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山の辺…山の手

古代の奈良には東部の山の裾野を辿る道があり、これを『山の辺の道』があります。これは、奈良盆地が池の底のような湿地帯だったからです。現代こそ排水も下水を使ってできますが、当時は水が溜まって、これが乾燥するまではそうとな時間が必要だったに違いありません。
すでに掲載した図ですが、再掲します。

奈良盆地と山の辺の道


でも現代でもこの湿地帯の現実は変わっていません。
1週間ほど前ですが、『藤原京跡にコスモスが一面に咲きました!』という案内がテレビで流されていました。
では平城京跡は、

草むらのある平城京跡

では藤原京跡はどうでしょう?

藤原京跡と一面のコスモス畑

では、飛鳥京の跡はどうでしょう?

飛鳥京跡は田んぼの中

要は、広い面積が必要なために湿地帯でも仕方なく平地に京を築いたのです。
もし、跡地が住むのに適していたとすれば、当然都が去り、遷都した後に、こぞって住宅が造られたはずです。
では、
山の辺(Yama-no-Be)ローマ字になりますが、東京地方では高級住宅地
山の手(Yama-no-Te)ローマ字になります。立った一字違いですね。
      ★『手』とは、ある方面や方角を表します。
これから見ると古代には山の辺の道沿いは『高級住宅地』であったと言えそうです。


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