空海 朱に交わった男?

高僧空海は遣唐使で唐に渡り、例の密教を会得して帰国したことで有名です。しかし遣唐使は、朝廷から派遣された最澄とは異なり自費によると言われています。現在では費用の大きさの想像も出来ませんが、空海は讃岐の生まれでそれほど資産をもっていたとも思われません。
そこで巷間言われていたのが『水銀』、当時は『朱』を採取して財をなしたのでは無いか、と言う事です。
『朱』は実に貴重な資源であり、かの東大寺盧舎那仏(大仏)の鍍金(まぁ、メッキ)にも多量に使われていますし、神社の塗装、朱書き用、少し前には古墳の石室の中にも多量に使われていました。簡単に言えば、金(ゴールド)は、水銀とアマルガム(混じり)状態になり、これを仏像の表面に塗布した後、温めると水銀だけ蒸発して金が仏像表面に残る訳です。
これは今考えると危険極まりないですね。水銀蒸気を作業する人達が吸い込んでしますからです。水俣病なども水銀が要因になった訳ですから。
でも『朱の赤』は実は縄文時代から使われていたようです。理由はわかりませんが、『血』を連想して生命の何かを感じさせるのでしょうか。
いすれにせよ、空海が生きた時代には『朱』は大変貴重なものだった訳です。
さて、この『朱』すなわち、水銀化合物は、日本では国内最大の断層である「中央構造線」に沿って多量に産出するのです。下図の赤いラインです。

日本の主要構造線(断層)

古代で知られる『朱』または『丹(に)』は伊勢、奈良、徳島、大分の近くで産出したようです。
不思議と『空海』が建立した寺院がこの中央構造線に沿って分布していますね。高野山なども、近い、近い場所にある訳ですから
『朱に交わった男…空海』と呼ばれても不思議はありません。伊勢には、丹生比売神社もあり、有名な丹生水銀鉱山があります(現在は、廃坑)。
讃岐にある四国八十八ヵ寺も、怪しく構造線に近い訳です。
そう考えて見ると、空海は現代で言えば『山師』だったと言う推測も強ち嘘とも言えなさそうです。

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