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倉本聰「ドラマへの遺言」読了 - 「やすらぎの郷」を鑑賞しつつ

 テレビ・ドラマ界で脚本家の存在がクローズ・アップされているようだが、最近は「セクシー田中さん」(2023年・日本テレビ)の脚色を巡って、脚本家と原作者が見解を異にしているとか。このドラマは大変気に入って記事にも書いたことがあるのだが、これが「本来の姿ではない」のならいったいあの時の感動はなんだったのか ? と一視聴者としてはいささか興ざめである。この件に限らず、ドラマ制作の裏事情とか楽屋オチとか、制作陣の身内のかばい合いのような話はもうお腹いっぱい。初回放映時の「完成品」を見せるだけでは勝負できないんですかね。制約の多い中、成果を産み出さなければならない仕事は他にもたくさんあるのだが、いちいち言い訳なんかしないで審判を甘んじて受けるのが「プロ」なんじゃなかろうか。

 昨年逝去された脚本家、山田太一さんの作品を追っていて、ふとご存命の大家、倉本聰氏のことが気になった。本棚にあった「ドラマへの遺言」 (倉本聰碓井広義 新潮新書 2019年)はなぜか未読だったのだが、読んでみると実に面白く、示唆に富む。当時83歳で久々に書いた連続ドラマ「やすらぎの郷」(2017年・テレビ朝日)か話題になったことがきっかけで、業界での「弟子」を自任する碓井広義氏がインタビューした内容をまとめたものである。「ドラマへの『遺言』」とは思い切ったタイトルだが、今のドラマ界を憂えて言い残しておきたいことがたくさんおありなのであろう。もう、いまさら怖いものなどない方らしく名指しで批判されている人も多くいる。言われた人はさぞかし耳が痛いことだろう。

「シナリオライターには2つの役割がある。プロットを作る仕事と撮影台本を作る仕事」「ですが、日本では原作あるなしに関わらず、書き手はひとくくりにされていてそれがテレビドラマの弊害の一つになっている」「若造がいきなりオリジナルシナリオを書くなんてあり得ない。十数年は経験を積まないと駄目」「フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞したからといって、いきなり素人にオリジナル脚本を書かせるのはどだい無理な話」。役者のことも「長い目で見ていない、育てようとしていない。売れるうちに全部売っちゃえ、というような」。

 昔とはおかれている状況が違う、と関係者には言われそうだが、なぜ、最近のドラマには失望することが多いのだろうかと素朴に疑問を持つ視聴者としては、なるほどと腑に落ちる指摘である。

 さて、その倉本氏の脚本の「やすらぎの郷」もこの機会に視聴してみた。1話20分×129回、結構な時間になったが、DVDレンタルしたこともあってまとめて一気に観た。
 舞台は海辺の高台にある「やすらぎの郷(さと)」という老人ホーム(ロケ地は川奈ホテルで、今回のキャッチ画像でお借りした)で、一世を風靡したテレビ界に貢献した人たち。主人公となる元・人気脚本家の菊村栄石坂浩二を迎え、浅丘ルリ子加賀まりこ八千草薫野際陽子有馬稲子山本圭ミッキー・カーチスなどかつてのスターたちが綺羅星のごとく出演する。昔からのドラマファンは、それだけでもワクワクしてしまう。

 菊村は、女優であった妻・律子(風吹ジュン)と死別したことをきっかけに自宅をたたんで、大物篤志家が芸能界の貢献者のために作ったこのホームに勧誘されて入居する。ここで再会した老いた仲間たちとの悲喜こもごもが描かれるのだが、その底流には入居者たちの近い将来訪れる死への想いがある。この万感の想いは倉本氏が直面していることでもあろう。

