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2018年 新大村と車両基地

 私は再びこの予定地を訪れた。国交省の局長のかばん持ちで来てから二度目である。何度も言うようだがやはり「官」の付く名刺は役に立つ。JRの広報課長とやらが相手をしてくれた。
「駅名はたしか新大村でしたよね。」
「ええ、諏訪は残して新たに新幹線併設の新駅として新大村が開業します。在来線には大村車両基地駅も新設します。そちらは竹松と松原の間です。新大村もご想像の通り大した乗降客は望めません。大村駅に新駅を併設する案もありましたが用地確保の問題からもこちらになりました。ならばいっそのこと車両基地駅と併せて宣伝した方が少しでもアイキャッチになるということでしょう。何せ日本初の駅名ですから。」
「鉄っちゃんたちは喜びそうですね。」
「それはそれで大変ですけどね。安全確保やら警備やら。」
「ところでICカードはどうにもならないんですか。」
「さあ、広報にも苦情は来ていますが担当部署からは何とも。」
 たあいもない話をしながらここからの景色を見ていたらちょっとしたイメージが頭をかすめた。
「空港への引き込みは計画には無かったんですか。」
「関西空港のように、ですか。でもここは大きく事情が異なります。遠方と長崎を行き来するのなら飛行機が鉄道かのいずれかです。それに博多駅からの高速バスも日に何本もあります。空港と鉄道を結ぶ意味などここでは皆無でしょう。直通で長崎までつながっただけで十分だと思います。先の九州新幹線の折も長崎やハウステンボスに来たお客様からは反って乗り継ぎがややこしくなったとのご批判もありましたから。それにこと大村への用件の場合は飛行機が便利でしょう。私の立場では言いにくいですが時間も速いし値段も安い。この駅の乗降客はそんなに多くはまず望めない筈です。」
 なんだか少しもったいないと思うのは私だけか。鉄道が無理なら直通の高架道路ぐらいあっても良いような気がする。陸自の近くも通れるし。でもまあ何年もかかってやっと区画整理で市内を整備したようだから県も市もすぐには手を着けられないだろうが。
 そのまま私は帰路に着いた。家賃は高いがまだ引っ越しはしていない。鉄道一本で長崎駅へ向かえるので空港のショップは今日はお預けだ。あちこち県内を回っているとどこへ行くにしても大村を起点にした方が便利なことが分かってきた。この県で大都市と言えば長崎と佐世保ということにはなるのだがこの町には主要な役所や施設も多い。もちろん空港が一番大きな要素だ。現在でこそ県庁所在地ではないがこの地域の中心はやはり大村なのだ。どうせ県庁に朝イチで出勤することは無いのだから大村でハイツでも借りるのが得策と思っている。家賃も随分節約できそうだ。住宅手当の範囲には収まれば有難いが。
 コンビニ飯をがっつきながら道路地図を見ていた。区画整理したというのに何故こんなに複雑なのだ。確かに一度レンタカーで市内を巡ったがどこからどこへ行くにも結構同じ道をグルグル回らされた。交差点の表示も右も左も同じ目的地だったりする。タクシーで知ったかぶりして道を指示したらかえって遠回りで高くついたこともある。国道筋から空港橋に入るのでさえ信号一つで一本という造りではないのだ。
 昼間の空想をもう一度考え直してみた。果たしてそうなのだろうか。すんなり道一本ではつながない方が良いのかも知れない。今の道路割は昔の城下町のように敢えてそういう計画なのだろうか。玖島のもとの城下近くはさほど複雑な町割りはみられない。海城ということもあるのか城に接した町は小規模なものだ。まあ駅の辺りは少しややこしいがこれはこれで別の要因も大きいだろう。気になるのはやはり空港対岸エリアの、それもさほど離れていない場所に自衛隊や免許センターも含めた警察関係など治安部門の施設が集中していることだ。
 地質のせいもあるかも知れない。この辺りは扇状地堆積物の末端部分だ。コンビニや外食などロードサイド店舗は可能だが空港が近いとはいえ高層ホテルやマンションは難しい。現実にビジネスホテルもあったりはするが明らかに低層建てである。それに歴史的に先にこの辺りを占有していたのはやはり旧軍なのだ。明治以前からから馬場や荒れ地のままで残っていたこの場所に軍の部隊を駐屯させ広い土地を訓練に使えるというのは好都合だったかもしれない。となればやはりここは軍事都市であることを認めざるを得ない。それに市街地のこの駅より北側の部分はやはり「T字の要」なのだ。
 軍事都市だとしても一佐がつぶやいていたように海外からのみならず国内でもさほど軍隊の町とは思われていないだろう。ミラクル9だったら「基地の町と言えば」の問題にたぶん大村は答えとして出てこない、よく出たところで十二位タイあたりか。おそらくブーで圏外だ。
 んなことはともかくここ大村は空港をはじめ駅や道路、商業施設や全ての都市施設を含めて。歴史の中ではひた隠しにされてきた広域要塞都市なのかも知れない。そういう目で見ると地図の見方も変わってくる。度が過ぎることは承知だがあの「第三新東京市」を連想してしまった。大村湾が芦ノ湖に見えてくる。さすがにそんなことは空想の世界なのだが。ここの未来を一佐はどうしたいのだ。私は何をすれば良い。ただこんなことを思うのは少し私の仕事が見え出して来た証拠なのだろうか。だが長い仕事にはなりそうだ。十年どころではあるまい。

2018年 多良岳 ◁ ▷ 2018年 T字の要

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