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「カーネーション」全話視聴 ~「朝ドラ史上最高傑作」の称号は伊達じゃない

 現在放送中の朝ドラから離脱したので、「口直し」をしたいと思っていて何を視ようかなと考え、「カーネーション」(2011年・NHK)の再視聴をすることにした。ちょうど昨年の今頃、一度オンデマンドで完走していたのだが、このnoteを始めておらず感想を記録していなかったので再トライすることに。半年分、151回を一挙に視たが、全く飽きることがないどころか、改めて深く感銘を受けた。私がエンタメ鑑賞の師匠と(勝手に)仰いでいる、早稲田大学の岡室美奈子氏は、本作を「朝ドラ史上最高傑作」と絶賛しているが、その称号は伊達ではない。感動さめやらないうちに書いておこうと思う。たいそう長文になりますがご容赦ください。

 本作は、「コシノ三姉妹」としてつとに有名な国際的デザイナー、コシノヒロココシノジュンココシノミチコを育て上げ、自身もデザイナーとして晩年まで服飾業界で職を全うした小篠綾子氏(本作では小原糸子)の一生を実話を基にして描いたものである。近年の朝ドラでは、ヒロインの職業がくるくると変わるが、本作では珍しく自分のやりたいことがはっきりしていて、生涯それを追求する。全編通して舞台となる大阪の岸和田の「だんじり祭り」との関わりは欠かせない。子ども時代の糸子(二宮 星)は冒頭に登場する大工方の泰蔵兄ちゃん(須賀貴匡)の格好よさに憧れ、将来自分もだんじりに乗りたいと願ったが女には無理だと言われ、最初の理不尽に遭遇する。しかし、後日「ウチのだんじり」ことミシンと出会うのである。子役登場の1、2週間の間に実に多くのエピソードがあり、それによって視聴者は糸子の家族関係や背景を知ることになるのだが、消化不良にならないのは上手な作り。

 本作には魅力的なエピソードはたくさんあるが、私は、糸子の仕事が順調になり、面白いように狙いがあたって突き進んでいくところが何より好きだった。私も糸子と同じように「仕事」も「おもろいこと」も大好きなので、糸子と一緒に、今度は何をするんだろうとワクワクして見ていた。寝食を忘れるほど夢中になれる仕事に出会えたのは、幸せなことだ。糸子は一見、自分本位に見えるかもしれないが、家族や従業員を守ろうとする責任感も人一倍強い。夫は戦死し、お父ちゃんも亡くなり、女だけになった小原家をしょって立つ。安岡のおばちゃんに罵倒されながらも「うちは、戦争にも貧乏にも負けない」と改めて誓う糸子。どこかで見たような、と思ったら・・そう、あの「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラではありませんか !   そうか、それでオハラ・イトコだったのね。貪欲に商売にまい進して、好きな男性(アシュレ・ウィルクス)に仕事を与えるが、それが実は彼のプライドを傷つけていたところもそっくりである。なるほど目が離せないはずだ。

 なお、見過ごしがちだが、本作にはひそやかな作り手の反戦主張があるようにも感じられる。本当は嬉しくもないのに、万歳三唱されて商店街から送り出され出征した男たちが、白い骨壺に入って帰り、葬送行列につらなるシーン。戦場に適応できない安岡家の次男、勘助(尾上寛之)の痛み。その勘助も再出征して帰らぬ人となり、息子を二人亡くした安岡のおばちゃん(濱田マリ)の長きにわたる心の崩壊。糸子の商売の隆盛の陰にはこのような人々もいたことをさりげなく織り交ぜて、戦争の悲惨さを訴え、静かに抗議しているようである。その一方で、女たちのおしゃれ心の飽くなきこと。戦時中でも素敵な洋服を見ると、自分も着たくなる。モンペ姿でも、めくってみたら華やかな生地。着物を活かしてモンペにするという糸子のアイデアは大当たり。戦時下でもちゃんと商売ができたはずである。戦争にめげずにたくましい女性たちの姿には、なんだか嬉しくなってしまう。

