スパイスとしての代償

ピスタチオを食べている。

ピスタチオの殻を外して食べる訳だが、この殻があまりにも「ちょうどいい」

バナナの皮や身の形が人間にとってあまりにも都合が良すぎるという話は聞いたことがあるが、ピスタチオは殻を外すという一手間がかかる分「都合がいい」とは違う。ただ腹を満たす目的というよりは時間を潰す目的で食べるとき、この一手間があまりにも丁度いいのだ。

これがクルミのように硬い殻だったらどうだろうか。専用の器具を使わないと花山薫でもない限りポリポリとは食べられないだろう。

逆に、バナナのようにスイスイ剥いて食べられるものだと、これもまた違う。ピスタチオはものによっては結構力を込めないと取れないものもあり、勢いが余って身が飛んで行ってしまうこともある。また、爪を変な具合に挟んで痛い思いをするのではないかというスリルもある。

この殻を攻略するちょっとしたストレスが大切なのだ。そしてこの1秒間の冒険の末、程よくしょっぱくて心地よく歯ではじけるピスタチオの身を食べる。ミニマルだが娯楽性の高さがすごい。

ピスタチオの殻といえば学生時代に先輩に連れて行かれた飲み会が退屈で、無言の抗議としてピスタチオの殻を正方形に整列させ続けていたことがあった。いまや懐かしい飲み会の記憶。

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