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『駅』 〜「思い出の間違った思い込み」からの解放〜


「ねーところで今何時?」
「え〜っと22時10分、、、」

「やばい急げ!おばちゃんおあいそ!!」

慌ててマージャン店を出て、
汗だくで駅までの階段を駆け降りて帰るのが
僕ら「電車通学組」のほぼ毎晩の恒例行事。


そう、
「22時24分」

それは僕らにとって「決して忘れちゃいけない」
大事な時間。

某大学前駅から小田急線新宿行き
「最終電車」だからだ。

駅前には宿泊施設なんてなかったし、
仮にあったところで貧乏学生の僕らにはそれを出すお金も持ち合わせてなかった。

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〇〇大学「前」とは名ばかりで、
うちの大学は駅から「校門まで」徒歩20分弱
の急な山道。

「いやいや、それで終わりではない」

その校門からキャンパスの一番奥に位置する
「僕らの学部棟まで」は更にあと15分かかる。

確か以前「〇〇前」という駅名なのに
「全然近くないグランプリ」といった不名誉な
全国ランキング1位だった。

家からおよそ片道2時間30分。「往復約5時間」
つまり1週間のうち1日を。
ひと月の内「丸々5日」以上を通学に費やしていた
計算になるから恐ろしい。

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昔みた情報なのであやふやだが
確かキャンパスは「東京ドーム7個分ぐらい」
の広さ。

そのあまりの広さに心がくしゃっと折れて、
学校の「キャンパス内移動専用」
自転車を買ったくらいだ。

正直、当時の自分にとってあの「遠距離通学」は
苦痛以外の何ものでもなかった。

そして追い討ちをかけるように、
僕ら工学部の機械科は生徒200人いて、
そのうち「女子がわずか3人」

別のクラスだった事もあってか、
4年間でその3人と会話をした記憶はない。
それどころかついには、その方たちの
「名前も知らぬまま」卒業。

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「キャンパス内を歩く」文系の女子も確かにいた。

とはいえ接点がないから「僕らにとって彼女ら」は、もう街ゆく「赤の他人」となんら変わらなかった。

だから、
僕らはうちの大学を「男子大」と呼んでいた
暗黒の4年の日々。

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月曜から金曜の平日は朝から晩まで授業、
そしてその後、出会いを求めて?週3回の
「テニスサークル&会食」とバンド活動。

その上、夜遅く帰ってからは、
課題2時間が私を待っている。
そのため平均4時間睡眠。

土曜日は昼過ぎまで学校、その後バイト。
日曜は朝から夜までバイト。当然休みなどない。

それが私のとち狂った
「一週間のルーティーン」だった。

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当時そのせわしない合間をぬって
息抜きでしていたのが、
「麻雀」、「ビリヤード」、「カラオケ」
これが僕らお決まりの3パターン。

どういう「時間と身体の使い方」をしていたのか
今思うと不思議でならない。


実は「駅」というテーマでnoteを書くことを決め。
それから何日もネタが出てこない、、
昨日まで頭の中が「まっさら」でした。。

「駅」「エキ」「えき」、、

と独り言をつぶやいているうちに、
ふと「大学の頃の記憶」がこうして頭をよぎり、
回想していた時「ハッと」気づいたんです。

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√ 「会場に人が多いから」といった訳の分からん理由で「卒業式には参加せずに」大学最終日の終電までマージャン。
その帰り、駅のホームでみんな笑顔で撮った
「僕らの唯一の卒業写真」

√ 本厚木駅では月に一度「自分達へのご褒美」にと、「定期に550円を足して」ロマンスカーに乗った。
みんなとリクライニングシートに座り、
タバコを吸いながら優雅に帰ったこと。

√ 飲み会の帰り、伊勢原駅前でサークルの
マドンナに告白して「ド派手に」振られた桜散る夜。

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√ 宿題が「どうしても家で終わらないので」
やむなく電車のシートに座りシャープペンで
ケント紙に製図。

下敷きもしかずに自分の「生太ももの上」で書いたせいで「穴だらけの作品」を提出して、
「この穴はなんだい?」
と教師に指摘されて皆の笑いを取ったことも。


√ 通学とバイトに疲れ果てて寝てしまい、
「電車を乗り過ごしてしまった、、」との親友からの電話を受けた昼過ぎ。

大学へ向かう途中で「駅に引き返し」
学校をサボって合流「箱根の美術館」に男2人で行ったことも。

今思えば全て大切な思い出。

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「苦い思い出ばかり」かと思っていたけど、
どうやらそれは間違いだったようです。

そしてこうやって今改めて振り返ると、
大学時代の思い出の多くは「電車通学」とともに
苦労とともにあったのだと気付いた。

実は在学当時は、
「一人暮らししているやつ」
ものすごく羨ましかった。

それは、僕ら通学組より
「往復5時間」も浮いているんだから、

もっとバイトも出来て「稼げた」だろうし。

なんなら可愛い彼女を作って青春の
「キャンパスライフ」をエンジョイできた
かもしれないじゃないか!

と当時「ねたんでいた」んです。

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でも、それは「間違い」でしたね。


オレら電車で4年間通う距離って
「地球何周ぶんだろう?」とネガティブな計算を
したりしたこともあった。

高校も含めて「7年間も男子校かよー」
と「リサーチ不足」の自分が決めた「決断の甘さ」
を本気で嘆いたこともあった。


でも、
あの時「苦痛だ」と思っていたことも、
今思い返せば一緒に通っていた友達との
「遠回りばかりの大切な思い出」だと気づいたんです。

そして、今回無事?noteのネタ
になることも出来たから感謝。

(みんな落ち着いたらまた誘うから
久しぶりにメシ行こう!)

そう考えると自分は随分と
「ネガティブな思い込み」をしていたなと。

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あの時、苦しかった思い出は、時間が経った今
「ピンチの時の底ぢから」になっていると
自信をもって言える。

「しんどいなぁ」と思った時、
いつも頭に思い浮かぶのは
あの時の通学地獄とタイトなスケジュール。

だから、大抵のことはあれに比べたら
「ある程度はなんとかなるかも」
不思議と「前向き」になれるんです。


そういえば
このnoteも〆切に追われ、
仕事帰りの電車で書いているんですが、
相変わらずですね。

あの頃よりは少しは大人になっていなきゃ
困るんだけど、、


最近世間も、自分自身でもちょっと暗い
ニュースが続きちょっと落ち込んでいたんだ。


でもそんな時、大学時代の「ツラくて楽しい記憶」
を思い出し、ポチポチとスマホで書いているうちに、なんだか「ニヤニヤ」してしまったよ。


こうして「ネタ探し」の思い出の回想が
私を久しぶりに笑顔にしてくれた!

笑顔は「自分で作れる!?」

おっとここは電車の中だった、
「気をつけないと、、」

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今あの頃を思い返すと私の周りに対しては、
「感謝」しかありません。


高い学費を払ってくれた両親に
ありがとう!

色とりどりの思い出を一緒に作ってくれた仲間に
ありがとう!

そして、「思い出の間違った思い込み」
に気付かせてくれた課題よありがとう!


あー、
「あともうちょっとで書き終わる」
ってところで駅に着いてしまった。

製図からラィティングへと中身は変わったが、
私にとって今でも電車は「課題をする場所」
に変わりはないらしい。


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