 キャストもまた、はまり役ばかりである。メイン・キャストでは、ヒロインを除けば、最優秀男優賞を父親、小原善作を演じた小林薫にあげたい。いくらあの時代でも、父親はあんなに威張っていたものなのかと思うが、名家のお嬢さんと駆け落ち同然に結婚したのはよいが、家業の呉服店はパッとせず酒浸りになるのもわかる。ただ、屈折してはいるが娘への愛情は実は人一倍ある。家にミシンを買ったのも、根岸先生(財前直見)に糸子に洋裁を教えてもらうようにしたのも、断腸の思いで糸子に店の看板を譲ったのもすべて善作である。小林薫は個人的にはあまり好みではないが、関西のアクの強いおっちゃんの役をやらせれば絶品。                        母親の小原千代を演じたのは麻生祐未。この方と言えば、奥村チヨの姪で、その昔、化粧品会社のキャンペン・ガールで市中に見事なスタイルの水着姿のポスターがあふれていたことを思い出すが、いまや良いお母さん役である。最近は悪女役もしているが、このおっとりした優しいお母さん役はぴったりだった。何よりも夫を深く愛しているところがよい。夫のヤケド痕の包帯はコワくて替えられなかったけど(笑)。糸子が、見たこともないイブニング・ドレスの注文を受けて仮縫いをしたドレスを着て、舞踏会のようにひとり踊っていたシーンの美しさは忘れがたい。すいぶん長生きして孫たちを見守っていた。最期に善作がお迎えに来たシーンも良かった。               糸子の祖父母、松坂清三郎(宝田 明さん・ご冥福をお祈りいたします)、松坂貞子(十朱幸代)、小原ハル(正司照枝)も名演でした。                    最後まで登場し、糸子とつかず離れずの友情を育んだ奈津(栗山千明)。栗山千明は、ちょっと口元が気になるのだけど、まあ美人枠。奈津役は終盤で江波杏子にバトンタッチするが、この流れはピッタリだと思った。     糸子の仕事のパートナーとしてずっと寄り添う、北村達雄(ほっしゃん。)。この人が最初に画面に登場したとき、誠に失礼ながら放送事故かと思ってしまった(笑)。まあ、綾野剛をイケメン認定するのは微妙なので、この人を近くに置くことにしたのかと思わないでもない。嫉妬から糸子と周防との仲を引き裂いた張本人なのに、厚かましく小原家に入りこんでいく。あきれていたが、ずっと糸子に思いを寄せていて、糸子の好きなカーネーションの花束を持っていったのに、鈍感な糸子に気付いてもらえなかったシーンには、ちょっとほだされた。

 この作品を語る上で欠かせないのが、ヒロイン糸子が人生で唯ひとり恋をした男、周防龍一(綾野 剛)である。登場したのはわずか3週間ほどだが、すっかり視聴者のハートをつかんでしまった。大体、方言があり普段は寡黙だが、いざとなったらしっかり守ってくれる男性なんて、好きにならない方がおかしい。妻子ある周防をあきらめようとした糸子に「オイも好いとった」と告白、思わず抱き寄せる。これでズキュンとこなかったら木石である。仕事のない周防が糸子の洋装店で共に働くようになるが、もちろん互いに知らんぷり。でも、周防のことを「ふと見てみると、必ずこっちを見てくれている」なんてもう・・恋愛ものに食傷しているはずの視聴者をキュンキュンさせるこのニクさ。尾野真千子との呼吸も慣れたものである(余談だが、この二人が、かつて「Mother」というドラマで共演、二人で幼い芦田愛菜を袋詰めにしてゴミ捨て場に捨てたシーンは・・思い出さない方がよいのかしらん・笑)。この恋は、糸子を愛する多くの人たちを傷つけるものだった。親戚縁者、従業員、商店街のおじちゃんたち、いつもは応援団のはずの人たちに責められた糸子をかばって、三人の娘たちが出てきて頭を下げた、というのが実話だと知ってますますビックリである。やはりコシノ母はタダモノではない・・・。                                               なお、周防と別れてからの糸子は、急速にガラが悪くなり、ここから見始めていたら脱落したかもしれない。全般にも岸和田ことばの癖が強くなったようで、もしかするとどこかからご意見が入ったのかも。もう、このドラマにがっちり心をつかまれてしまっていたので、いまさら抜けようとは思わなかったが。

