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アフターコロナの言説への言説

コロナが収束したらリモートがより一般的になるとか、感染症との付き合いが長引くことを考えると働き方はアップデートされるべしとか、そんな言説がSNSに溢れている。

自分もふと、そんな記事たちを読んで、都度、これはありそうとか、いやまたこれはしかし言い過ぎでは、とか思う。そんな言説たちに触発されては新しい言説が生まれ、ネットの中を漂い、そして消えていく。

ふと思う。この言説たちは単に願望ではないのだろうか。コロナを経て、普段いらないなと思いながらしていることの存在感が薄まり、大切にしてきたものが際立ち、その輪郭がはっきりしてくる。と、このまま続いて欲しいこと、と、やっぱり戻ってきて欲しいこと、がハッキリしてくる。

だから、その人の思うアフターコロナは、その人の願望そのものが投影されるのではないか、と思う。特に表明しなくても、アフターコロナを夢想することは、自分のこれから大切にしていくべきものや自分のこれから進むべき道を照らす一筋の光となるかもしれない。

コロナが少し落ち着いた今、そんなことを思い、コロナな日々を振り返りながら、アフターコロナに備える、そんな言説。


自分の経験したことを文章にしていくことで、誰かの役に立てたら嬉しいとか、ただ書くことが楽しいとか、そういう風に私はなりたい。