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新薬師寺の修二会・お水取り(4月8日)は、なぜ行われるのか? …光明皇后と紫徽中台の謎

 4月8日には、東大寺の僧を迎えて、新薬師寺で修二会(お水取り)が東大寺のお水取りと同じように行われるのをご存じでしょうか?
 本当に近くで『お松明』を見ることが出来ます。夕刻から『修二会(お水取り)』が挙行され、結構迫力があります。新薬師寺の境内でご覧になれます。下の写真は新薬師寺ホームページに掲載された修二会の様子です。

新薬師寺お水取り

 では、なぜ『新薬師寺のお水取り』はこの寺院で行われるのかご存じでしょうか?
 じつは、歴史的にも記録では、二か所で『十一面悔過』(お水取り、修二会)が行われ続けていることが残されています。
 それは、
(1)東大寺二月堂で行われる
(2)紫徽中台悔過所
の二つです。
 最初の東大寺二月堂のお水取りは、超有名で観光客も寒さにも拘わらず見学や参拝に来る人達も大勢います。
 一方、(2)の紫徽中台悔過所で行われ続けて現在まで続く、この『十一面悔過』こそ、新薬師寺で今も行われている『お水取り(修二会、十一面悔過)』なのです。
 ここで『悔過』とは懺悔なのです。すなわち、仏・菩薩・僧に対し自分の罪を懺悔ざんげすることです。
 まぁ、許しを請えば許される…システムの様です。
 さて、(2)紫徽中台悔過所とは、一体何なのでしょうか?
 じつは、皆さんご存知の『藤原仲麻呂』が『光明皇(太)后』と組んで繰り広げられた『(天皇を越える)権力中枢』の機関だったのです。
(タイトル上の仲麻呂の署名ー直筆ーをよくご覧下さい)
 『藤原仲麻呂』は、英才だったようですが、何やら怪しい事が多く遺されています。藤原仲麻呂は、藤原南家ですが、最後は『藤原仲麻呂の乱』で失脚して死んでしまいます。
 この人は実は、現代顔負けの超絶面白い、
 (1)天皇印を盗む
 (2)書類を改竄
 (3)国家予算の流用
などの手法で『現代顔負け』の権力を手に入れ、行使した男です。
 これによって生まれたのが、
  ★陰と忍者
だったのです。これはまたご説明するとして、古代、天平時代から
 『権力の腐敗』
があり、光明皇后も手を貸していたらしい…ええ加減にせ~よ、という時代だったのです。これを描いたのが、筆者の作品『天平の栄華 -光と陰ー』でした(刊行されていません)。
 この稿ではとても書ききれませんが、まず、明日の『新薬師寺お水取り』に出向きましょう!


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