 ドラマの後半を彩る、三人の娘たちがまた適役でよく書き分けられている。長女・優子(新山千春)はコシノ・ヒロコ。私が好きなのは彼女のような女性らしいラインの服である。ここでは、第一子として皆にかわいがられて育ち、優等生だがあまり競争心はなく、実は依存心も強いという典型的長子像である。新山千春は、母親役の尾野真千子より一歳年上とのことで、若い時期では画面にアップになると少し年齢を感じさせたが、だんだんよくなって、終盤の周防の娘と対峙するところなどの演技は光っていた。                                次女・直子(川崎亜沙美)は、コシノ・ジュンコである。コシノと言えば、ジュンコさんの独特の風貌が目に浮かぶ。「これが私。文句ある  ?」と言わんばかりの強烈な個性と自己主張は、こんな家庭環境から生まれたのだと納得。彼女の服を着て歩こうとは思わないが、劇中にも出てきたファッション・ショー風景は実に楽しかった。ファッションを通して人間は解放されうるのだという可能性を見せてくれたようで、今の閉塞感ある世相にも訴えかけるものを感じた。川崎亜沙美は、顔つきがよくてどんな人なのかと調べてみたら、なんとプロレスラーだと知ってびっくり。岸和田出身とのことでの抜擢か。取っ組み合いの大喧嘩をした優子は大変でしたね(笑)。     三女・聡子(安田美沙子) はコシノ・ミチコ・ロンドン。おっとりしているよでも、実は根性があるという役柄だが、少女時代が実にかわいい。テニスの途をすっぱりやめて、家業に入るという潔さ。デザイナーとして大成したあとのはじけた風貌の変化もユニーク。本作はデザイナーたちが登場するので、皆、服装がおしゃれでそれを見ているだけでも楽しかった。    

 そして、ヒロイン、糸子をほぼ全編にわたって演じた尾野真千子である。彼女がその評価を不動のものとしたのがこの作品であると聞いた。彼女がスティンガーの黒光りするミシンをまるで恋人のように愛おしそうにみつめるスチール写真があるが、それだけでこの女優はタダモノではないことがわかる。しかしながら、彼女自身の吸引力、というと今一つなのが残念だ。ドラマなど、オノマチが出るから観たい、とまではなぜか思わないのである。失礼ながらあまり知的にも上品にも見えないので役を選ぶ。大河ドラマ「麒麟がくる」では中途半端な役どころで気の毒だった。本作のような「なにわの女の一代記」はならばぴったりだが、なかなか制作される題材ではない。庶民的ながら美人なので、薄幸の役などはよさそうだ。最近の映画ではまた評価が高かったようなので、そちらの方が本領なのか。