 ドラマ鑑賞記としては、良いところも感心できないところも。まず、最初から登場する八千草薫の可憐さ、美しさには感動ものであった。この年代でこれだけ美しく歳を重ねた方は芸能人でも稀有な存在ではないだろうか。劇中、(八千草さんの役上のあだ名)はガンで死去するのであるが、八千草さん自身も2019年に逝去されているので、近い将来のことを想いながらの演技をどのように考えていたのだろう。大スターだった自分の亡くなったあと、こんなに皆が悼んでくれるところを見ることができて、役者冥利につきると思われたであろうか。野際陽子演じる元・女優、井深涼子は知的風貌で異彩を放っていたが、野際さんご本人の死去で退場した。このキャストではこのようなこともありうるのである。昔のドラマでイジワルなおばさん役で常連であった冨士眞奈美演じる嫌われ者の犬山千春は、入りたくてもホームに入れず、旧友のしのぶ(有馬稲子)を詐欺被害で傷つけるきっかけを作り、すごすごとホームを去る。その後、マンションから転落して自死するというつらい結末である。彼女がアメリカでは全く目が出ずどん底だったのにも関わらず、ホームの皆の前でスピーチを求められたときに、あんなに泥酔していてどうなるんだろうと思っていたが、アメリカ人の老境にある役者のエピソードを熱く語ったシーンは感動的であった。高齢の出演者たちは活舌が今一つでセリフのテンポも心もとないのだが、彼女と石坂浩二だけはしっかりしていて感心した。藤竜也演じる往年の任侠スター高井秀次が終始、千春に優しく接するところもよかった。

 今一つだったのは、バー・カサブランカのバーテンダーを務めるハッピー(松岡茉優)が街のワルたちにレイプされたというエピソード。直接的なシーンはなかったものの、これは必要だったのだろうか。その後老人たち3人がリベンジしに行きレイプ犯たちは見事にやっつけられるのであるが、いささか漫画チックな描かれ方をしていて、ことの深刻さが薄れてしまう。20歳の女の子が複数の男性から襲われる心身の痛みは、4日間寝ていただけで解消するものではない。ドラマの感想欄にもこのエピソードだけは嫌いという声が多いようだ。ただ、老女優たちがハッピーに「忘れなさい」と言ったことへの批判もあるのだが、私はこのシーンは、ある意味彼女たちの昔の「真実」なのではないかと感じた。すべてではないだろうが、女性芸能人が権力のある男たちとの間で何があったのか、今となっては想像に難くない。望んでいない事態になったときは「忘れることよ」と自らに言い聞かせて彼女たちはここまできた。倉本さんは、そんなことも暗に示したかったのではないだろうか。

 高齢の懐かしい役者さんたちが勢ぞろいで嬉しいが、ちょっとこの設定、描写かはどうかな、と思うところも多々ある。石坂浩二の元妻、浅丘ルリ子と元彼女の加賀まりこの競演は、放映当時も話題になっていたようだが、あまりよい趣味とは思えない。浅丘ルリ子は厚化粧、加賀まりこは「賞を獲れなかった女優」とはイジワルいなあ。石坂浩二は、私の子どもの頃は知的イケメン(当時は「ハンサム」「二枚目」と言った)の代名詞だったのだが、この作品でのイロボケジジぶりはどうだろう。最終話では若い娘とコトがならず、失禁して世話をさせるというエピソードがあるが、石坂さんになにか恨みでもあるのだろうか。
 
 ドラマの冒頭では、素晴らしい環境で老後の桃源郷にも思えたこのやすらぎの郷だが、結局ヒマな老人たちは他人の噂話をするしかないので、秘密も何もない。入居者たちは仕方がないが、高級老人ホームにも関わらずスタッフがお粗末で、入居者の噂話はするは、本人たちの前で「ポックリ往く」とかことば使いにも配慮がない。いくら本人たちから金をもらっていないとはいえ、今時こんな対応をしていたら普通の老人ホームでもクレームになりますよ。主人公は最後にまたここに帰っていったが、実はもうどこにも行き場がない、ソフトな牢獄になるかもしれないと、私もちょっとイジワルなことを考えないでもなかった。本作には続編があるが、すぐ観るかどうかは微妙である。

 そういえば、実は私は「北の国から」(1981年・フジテレビ)を観ていない。当時、裏番組の山田太一さん脚本の「想い出づくり。」(TBS)を観ていたためだが、山田さんも倉本さんもお互いに視聴者をとられたと言っているのが面白い。仕事で富良野に行きタクシーに乗った時に「倉本先生はお元気でしょうか」と話題にすると、よく話をしてくれる運転手さんもいて、この作品や倉本さんが現地にどれほど貢献したのかがわかる。これからでも「ふらの三部作」を観てみようかな。