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私にとっての絵画

前回の投稿に引き続くような形で、今回は私にとっての絵画とは一体どのようなものなのかについてお話してみたいと思います。

一般論としての「絵画」は、キャンバスもしくは紙などの平面的な面を持つ支持体に「絵」が描かれているものを指していると考えています。具体的には、「絵」の内容は具象画・抽象画に限らず、平滑な面に絵の具が乗っていてかつ表面に乗った絵の具(または「絵」)のみで作品として鑑賞可能なもののことを指します。

この「私の中の一般論としての絵画」と並行して「私の中だけで考えられている絵画」というものがあります。これから話していくのは後者の私にとっての絵画です。
私は絵の具を流動的な物質として捉えていました。「流動的」というのは、にじむ・盛り上がるなどの物質としての流動性と、ただの物質からある図像の一部へと変化しリアリティを持ち始めるという意味での流動性、この二つのことを指し示しています。特に私にとって重要だったのは後者の流動性でした。

物質でありながら図像としてみたときにもリアリティを持つことを実現するために、なるべく少ない手数で描くことを意識していました。手を入れすぎると、図像としての完成度が高くなってしまうからです。図像としてモチーフがリアルに描写されていることよりも、物質が演出してしまう生っぽさに絵画としてのリアリティを感じていました。

余談ですが、私が描く絵画は人間のみをモチーフにしていました。大学入学前から不思議と人の顔を描くことに惹かれていたのですが、入学してから約2年間は生まれて間もない頃の自分を描くことに没頭していました。

当時は周囲から「赤ちゃんを描く人」として認識され、女性として赤ちゃんをどのように意識しているのか。なぜ赤ちゃんに固執するのか。と問われ、なんだか検討違いな質問をされているような気持ちになっていました。それでも当時は自分なりに赤ちゃんを描く理由を見つけ出す努力をしていたのですが、今となっては自分の作品とはあまり関係ないものだったと思います。
むしろ生まれて間もない頃の自分、記憶に残っていない自分の自画像を描くという振る舞いの方が今の私の作品に通じる重要なものになっていると思います。このことについても今後まとめていくつもりです。

次回の投稿では私の立体作品制作を通して、絵画から立体への移行期に私が行なっていたこと・考えていたことについて書こうと思います。

#art #artwork #contemporaryart

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