夕暮れの回廊

 旅をしながら、空を見上げて、星が無数に燈る、真昼のような夜の中で、思わず吸い込んで、それから吐いた息の白さに、夏の終りを知る。
 終着駅は人影少なく、酒のにおい、香水のにおい、遠ざかる靴音。ポケットの切符を探り、歩道橋を渡る。渡りながら、線路のずっとおしまいの、街あかりのまだ向う、地平の果てを捜した。夜が滲んで地平と溶け合っているようだった。
 思い出されるは八月の煌めき。捲った袖の陽灼けの痕。シャワー、水色、風鈴の音。
 君の肌に触れたくて旅に出た。その記憶に凭れかかって、ここまで生きて来られた。それがなけりゃ、とうに絶望しきっていただろう。
 旅に正当な理由なんていらない。ただ懐かしまれる物事のすべては、その瞬間に意味を持つのだ。時に絶望が幸福にさえなる。

 それに気がついたのはつい最近のことだ。あの日終着駅で星を見上げたこと、地平線を捜したこと、それから夏を思い出して、センチメンタリズムに揺られたこと、それすら今では懐かしい。ならばもう、今、この季節さえも、こんなに郷愁的でありながら、いつか思い出されるはずの足跡なのだろう。
 そうして、思い出しては、思い出され、また、いつまでも思い出し続ける。幾重にも、幾重にも、懐かしさは積み上げられてゆくのだ。多分、ちょうど夕暮れに逢うたびに。

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