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相続土地国庫帰属制度で土地を手放したい話 その1

 いらない土地を持ってるんですよね、というととても羽振りがよく聞こえていたのは過去の話。これを言うと周囲で「うちも!」「うちも困ってる!」という話が出てきます。
 土地神話の時代はなんだったのでしょう。土地さえあれば安心、のような考え方。それが山林でも土地は土地、とばかりに買っちゃっていた人たちがいた時代がありました。不動産を買うときは本当に自分の死後どうなるかよくよく考えてほしい。不動産王以外は。

 うちの実家の場合、都内の家の地面は父のものではなかったのですが、ちょっと本気の園芸というか、ジャガイモやサツマイモを作るような広さの土地で遊びとして農作業をするのが好きな人だったので、そういう地面を買ってしまっていました。サラリーマンが普通に、一生懸命働くと家が建てられたり、土地が買えたりというのが日本の普通だった頃があったのです。と、書いていると誰が日本をこんな風にした、という怒りも沸いてきますがそれは横に置いといて。

 F市とT市に土地はあって、F市には小さな家まで建ててしまいました。そこには今親戚に住んでもらっています。住まわせているではない、住んでもらっています。幸い宅地で昔に比べれば街も立派になって住める場所ではありますが、ちょっと気を抜くともともと生えている竹とかなんだかよく分からない丈夫な植物がジャングルを形成するので、住んでもらって手入れしてもらっていることがありがたいのです。

 一方T市。最後に父が行ったのはいつなんだろう、というくらい記憶がおぼろげな土地。ここは完全な山林で、そばに学校や会社の建物があるものの種別は「山林」雑木林に隣接していて土地が肥えていて、いろいろ作っていたようだけど週末しかいけないのでよく野菜が盗まれたそうです。なんで買ったの?というと父の遊びの農作業のためという…。父の最期、まだ喋れるうちにアレどうすんだよって聞きたかったのですが、我が実家には「どうすんだよ問題」が山積しておりまして、アレもコレもあとあの人もあの人もどうすんだよ、ってことばかりで具体的に聞けませんでした。そんな面倒から逃れるようにさっさと父は他界しました。母に「早いもん勝ちだ」と言って。それを思い出すといつも仏壇のおりんを壊れんばかりに叩いてしまう私です。

 T市は、私も小学生の時行った覚えはあるけど、もうほんとどうでもいい感じの扱いの土地。

 15年以上前、父が亡くなったときの相続人は母と姉と私でした。そのとき売るとかなんとか考えることもせず、母に全部相続してもらいました。法務局からもらったコピーのコピーのコピーみたいな見本をもとに「分割協議書」をワードで作成したのは私です。
 法務局ではだいぶ意地悪されたみたいで、母はいまだに法務局となると「あのときのオバハンが意地悪だった、今日はここまで、って言って全部教えてくれないの。こっちは娘に仕事を休んでもらってきてるのに、全部教えろって文句いったらこの汚いコピーが出て来た」という恨みを聞くことになります。手続き自体は姉と母でやってくれたのでちゃんと相続登記されているはずなのですが、用事がないので登記簿を取り寄せることはしていませんでした。

 6年くらい前にF市の土地を母の死後、今住んでいる親戚にあげちゃおう(押し付けよう)ということになり、ある日駅で行われていた司法書士無料相談で「こういう土地があって、こういう問題があって」と軽く聞きましたら見当違いな返事がかえって来ました。とりあえず分かったのは母が遺言書を作らないと今住んでる親戚に遺贈できないよという、私が調べていたことの答え合わせ程度の相談でがっくりしました。
 しかしF市の地面をどうにかして、この先も安心して親戚に住んでもらうには遺言書を作らないと、ということは確定。司法書士に頼んで遺言書を作成をしてもらいました。
 ただ、どの先生がいいのか、全然分からないのでいくつか行ける範囲の事務所にメールで問い合わせをして、無料相談でこんなこと言われましたが本当ですかって聞いてみました。その中で一番返事が早くて分かりやすかった先生のところにお願いしました。この先生は唯一はっきり無料相談の回答は間違っているか、勘違いでしょう、と言ってくれました。

 このときにF市と今住んでいる家屋の書類は先生のご指示のもと法務局から取り寄せたのですが、T市については母も私たち娘も見て見ぬふりをしたかったので、先生にも伝えず、遺言書にのせませんでした。他にも母は自分の実家の方で、両親が亡くなった際不用意に兄弟で分けてしまった…というか何もしなかったので分けることになってしまった…土地があり、それについても見て見ぬふりをしたのですが、これは翌年えらいことになりました。これはまた別の機会に。

