みざくらの樹 #13 - 朝ドラの「社会派」化に「ハテ ?」
先日、とある場所で大きなテレビ画面でNHK総合番組が流されており、ふと見ると「「虎に翼」徹底解説 」。解説委員がこのドラマの時代背景と秘話を徹底解説するという、あとで聞くと報道番組の一部のコーナーだったようだが、目に入ったときには近くに人がいなければ、思わず「うわあ」と叫んでしまいそうだった。すでにドラマのクレジットで「監修」「指導」者の多さにヘキエキ気味だったのだが、極めつけである。ずいぶんこの朝ドラに力を入れているんですね。そうすればするほど引いていく視聴者もいると思うのだが。
その空気を感じたのか、最近、ネット上ではやたらとこのドラマの擁護記事が出るようになってきた。それはそれで意見のひとつでかまわない。だが、脚本家が主義主張を表に出して本を書くのは今に始まったことではないと言い、「あの山田太一にだって、そのような作品があるだろう」などと書いている人がいたが(「車輪の一歩」のことね)、これは看過できない。イヤイヤイヤイヤ、違うって。速攻で全否定しながら、いったい何が違うんだろうと改めて考えた。
「主義・主張」を感じさせるドラマが悪いわけではない。山田太一脚本の傑作「男たちの旅路」(1976年~1982年・NHK)はドラマのバイブルのような存在だが、主人公の吉岡司令補(鶴田浩二)も、若い人たちに反発されたり、揶揄されたりしながら戦中派の主張をしていたけれど、観る方はドラマの一部として受け入れて、毎週土曜日の放映を楽しみにしていた。この「虎に翼」では何が違うのかと言えば、これが「朝ドラ」であることだ。観ると決めたら、毎日習慣になり朝8時にはテレビをつける。そこに情報過多気味の「主義・主張」が入ってくる。あまり使いたくないことばではあるが、「洗脳か」と疑う人も出てくるだろう。私はといえば、期間の半分放送されたところから入って過去の回を取り戻して観始めたものの、いまやリアルタイムではなく週末にまとめて観ることにしている。重くて難しい話が多く、このリクツっぽい私にして、一日の始まりに観るのは疲れてシンドイからである。
この脚本を書いているのは、気鋭の若い女性だという。義憤があり、主張があり、「このままではいけない」と与えられた立場を活かして先陣を切りたいというのもわかるのだが。SNSなどでご自分のスタンスを「説明」しているというのも(個人的には感心しないが)、現代のクリエイターのあり方なのだろう。でも、私たちロートル(ってわかる?・笑)視聴者が感じる違和感は、まさしく「それ」なんです。もう少し肩の力を抜いて、みんなが楽しめるものを作ってもらえないかなあ。
さらに言うと、声高な主張をすると、力でねじ伏せられる人と同じだけ反発する人も出てくるものである。真に人を説得するのには、相手に自ら悟ってもらうことが一番だ。以前の記事でも書いたけれど、史上最強の朝ドラ(の評価はゆるがないだろう)「カーネーション」(2011年・NHK)では、脚本家に反戦思想があったと思われるが、ドラマの一シーンだけで視聴者は「静かなる抗議」の意図を感じさせられても抵抗感はなかった。今もありありと目に浮かび、心に染みる。
「虎に翼」がドラマの内容としても失速しているように感じることは、前の記事でも書いた。もはや、主人公寅子(伊藤沙莉)をあまり応援する気になれない。寅子には欠点もあって、決して人間として完璧な人ではないと強調したいにしても、いかがかと思われる言動が多すぎる。悪意はないのだが他人の気持ちを汲まない発言をしてしまうのは、苦労知らずの人が多い。結局、寅子は総じて恵まれてきた人なのだ。そう割り切って観ればよいだけなのだが、この女性の成功譚には羨みもないが憧れも感じない。モデルとされる方が寅子と同視されてしまうのは少々気の毒だ。
終結に向けて、寅子の大学の同期生たちは魅力的だったので、ぜひ幸せになってほしい。特に、(実際に近くにいたらシンドイ人だが)終始一貫していたよね(土居志央梨)。事務所のパートナーの轟(戸塚純貴)とカップルになるなどという、安易な選択に走らないところはよかったが。また、これまた途を貫きとおした花江ちゃん(森田望智)にも幸あれ。彼女は誰がなんと言おうと再婚はしなかっただろうね。
あと放送も残り一か月。なんでも締めくくりが肝心である。このドラマが、さわやかな視聴感が記憶に残るような終わり方を期待しております。