死ぬならサウナがいい。

 サウナとは、人生の縮図だと思う。正確には、最近思ったばかりだ。

 私がサウナと出会ったのはたった4ヶ月ほど前の話だった。昨今のサウナブームに乗ったミーハーなのかと訊かれたら、半分間違いで半分正解。

 きっかけはAmazonプライムで千鳥の相席食堂を見て毎日死ぬほど笑っていた時(千鳥大好き)、合間のおすすめに出てきたのがとあるドラマ。そう、サウナーならばおそらく大多数の方が視聴済みであろう「ドラマ サ道」である。水も滴る、否、汗も滴る裸のいい男3人が爽快な笑顔と共にサウナルームで腰掛けているサムネイルを見て、こういった映像配信サービスのおすすめ機能はなかなか優秀だなと感じた。そりゃあ、即視聴せずにいられない。迷わず1話から見始める。その日の休みは一日、サ道を見るのに使い切ってしまった。なお、視聴後一ミリも後悔はなかった。

 ヒーリングミュージック系のBGM、実在する温浴施設を訪れながらも余計なテロップなど挟まず、施設の解説は主人公ナカタアツロウを演じるネプチューン原田泰造さんのナレーションのみといったシンプルな作りのドラマは、泰造さんによる「ととのった~………」が水戸黄門の紋所の如く物語を締める安心感とともにこちらへ多大な興味を抱かせるに十分な内容だった。

 ……ととのうって、なんじゃい?????

 数年前、どなたかがツイッターに載せていた「サウナでととのった実録漫画」により、実は「ととのう」という言葉自体は知っていた。なんかよく知らんけどめちゃくちゃ気持ちよくなってその気持ちよさが異次元。それくらいの知識が頭の片隅にぽつんと状態。

 それを実際に体験したい――思わされるくらいには、サ道の原田泰造さんの「ととのい姿」はとにかく魅力的だった。だって超幸せそうな顔してんだもん。毎日の仕事に疲れ、神経をすり減らし休みの日は何も出来ず寝てるような自分にとって、そんなの荒野に咲いたアゲハ蝶やん? 近づくことはできないオアシスか?(ポルノグラフィティさんすみません) 枯れまくってたらそりゃ冷たい水欲しいんですよね。その時の私には、サウナと、それによってととのう泰造さんの気の抜けた微笑みがオアシスに見えてならなかったのだ。

 元々、大きな風呂は好きだった。地元函館にいた頃住んでいた家が木造風呂なしアパートだったので、その大家さんが経営していたアパート向かいの銭湯に通わざるを得なかった。(すごい商売上手な大家さんだなと今でも思う)また、親がパチンコで勝ったぞ~なんて時には車でスーパー銭湯に行ったりなんかもして、大きな風呂は割と生活の一部だったのだ。ただし、サウナに入る意味はよく分からないままだった。幼少期のナカタアツロウのように、親が汗まみれでサウナから出てくる光景を、早く上がりたいよと思いながら待ってたものである。ついにその意味を知ることがないまま、私は大人になり、色々あって親と半絶縁、単身札幌に引っ越してきて今に至る。(なお、今はまた色々あって親とは和解しています)

 貧乏一人暮らしの毎日で、たまのご褒美に何度か札幌のスーパー銭湯に足を運んだことはある。その時も、サウナにはもちろん入らなかった。そんな初心者、一念発起。サ道を視聴後、気づけば私はGoogle先生に近所のスーパー銭湯を検索させていた。次の休みに即行っちゃいました。思い立ったら行動するの大事なので……

 初めて訪れるスーパー銭湯で、リネンの受け取りやらロッカーの鍵やら勝手がわからず店員さんに苦笑いをされながら。事前に叩き込んでおいたサウナルーティンのやり方を思い浮かべつつ、人生初のサウナ。上段に腰かけて、テレビで流れるヒルナンデスを眺めた。

 なんだか不思議だった。私はせっかちで待つことが嫌いである。おまけに「何もしない」という行動に無駄感を覚えてストレスになりやすい性格だった。けれど、サウナはなんだかそんな己が牙を抜かれた獣のように大人しくなってしまうのだ。だって、「熱い」「汗めっちゃ出る」くらいしか考えられない。入室し始めはまだテレビを冷静に見てられる。ヒルナンデスに映る阿佐ヶ谷姉妹を見て笑ったりできる。でも5分6分と時間が過ぎるほど、サ室の熱が脳みそを占拠して、常に頭の中で高速回転してる考え事すら外に追いやってしまう。でもなんかそこに、待つ・耐えることの気持ちよさが見えてくる。初めての感覚だった。

 そこからの水風呂も忍耐である。初めての水風呂って、やっぱり刺激が半端なくないですか? 足がその冷たさで痺れる。痛い。呼吸が乱れる。だけどそこでじっと体育座りすると、生温かい膜が自分を包んで、雲の切れ間から光が差すかの如く気持ちよさが顔を出す。あ、これがサ道で言ってた「温度の羽衣」か……おそらくあの時からもうととのい始めてたんでしょうね。笑ってたもん。そのまま体を拭いて露天の椅子に座り込む。ついにその時はやってきた。

