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程がある。

続かないにも程がある。

以前の日記に継続することが苦手だと書いたが、その日記から一年以上が経過している。継続は力なりが最も似合わない人間コンテストがあるとしたら、私はトップに躍り出てしまうのではないだろうか。大変不名誉なことだ。

継続が苦手ではあるがすっぽりと忘れてしまうわけではない。2日目以降からだんだんと面倒になってやめてしまうのだ。飽きてしまうと言ってもいいかもしれない。どんなに楽しんで続けてきたこともある日パタリとやる気がなくなり、日々の習慣から抜け落ちていく。

抜け落ちた元習慣たちは私に見て見ぬふりをされてしまい、終いにはたくさんの新たな習慣やマイブームの下に埋もれていってしまう。それがもう何年も繰り返されている。現在の習慣である自宅でのエクササイズもいずれはこうなる運命なのだろうか。

これでも頭の中で日々いろいろなことを考えて生きてはいる。しかしながら私は感情や考えのアウトプットもどうしようもなく苦手な人間なのだ。自分自身の感情・思想を言葉にする、体言化することが不得意な人間であるから日記が続かないという仮説も立ってしまう。仮説とは言わずにもうそういうことにしてしまおう。

元習慣の1つを紹介すると今年はせめて一行日記をつけようと新しいノートを買った。寝る前に筆を取っていたのだが、春を迎えることなく机の隅に追いやられてしまった。今ならまだやり直せるかもしれないが就寝前の私次第なので何とも言えない。

続かないことが分かっていながらどうして日記をつけたがるのだろうか。恐らく断片的に記されている過去の自分との遭遇を楽しんでいるのだと思う。だから継続苦手人間であるのに日記を諦めきれないのだ。

この日記を書く前に前回の日記を読み直してみた。大変恥ずかしくもあったが、過去の自分が書いた文章には妙な魅力がある。自己肯定感が低いあまり、日々の失敗を掘り起こしては消えたくなる私も、自分が創作したものに関してはナルシストな一面も持ち合わせている。私の日記なかなか面白いんじゃない?と鼻がにょきにょきと伸びてくるのだ。

そんなわけで今回の日記は未来の自分のためにも書いている。

決して単なる暇つぶしなどではない。

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