見出し画像

山田太一 トリビュート #3 ~「岸辺のアルバム」を拾いあげたら

 2023年11月に逝去された脚本家、山田太一さんに感謝を込めて記します。

 私が初めて山田さんの作品に接したのは、1976年、この「岸辺のアルバム」が新聞に連載された小説を偶然読み始めた中学生の時である。あとにも先にも新聞小説を読む習慣などなかったのに、なぜ目に留まったのか全く記憶にないが、面白くて次が楽しみだと家族やクラスメイトと話題にしていたことを覚えている。そのうちテレビドラマ化(1977年・TBS)が決定し、キャストが発表になり、田島家の娘の律子中田喜子になったと聞いて、母が「あら、ぴったりね」と言っていたことを思い出す。

 一見して幸せそうな中流家庭が、実は家族がバラバラの虚飾にみちていることがしだいに明らかになり、崩壊寸前となるが、多摩川水害によりマイホームが流されたことをきっかけとして再生の途を歩む。
 
 このドラマでもっとも衝撃的だったのは、貞淑イメージそのものの楚々とした八千草薫さんを、日中、男性と密会することになる主婦、則子に据えたことである。これは制作する側にとっても大変な冒険であったであろうが効果は絶大で、八千草さんはこのドラマの成功の最大の功労者と言っても過言ではないと思う。山田太一さんもエッセイで、一度は不倫をする役に難色を示され自ら説得することになったが、もともと彼女の大ファンだったので汗を拭きふきだったと述懐している。そんな登用なので、八千草さんを美しく撮ることは至上命令だったのだろう。男性と深みにはまっていくことへの戸惑いの表情や、子どもたちを「律子ちゃん」「繁ちゃん」と呼ぶことばの優しいトーン、ワンマンの夫に意を決して気持ちを述べるシーンは限りなく美しく、ひとつの女性の理想像にもみえる。だが、このドラマは、そんな八千草さんを渋谷の連れ込み専用の安宿に向かわせるという、いささかサディスティックな扱いもするのだ。
 
 相手役の北川徹は、当時の人気二枚目俳優、竹脇無我。この優等生的なイケメンだった人に貞淑な人妻の誘惑者をさせるとは意外だが、最初は津川雅彦の役との逆バージョンを考えていたという。断然、ドラマの方がよい。ある日いきなりかかってきた電話に、指定された喫茶店に出向いた則子だが、待っていた彼を見てこんな人なのかと驚く。教養深く、話題も豊富な彼との逢瀬は楽しい。そんな中、夫の同僚の妻で余命いくばくもない川田時枝(原知佐子)が、平凡な人生だったとみえて実は男子学生を買春していたと則子に告白するエピソードがある。「あいつを買っているとき、血が燃えるような気がしたわ」という当の相手は、会ってみると打算しかない冴えない青年であった。この男と見比べると、自分が北川に惹かれるのは無理からぬことと、どこか正当化したいような気持ちになったのかもしれない。

 いつも不機嫌な娘の律子(中田喜子)は、一流大に合格し、思いのままのようにふるまっている。母親のようなつまらない人生は送るまいと思い、未知なる世界に足を踏み入れることにもためらいがなかったが、思わぬ落とし穴でアメリカ人留学生にレイプされて妊娠してしまい、一躍どん底に落ちる。助けてもらった弟、繁の高校の教師、(津川雅彦)の人生観と静かな弁に心を開き、惹かれるようになる。この堀を当時のプレイボーイ風イケメンの代表イメージの津川雅彦に演じさせたのも妙である。彼が「30過ぎの薄汚い高校教師」などと自虐しても今一つ説得力がないのだが。なお、この頃は、顔だけは良いなどと言われていた津川さんが、晩年には名優となったので(大河ドラマの「葵 徳川三代」の徳川家康は史上最強の家康である)、役者はすごいと思う。

 息子のを演じるのは、当時の若手人気俳優、国広富之。八重歯で笑った顔がかわいい。大学受験を控えながら家族の問題に胸を痛めており(当時高校生だった私は痛く同情したものだ)、家族の平和を取り戻そうといろいろと動きまわるが空回りする。最後には「うちの家族は偽善のカタマリ、ロボットだ  !  」とそれぞれの秘密を暴露して、父親と取っ組み合いの大げんかをして家を出てしまう。そういえば、「偽善」ということばを使わなくなって久しいことに気が付いた。繁は若いときの純粋な正義感、潔癖さを体現しているのだろう。

 今回、このドラマを再視聴して、もっとも感じ入ったのは、父親の田島謙作(杉浦直樹)の悲哀である。私の父親世代の謙作は、戦争を経て、良い大学を出て、良い会社に入って懸命に努力すれば明るい未来が待っていると信じ、一心不乱に働いてきた。家族のことを顧みる暇もなくすべて妻任せであったが、自分が企業戦士として頑張ることが家族を守ることなのだと迷わなかった。多摩川沿いに建てたマイホームは、ルーティンのように撮り続けた家族写真のアルバムとともに彼の幸福の象徴であり、心の拠り所であったのだろう。その信じてきたものがもろくも崩れ去り、何もかもを失おうとしたときに、自暴自棄にならずに息子や妻と向き合おうとする謙作の姿に感銘を覚えた。杉浦直樹さんは山田作品の常連で、このような不器用な中年男性を演じさせると右にでるものがいなかった。

 山田太一さん自身も、多くの自作の中でもっとも印象に残る作品と述べ、テレビドラマ界の至宝とまで言われた本作であるが、好事魔多し。「人物たちの変化を偶発した災害に頼るのはフェアではない」と批評されたそうである。「洪水がなかったらどうなっていたのか」と。ドラマツルギーだかなんだか演劇理論によるものだそうだが、そんな知識は全くない一視聴者からすれば、この感動を前にして、何を愚かなことを言っているのかと思う。山田さん自身もよほど思うところがあったとみえて、この批評の話は何度もされている。「ドラマの最後に『3年後にこの家族がどうなっているのかはご想像にお任せする』と入れていることでご理解いただきたい」と穏やかに反論しているけれども。

 山田作品では、いつも音楽が秀逸である。オープニングに流れるジャニス・イアンの「ウィル・ユー・ダンス」は、揺らめく家族の心情を表しているようで心地よいけだるさである。たしかに歌詞通り、「ロマンス」と「ビッグ・サプライズ」に賭けてみる価値はあるのかもしれないね。