沖縄に女2人でプチ移住した話
″忘れられない旅″といえば私からするとこの旅が一番に出てくる。21歳の夏、幼稚園からの幼馴染みと沖縄に行く事にしたのだ。
そもそも私達二人は沖縄に強い憧れがあった。というのも、昔からオレンジレンジの大ファンでファンクラブにも入るほど。小学生の頃から二人でお小遣いでライブに通っていた。オレンジレンジといえば沖縄である。ずっとずっと憧れの人たちの故郷を見てまわたい!聖地巡礼したい!と願って、小学生の頃二人で必ず沖縄に行こう。と誓い合ったのだ。
だが沖縄自体は初めてではなかった。なんせ私は中学も高校も修学旅行先が沖縄だった。なので沖縄の有名スポットは大方修学旅行で回っていたので、今回の旅はオレンジレンジの故郷と言われる中部あたりに拠点を置くことにした。北谷辺りだ。
21歳だったので、私はフリーターで友人は大学生だ。ホテルなんか到底取れないので、ゲストハウスに泊まることにした。オレンジレンジの″君station″のMVに出てくる、宮城海岸という場所が二人の中で一番行きたかった憧れの場所だったのだが、たまたまその宮城海岸近くのゲストハウスを見つけることが出来た。一ヶ月他人と同室はさすがにストレスだと思ったので、個室を取った。私も幼馴染みももう楽しみで仕方なくて、その時のために心を殺してバイトに勤しんだ。
ちなみに私はこの時の活力を褒めたい。何故なら丁度私はバイト先が潰れ、違うバイト先を探していたところだったのだ。私は内向的な人間なので、接客業はかなり苦手なのだが、資格も何も持たない21歳の女が出来ることなぞ限られていて、初めての居酒屋バイトに応募した。居酒屋バイトは深夜給などがつく点と、朝が苦手な私に取って夕方からのシフトという点が大きく、更に見た目に関する制限が無かったことも良かった。
最初はもちろんかなり辛くて、行き帰りオレンジレンジの曲を頭に刷り込ませるように聴きながら精神を保って通っていた。だが結果的に私は今この居酒屋バイトで出会った男性と結婚したので、この時辛いながら頑張ってバイトに毎日通って良かったな…と思う。
とまあ、そんな感じで守備よく資金を貯め、友人とついに沖縄に行くことになる。もう私達のテンションは気持ち悪くなっていて、安いLCCの飛行機で何枚も写真を撮った。沖縄に近付くにつれて胸があからさまにドキドキしだしたのも良い思い出だ。
ちなみに今思えば、この時私たちは二人とも免許を持っていなかった。免許無しで一ヶ月沖縄はかなり勇者だなと今でも思う。
当然免許が無かったので、那覇空港から北谷までは確かバスだ。そこからゲストハウスまで更に距離があったのでタクシーに乗った気がする。着いたのは夜で、街灯も少なくて真っ暗な中前方から波の音が聞こえてきて、胸の高鳴りが止まなかった。もう私達は移動しっぱなしで結構疲れててもおかしくないのに、その日はずっとドキドキしていてアドレナリンだかで元気がすごかった。
ゲストハウスをチェックインして、荷物を置いて真っ先にゲストハウスから歩いて数歩の宮城海岸に向かう。真っ暗ではあったが私達はとうとう二人の夢の場所に辿り着いたのだ。
生ぬるい沖縄の風と潮風が普段の日常を送る場所とは全く違う特別感を醸し出していて、あの瞬間はおそらく世界で一番幸せな気持ちだったと思う。
ゲストハウスの人達は皆フレンドリーなのですぐ輪に入れてくれて、皆で食堂に集まって酒を飲んだり、楽器を弾いたりした。常に談話スペースには誰かがいて、南国系のBGMがかかっていた。
ちなみにゲストハウスでは自転車を貸し出してくれていて、私達の沖縄での愛車は基本的にこの自転車だった。真夏の強い日差しの元、この自転車で読谷の辺りまで走り、よく分からないサトウキビ畑に迷い込み、辺りに人影もおらず米軍基地も近くだったので、低空で爆音の米軍機が飛ぶこともあって、なんだか非常に怖い思いをしたことも良い思い出だ。
そして食は基本的に北谷のサンエーまで自転車を走らせる。これも特別近い訳ではなく、自転車で15~20分くらいはかかるが仕方がない。なんせコンビニもかなり距離があるのだ。
今では考えられないが私達は憧れの沖縄で生きているんだというバイタリティからか全てを楽しんでいたので、辛いという感覚が無かった気がする。
思い思いに沖縄でやりたかった事、行きたかった場所を叶え、サンセットの時間は宮城海岸に行ってぼんやりと夕日を眺めた。サンセットタイムは皆がここに集まり、手を上げて軽く挨拶はするが特に何か話すわけでもなく、一人一人ぼーっとただただ夕日を眺める。この時間は非常に特別で、私のようにあまり綺麗でない考えをする人間ですら心の全てが洗われて澄んでいくような感覚と、私のように考え事ばかりする人間ですら″何も考えない″という事が出来るようになる。
家のある都会では考えられないようなレベルの美しさのサンセットと、波の音を聴きながらぼーっと何もせず過ごすのは至極至福の時間なのだ。
ゲストハウスではなんとシュノーケリングセットなんかも貸出してくれて、二人でガイドも何もつけずにシュノーケリングしたり、沖縄で携帯が壊れて友人のiPadを借りながら生きたり、念願のオレンジレンジが主催するライブイベントに初参加出来たり、アメリカンビレッジに自転車で通い詰めたりと非常に充実した毎日を送っていた。
ちなみにこの時、付き合っていた彼氏とは元々折り合いが悪く悩んでいた頃に沖縄に旅立ち、色々な刺激を受け考えた結果別れるという踏ん切りをつけることも出来た。
そんな私と打って変わって友人はまさかの沖縄で新たな彼氏と付き合うというハッピーライフを送り出した事もあった。
何より私の人生の中で一番刺激的な日々だったことには間違いないだろう。
私は間違いなく、その時その感情に戻ってまたこの一ヶ月を過ごしたいと考えることがある。友人もきっと同じ気持ちだろう。今のこの価値観ではなく、その21歳の時のまんまで。今や私も友人も誰かの妻になり、友人に至っては一児の母となった。あの頃のような生活はもう二度と出来ないだろう。だが、それで良かったとも思う。何度も簡単に出来てしまう旅であれば新鮮みも楽しさも感じないはずだから。平凡な私の人生に大きな色をつけた旅だったから。
…ちなみその後金銭的な面でかなりの大打撃をくらい、働き詰めになった事も良い思い出だ。
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