 話戻って、T市に土地を寄付できませんかねと母が昔相談したらしいですが、できないとの答え。80㎡で年額一万円に満たない固定資産税を延々と払い、母の死後は私たち娘が相続し、固定資産税を払い続け、そして姉も私も子供がいないのでそのままうやむやになるか、親戚の中の数少ない子供に連絡がいって面倒なことになるのか、分かりません。売ろうといっても手数料ばかりかさみそうで、家も建てられないところだしどうにもなりません。ほんと父、あの世で私に叱られるの確定。

 そんなこんなで過ごしていたある日「相続登記が義務化されます」という新聞記事が。空き家問題もあるが、土地を相続したものの登記はしなくてもよかったからそのままぼーっと時が過ぎてしまう、そして何か起きたときに誰も持ち主が分からず、どうにかしてほしいと言う相手を探すのがとてつもなく大変、管理のできない土地が日本中に増えていく…それを阻止しようということのようです。
 相続登記はしたから…と思っていましたら、3年前のある日「不要な土地を国庫へ」という小さな新聞記事を見つけました。

 これは…!

 相続したものの利用できていない土地、固定資産税と手入れをする費用がかさみ、さらに次の相続の際には放置されてゆく。そして持ち主が分からなくなっていく。そんなら国の持ち物にしてしまいますね、という制度のようだということが記事から分かりました。
 T市、これでどうにかなるのではないか?まだ細かい条件や制度が分かりませんでしたが、2023年からやりますというのを頼りに法務局のホームページを折々でチェックしていました。姉に知らせたらこれでなんとかしたいねと同意。
 初年度に挑戦しようかとも思いましたが「とにかく調査にも時間がかかる、8か月が目安」ということがネット記事に書かれていて、初年度成功者が出たら…その体験談を参考にやってみようと密かに計画しました。

 相続土地国庫帰属制度。舌かみそうな制度名。

 2024年になりましたが、こういう手続きしました、みたいな話があまり見つけられません。挑戦中という方はちらほら。でもある司法書士の書いたブログでは申請した90%が認められているというから、何件か分からないけど申請にこぎつければかなり現実味のある話なのではと思い始めました。しかし、申請前却下も多そうです。

 今年はT市をどうにかしよう、と姉とも正月に話していたのですが仕事が忙しく先延ばし。とりあえず母にこういう制度ができたからもしできるならこれでT市の地面、手放さない?と言うと、そうしたいねとの答え。で、固定資産税の通知書を借りてきました。
 そこに地番が書いてあるのです。住所と地番は違う物なのです。そういうことからなのですが、幸い遺言書と相続放棄をやる羽目になったので、そこだけは知ってました。地番がないと土地の登記簿にたどりつけない。ほんと不動産って謎。住所は住所でしょう!と言いたくなります。担当エリアの出張所を調べて電話して住所言って地番を教えてもらう謎!でも持ち主でなくても教えてもらえて登記簿も取り寄せてしまえる、ほんと謎!

 ゴールデンウィーク明けに姉が「相続土地国庫帰属制度のご案内」を印刷して持ってきました。お、だいたいが「調べてよ」「聞いてみてよ」で私がやる流れになってしまうのだが、今回はやる気なのか。
 第2版と表紙に書かれているので、初年度の知見が詰まっていることでしょう。試みに姉が印刷したら78ページにも渡っておりました。もちろんネット上で見えるのですがこういうのってやっぱり紙で読まないと理解が進まない世代なのです。ありがたく受け取りました。
 毎晩ちょっとずつ読み込んでいますが、わかったことは「やっぱり現地に行って写真を撮って来なきゃならない」ことです。できれば行かないで済ませたいのですが、超遠方というわけでもないので、行かねばならないでしょう。というか行って「ここです」って分かるだろうかという心配もあります。雑木林に侵食されている可能性大。不安。

 ですが、行って写真撮って「やっぱりだめ」だと徒労に終わってしまうので、まずは手引きの手順に従い自力で「事前相談」に挑戦することにしました。そこでどのくらい認められる可能性があるか聞き出してみよう、からスタート。

 そんなこんなで、何個目かわからないけど「実家メンドクサイ事柄対処」相続土地国庫帰属制度挑戦記の始まりです。

ちょっとは役にたったかも、と思われましたら少し置いていっていただけるとありがたいです。