 オ……オオオ………オアシス………オアシス見える……。

 出来たら愛してくださいとかそういう次元じゃない。もう愛されてんのよ。何に愛されてるか知らんけど、なんかほら、人生とかそういうもんから愛されてんのよあの瞬間。(ポルノグラフィティさん本当にすみません)

 人が周りにいるのも気にせず1人でニヤニヤ笑い続けてた。全身が見上げる青空へ向かってふわふわと浮かび、溶けて、幸福の概念と化した気がしてた。こりゃ~サウナみんなハマるよ。おかしいもん。こんな感覚、ヤバいクスリも使わずに合法で味わえるんですか!? ※クスリはもちろんやったことありません

 ととのいの正体を知った二月某日。そこから私の一番の趣味にサウナが加わった。否、趣味と呼ぶのはおこがましい。昔から些細なことで気に病み、悩んで、精神的ストレスから体調を崩しやすかった自分にとって、もはやサウナは人生の一部であり、処方箋だ。それからというもの、自律神経が乱れてきたなと思えばサウナ。仕事で悩んで辛いと思えばサウナ。とりあえず元気でもサウナ。元気が超元気になってもいいことでしかないからね! サウナで汗を流すと、身体の中に溜まった悩みも淀みも流れていく気がする。水風呂で冷やされると、もやもやした思考回路がキュッと締められる。そして休憩すれば、まっさらにクリーニングされた自分の中に、ポジティブな感情と感覚のみが残っている。無理しなくていいとか、何も考えるなとか、そのままで、生きてるだけで百点満点みたいな。

 サウナを嫌悪する方の中にはこんな意見がある。「生産性もなければなんのスキルも向上しない。真の幸福を目指すのであれば、筋トレしたり勉強したり、己をブラッシュアップすべきだ」と。それは、無駄を嫌う己の性格とどこか似た場所にあった。それだけじゃないだろ、って掌返ししてる自分がすでにそこにいた。意味がなきゃダメ、利益を生み出さなきゃ価値がない、そんな思考にいつも自分が囚われていたのは、常に自分という人間が「無価値」だと感じていたからだと思う。無意味・無価値だろうが生きていてもいいのだと、その時初めて私は真に気づけて、自分を少しだけ許せたのだと思う。

 そんなサウナとて対症療法なので、いくらととのってもまた社会に出れば辛い。対人ストレス、仕事のプレッシャー、心無い顧客やクライアントから受ける罵声。ただでさえ限界ラインが常人より低く設定されている私の心身は悲鳴をあげる。ただ、それを洗い流す術としてサウナが今は傍にいる。ととのえば、そういったものがどうでもよくなる。傷が癒えていくように感じるのだ。傷ついてはオアシスを求めて、仕事とサ活を繰り返しているうちに私はもうひとつの気づきを得た。辛いことはもちろん嫌だし避けたいけれど、この毎日のしんどさがサウナをさらに至上の味わいたらしめている。まずサウナの仕組みこそがそれと一緒。サウナの熱さに耐え、水風呂の鋭さに耐え、その先に泣きたいほどの快楽がある。耐えた先に、見たことがない景色があるのだ。それに気づいてから、相変わらずストレスには弱いけれど、ストレスとの向き合い方が少し変わった。辛い時苦しい時、「しんどいポイント」が私の中のポイントカードにスタンプを押す。これを休日のサウナに差し出せば、最高のととのいをくれるのである。

 荒野に咲いたアゲハ蝶よろしくサ室に向かえば、いつでも名前も知らぬ、サウナに来なければ出なかっただろう色んな人とすれ違い、時に10分ほど同じ熱を共有する。その人たちの中には同じように羽を傷つけてここにやって来た人もいるだろうし、この熱を耐えた先に水があることを知っていてルーティンを繰り返しているのだろう。人生楽ありゃ苦もあるさだとか、高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんなだとか(ミスチルさんすみません)、私だって若くないので今まで生きてきた中で頭の中では理解していた。けど結局は頭でしか知らなかったのである。人はみんなそうやって生きているんだということを、弱い人も強い人も、皆それぞれに大変な思いをしながらも、折り合いつける術を得て生きているんだということを、私はサウナによってようやく心で理解出来たのだ。


 皆さんは、死ぬならどう死にたいと考えたことがありますか。

 齢35、もういい歳ではあるが人より未熟と自覚ありの底辺社会人。誰かの役にも立っていなければ誰にも必要とされていない。生きていたくないとは思うけど、死にたいとは特に思わない、そんな中途半端な私が今思うこと。死ぬなら、サウナがいい。サ室で血圧が極限まで上がって血管が切れるでもよし、水風呂のショックで心臓麻痺で死ぬもよし。あ、でも出来れば婆ちゃんになっても健康にサウナして、3セット目の外気浴にととのい椅子で眠るように死んでたい。サウナのような人生を、無様でも最下位でもなんとかここまで走りきったんだと証明するみたいに、死に場所がサウナだなんてまるで勲章だ。実際は施設の方に迷惑かかることは分かってるけど!

 サウナとは、人生の縮図だ。だから、死ぬならサウナがいい。

 たぶん明日もこれからも、年老いてもなお、私は何も持たぬ自分をサウナに許されに行く。

 サウナ未経験の方、どうか騙されたと思ってサウナに行ってみてほしいです。人生が楽になったら、それだけでちょっと景色が明るいから。

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