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【物部氏】の本当の氏族名は『布留氏』だった…【物部】は朝廷の仕事の職業名★古(ふる)市古墳群は【布留(ふる)氏】によって築かれた!

 天理市石上神宮には、禁足地『布留社』があるのをご存知だろうか?
例えば、出雲(大)社と言えば、『出雲氏』、春日(大)社と言えば、和爾氏の枝族『春日氏』と呼ばれている。
 同じことで考えると、実は、石上神宮近辺は『布留氏』の勢力地域であった。近くの川は、布留川と呼ばれている。
 決して勢力を張った地域の地名で呼ばれることなど無い。なぜなら、布留氏が大和に進出した3世紀頃に、地域毎に地名が付いているなどあり得ないからである。
 『布留氏』は、【物部氏】と言われ位で鉄製を含む道具の製作を行い、これを市で他の物資と交換していた。
 これを『布留市』と呼んでいた。
 5~6世紀には、河内(藤井寺、柏原)でも勢力を持ち、やはり『ふる市』を開いていた。
 その河内の勢力地域で『ふる市』を石川沿岸に設けていた。現在は、『古市』と書くが、これは後世に、音【ふる】に【古】を当てたに過ぎない。下の地図(google map)をみれば中央付近に『ふる(古)市』がある。ここが【布留(物部)氏】が川沿いに市場(庭)を開いた場所が現在も街並みが多いところである。

河内のふる市

もちろん、市を開いて富を得ていたので、後に、蘇我氏に丁未の乱で滅ぼされるまで勢力を誇っていた。

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