣装で「僕」の別れ方を受け入れた「君」からの送り方が抱き締め合うのがとっても素敵だし送り出す際の「君」に悲しみの感情が見えないのが「僕」に対しての決心にも思えて

「どっちへ進めばいいかわからない」と謳っているのにもかかわらず歩き出した場所で拳を握り締めたのを見ると「わからない」の言葉の中に「僕」の覚悟が見えた気がした

最後に映る花はカスミソウ。花言葉は「無垢の愛」「感謝」「幸福」、歩き始めた「僕」へ向けた奨励なのかな

個人的に好きなシーンは一人とその他の構成になっているこのシーン。メンバー同士がオブジェとなり腕を伸ばしている。まるで「君」が「僕」を引き留めようしているように見える。画面越しからでも伝わる指先への力の入れ具合。本当に好きだ

そして所々で思わせてくれた、思い出させてくれた振り付けやポーズが見られるシーンがあった。忘れかけていたあの日あの時に感じた確かな温度と響き方をもう一度確かめることが出来たような気がした。MVを見終わった後に不意に振り返ったり確かめたり重ね合わせたりしてしまった。それは別に悪いことではないのにやはり片隅に残ってしまっているものがあり苦しくもなったり。それでも心が締め付けらるような感情にしてくれたのには連想したものとどこか重なったと思わせてくれるものがあったからなのだと思う




「渡邉理佐 卒業コンサート」

2日間配信で見ました

彼女自身を、彼女たちも、そして応援していた自分も救われた気がして。どこか片隅に想っていたことを彼女たちがその楽曲をパフォーマンスすることによって背負っていたものが全てとは言えないけれど、少しだけ助けられたと思う



「無言の宇宙」

彼女は彼女たちはまた優しくしてくれた。この楽曲でもう一度優しくしてくれた。今回のコンサートが寂しさで溢れてしまうと解かっていながらも一曲目から優しくしてくれた



「二人セゾン」

久しぶりだったけれど彼女たちは変わっていなかった。人に寄り添ってくれることに対して何一つ変わっていなかった。9人なのにも関わらず忘れかけていた確かな温度と記憶を何回も感じられたし感じさせてくれた。この写真のパフォーマンス、偶然にも3×3×3の構成が出来たことに加えある程度の形となっていたのが奇跡だった。一人一人が力強くなっていたことで変わっていないと思わせてくれたのかもしれない


悩んでいることや悩んでいたのことの間違いや正しさの理由を今になって理解出来た気がしたし彼女たちが気づかせてくれた「制服と太陽」。そして"傷つき挫けながら歩き方を覚えるもの転ぶ前にそう初めから手を差し伸べられたらいつまでも強くなれない"というこの歌詞にどれだけ救われたことか、今だって救われてる本当にありがとう



「世界には愛しかない」

相変わらず今でも青年期の衝動的なものを感じさせてくれるし叙情的に描いていると思わせてくれる。"君に会えるのならそれ以外はどうでもいい"、"ただ君に会うために走り出す"という感情に世界には愛しかないという膨大な表現を使っているのが変わらないし、この楽曲は昔からずっと響かせてくれる。本当に大好きだ


「五月雨よ」

パフォーマンスは今までとはまた少し違う感じで、歌詞そのものを動きで伝えていくような振り付けだった。歌詞のそのものを伝えてくれるのは今までだってそうだったのだけれどこの楽曲ではシンプルな振り付けになっていて柔らかく穏やかな雰囲気が漂う。胸に手を当て優しくなだめるような仕草や握った両手を胸のあたりで回す振り付けが引きで見た時の全体の抱擁力がある。メンバーの表情がよく見え楽曲全体を通して一体感のある楽曲だなって


「僕のジレンマ」

パフォーマンスは21人全員で。個人的に1サビ前、隊列に3人が並んでいて前はしゃがんで真ん中は立っている構図から2人で胸元に組んだ掌を弾かせた後に残りの1人が後ろから前に出てきて三角形の陣形となる振り付けが好きです(伝われ)。MVとは違いラスサビ直前で渡邉理佐さんに1期生が駆け寄り抱き締め合うこのシーンが本当に良かった


「太陽は見上げる人を選ばない」

彼女たちに不安なんか一切なくて絶対に大丈夫だと思わせてくれた。最初の"誰かに何かを言われてここから動きたくなんかないこの場所が好きだから今僕は自分の足で立ってるんだ"、というこの歌詞を2期生がパフォーマンスしていたのが嬉しかったし本当に良かった。たった数十秒のパフォーマンスなのだけれど確実に響かせてくれたのが印象に残っている




「Documentary of Risa Watanabe」

謙虚な彼女の少しの勇気と優しさを見させて貰った気がした。無邪気で自ら行動に出るタイプではない彼女が腹を括って孤独になり繋いだものがあった。でも彼女は決して孤独ではなくて。いつだって強くて繊細で人を想う気持ちがあったからこそ崩れかけたものを維持してくれた。何度でも抱き締めて受け止めてくれた時だってあった。それは最後まで彼女自身が信じて貫き通すものがあったからなんだと。そんな彼女を応援出来たことをとっても誇りに思う



これからだって彼女は進んで行くし彼女たちだって進んで行く。寂しさだけはこの先もずっとあるし無くなることはないけれどきっと大丈夫だとまた言ってくれるはずだ。だって腕を下ろしたくなる時や、泣きたくなる時でさえも、優しく寄り添ってくれることを伝えてくれたのだから



臆病だったのに勇気をくれてありがとう

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