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(26)2019年 西海市営バス

小説「大村前奏曲(プレリュード)」序章 Vol.26

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 やっとこの年の十二月初めになって二度目の西海である。ほぼ始発に近い列車で佐世保まで行き駅近くの埠頭から横瀬に渡った。佐世保と言えば軍港のイメージが強かったが近年になって駅と民間ターミナルが一体的に整備されいかにも「港公園」と言う洒落た雰囲気でリニューアルされているようだ。朝食も駅のコンビニで買ったものを公園のベンチで済ませることが出来た。ただ相も変わらずこの区間の鉄道は旧来のオレンジカードか現金で切符を買うしかない。一体いつになったら大村線全線でSUICAが使えるのだ。
 湾を横切るだけだったので朝のまるはちまるまる頃には横瀬に着いていた。佐世保港を出る時海自の埠頭には軍艦が一隻居たが米軍のものは見なかった。私は前にも言った通り防衛省ではただの部員である。実際のところ自衛隊のこととは無縁なのだ。船の形を見ただけではそれが駆逐艦なのか輸送艦なのか護衛艦なのかも判らない。
 横瀬では目の前にバス待合もあり面高から黒口を経由して西海市街方面へ向かうバスが来ている。だがどうやら一日にそのルートは一本らしい。事前に調べてはいたが念のため帰りのバスもチェックしておいた。こういう時は太川陽介のバス旅を見ているのが役に立つ。検索していた通り夕方4時前に面高方面から来るバスが西海橋東口に一旦立ち寄って大田和方面に向かう。西海橋東口に行けるのなら近くのコラソンホテルからの早岐行のバスに乗り継げる。日帰りで済みそうだ。
 バスと言っても県内四社の大手ではない。一応長崎バスが運行している様だが名称は西海市営バスなのだ。普通の大型バスは使用しているがコミュニティバスと言って良い。それに面高方面とは言っても正確には集落は通っていない。以前は中の船着き場のそばまで入っていたようだが。実際の停留所は面高郷にかかってはいるが名前は「遠照院下」(おおんしょういんした)でその寺自体は天久保郷なのだ。長崎バスのサイトでルート検索しても「おもだか」ではノーデータだった。
 とにかく黒口も含めてこの三郷は通学時間帯だけの市営バス以外は車で動くしか無い様だ。それも大病院やまとまった買い物となるとどうなのだ。車でも西海橋経由で早岐に出るしかない。佐世保となるとやはり船なのか。聞けば面高からは佐世保行きが午前中に三本、帰りが午後に三本らしい。大島、崎戸方面行きの船が立ち寄るとのことだが島に橋が出来た現在でも少ないとはいえこの本数が確保されているということは住民の足としては必要な経路なのだろう。まあ横瀬なら船の本数は多いので車で横瀬に出るというのが一般的なのかも知れない。
 さて、横瀬にはあの学芸員の方が迎えに来てくれていたのでこのバスには乗らなかった。歴史資料館も訪れたし地元の話も聴けてそれなりの成果があった気はするがまだまだピースが足りない。推理と言う言葉にもほど遠い。そこまで至るには根拠に乏しく今回も情報の断片の寄せ集め程度にしか無らなかった。
 その話は後日としてこの日の帰りは予定通りその「遠照院下」からバスに乗った。ちょうど小学校の下校時間で学校の前で子供たちがドカっと乗ってきてばらばらに降りていく。その光景の繰り返しだったが特に印象に残ったのはそのバスルートだった。
 西海市では直接郷と郷を結ぶそれなりの道路が整備されていると話した。このエリアとて例外ではない。にもかかわらずバスは山道に入ったり海岸線の狭い旧道を路線としている。市域の中心から西海橋を経てハウステンボスや早岐に向かう幹線に「小迎」という町があるのだが横瀬からそこまでの区間はかなり遠回りして海岸線を辿っていた。車社会を軸に道路整備が整っているとは言うもののコミュニティバス路線というのは旧来から有った「みち」を走っていることが多い。
 西海橋から早岐へ向かう西肥バスでもそうだった。ホテルと駅を繋ぐバスなのにぐるっと針尾島の各集落を一周するようなルートだった。車内で表示される料金も一度何百円まで跳ね上がって幹線道路に戻った途端に安く戻る、そんな感じだ。言ったように通学時間帯だったせいもあったかも知れないが、だからこそそう言うルートが古くからの生活道路でありもともとはその道しか無かったということなのだ。
 バス路線と言うのは近年短距離化、本数の減少化の傾向にはあるが鉄道と違い地元の生活には密着している。「バス旅」でもそうではないか。いわゆる過疎地のコミュニティバスもその例ではあるが都市部でも同じなのだ。乗り継ぎのポイントとして駅やターミナルだけではなくあの番組を見ているとかなりの頻度で郊外の病院やイオンモール、あるいは新興住宅地のセンター的な町が起点になったりしている。余談だが広島から岩国方面に抜けるには海岸沿いの駅ではなく住宅地の停留所が重要乗り継ぎポイントなっているのだ。田中要次になってからも含めて何度も番組で通っている。マニアの目から見ればこの区間は「阿品台北で乗り換え」と言う風に停留所の名前まで覚えてしまった。
「バス旅」の話で言うと最近の特徴ではやはり空港がポイントにはなっている。まあルールで禁止の高速バスが多いので究極の策にはなるようだが、高速バスの「下道利用」という裏技もあるので空港から次の主要都市までという乗り継ぎには使えたりする。高速バスや空港リムジンでさえも最寄りのICまではそれこそイオンや市役所など生活道と交差する市街地を回り道することが結構あるのだ。
 長崎空港の場合でもあてはまる。長崎市方面のリムジンは大村ではすぐに高速に乗ってしまうが長崎市内ではショッピングモールや出島を循環している。駅前だけに直結ではない。また佐世保、佐々町行の西肥バスの特急リムジンは一切高速を使わない。一本の高速で繋がっていないという理由もあるだろうが地理的に見れば使えない区間は無くは無い。生活道路と言う訳ではないが大村から国道筋で彼杵、川棚、ハウステンボスを経由して佐世保に向かう。乗降客も空港利用者にとどまらない。その意味では町と町とを繋ぐルートになっているのだ。料金は別にして時間で考えれば一旦駅まで出てなどと考えていると鉄道より案外早かったりする。
 バス路線と言うのはこのように旧来からの町と町を結ぶリンクなのは否めない。それは田舎でも都市部でも同じなのだ。バス旅の話に反れてはしまったが特に今回の西海の訪問ではそれを実感した。特に天久保と面高はかなり不便に見えた。佐世保に出ようとすれば面高か横瀬から船を使うしかない。それも今回の自分のルートを調べていてそう思った。おまけに横瀬から小迎に出る路線である。
 何かしら古くからの意味がある。この時はそう感じた。


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※「西海市営バス」は2024年現在「さいかい交通」に名称変更
※マップ中の「西海町」は「旧西海町」のことで現「西海市」


(続く)



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