 第128 話から糸子が夏木マリに替わったことには、どちらかというと反対が多いようである。夏木も悪くないが、オノマチなら最後まで演じきれたのではないかという意見である。私も尾野真千子の恐るべき演技力に感心したので、行けるのではないかと思っていた。実際には30歳ほどだった彼女が60代の糸子を演じているとき、体の動きやたたずまいが高齢者のそれで、とてもうまかった。しかし、最後まで視聴して、やはり晩年は「夏木糸子」でよかったのではないかと思っている。80歳代以降の糸子の特殊メーク、それにかける夏木マリの覚悟に打たれたのである。それから、適役の江波杏子奈津と、手をつないで(夢の)ファッション・ショーに出るには、尾野真千子ではやはり釣り合いがとれない。夏木マリと言えば、もともとセクシー系歌手で「絹の靴下」という大ヒット曲でフィンガー・アクションをしていたことを思えば隔世の感がある。夏木マリ編でも、最後までダレなかったところはすごいが、孫娘のエピソードだけは少々陳腐で蛇足だったように思う。なぜあの孫がグレたのか、なぜ改心したのかがよくわからなかった。夏木編になってからの脇役たちがいささか弱体化したのも残念だった。三人出てきた若い男性たちも、三人娘を育てたから今度は三人息子にしたのかと思ったが、あまり親しみの持てるキャラではない。店のスタッフも印象が薄い。恵さん(六角精児)、昌ちゃん(玄覺悠子)は結局どうなったんだろう。唯一良かったのは、病院のファッション・ショーで末期がん患者でありながらモデルとなった吉沢加奈子を演じた中村優子で、この人の輝くような演技はひときわ目を引いた。

さて、バイ・プレーヤーの好演を見出すのも連ドラを視る楽しみのひとつ。安岡家の泰三兄ちゃんを演じた、須賀貴匡は、衆目の一致するほれぼれするようなイケメンである。もっとテレビで見かけてもよいような気がするが、あまり美形の助演者はかえって使いにくいのか。            この泰蔵といつのまにか結婚することになった美容師八重子田丸麻紀だが、これも好演だった。恋敵なのに、奈津が恨んだりする余地がないほどの善人。                               安岡のおばちゃん濱田マリは、朝ドラヒロインの応援団の常連で、もう地位を確立していると言ってもよいだろう。糸子に「あんたは毒や」と告げるキツさ、長期にわたって自分の殻に閉じこもる我の強さ。身を落とした奈津を救えるのはこのおばちゃんだけだと説得した糸子も大したものだが、最初は断っていたのに翻意して、体調不良をおして奈津のところに出向いたおばちゃんの義侠心にも心打たれた。なお、この奈津を救い出すシーン、凡庸な演出ならば、1~2回を平気で費やしてすべてのやりとりを描くだろうが、視聴者に見せるのはおばちゃんの一言、二言だけにしたのがよかった。見なくてもどんな話をしたか、十分に想像できるのである。   

 本作の優れたところは、脚本や演者だけではない。椎名林檎の主題歌は、最初はなんだか艶っぽくて朝向きではないのかと思ったが、このしっとりとしたメロディーが心に染みるようになった。オープニングのアニメーションは、主人公がミシンとともに生涯を生き抜いたことを短い流れでよく物語っており、糸子に三人の娘ができた後には、牛乳瓶にさした糸子の好きなカーネーションの花を子どもたちと共に見上げるようになるという、なんとも微笑ましい演出である。カメラワークもよく、光と影の扱い方が秀逸。周防が糸子を工場で抱きしめた名シーンの美しさといったら比類なかった。劇伴も素晴らしく、糸子がくるくると動き回るときにつけられた「糸子のテーマ」とでもいうべき音楽が始まると、糸子とともに心が躍った。舞台の中心が小原呉服店→小原洋装店→ブティックで、糸子の人生の移り変わりと共に造りが変わっていくという設定もとても良かった。夏木編に変わった冒頭で、糸子がひとりでたくさんの大切な人たちの写真に囲まれて暮らしているシーンがあるが、同じように写真を飾りながら住み慣れた家に住む私は、思わず涙した。思い出の詰まったものも、「いまを生きる」ためにいつかは捨てなければならないことも、糸子の潔い生き方に学んだ。「断捨離」はたしかにスッキリして気持ちのいいものである。

 2回目の全話視聴を終えて思うのは、すがすがしい達成感と、制作者への感謝の念である。結局良作とはそれに尽きるのかもしれない。これからもぜひ、このような作品に出会いたいものである。      (6360字)