見出し画像

普通のことをちゃんとやる

私にはデザインを通してアーティスティックなことをしたいという欲求が無い。
普通のことをちゃんとやる(やれるようになる)、をモットーに、デザインと向き合っているつもりだ。


さて、先日ある本が一日限定のワンコインセールにラインナップされていた。それは以前から気になっていたデザイン書の電子版で、定価は4,000円ほどするものなので、何が起きたのかが本気でわからなかった。

デザイン書は紙で読む方が好きだけど、ワンコインで読めてしまう上に、常に持ち歩いて読み返せるともなれば、買わない手は無い。内容が良かったら後日紙版も買おうと考えて、早速電子版を購入した。

最初に掲載されていたのは佐藤可士和さんのインタビューだった。そこで語られていたのはロゴの耐久性の話だった。

それを読んで気がついた。
私が普通のことをちゃんとやりたい(≒奇抜なことをしたい欲求があまり無い)のは、耐久性のあるデザインを作りたいからではないだろうか。

時代性が不要だとは言わないが、それだけでは一過性の流行り物になってしまう恐れがある。私は、自分の手がけたデザインを(というよりは、デザインを手がけた案件そのものを)、時代を経ても見てもらえるものにしたいのだ。

自己表現で行う行為ではないからこそ、取り扱う作品・コンテンツたちの力を信じているからこそ、私は普通を貫きたいのだ。

もしも私の死後も「昔こんなものがあったけど、今読んでも案外悪くないね」と言われて読み継がれる未来を作れるのなら、できる限りの力を尽くそうじゃないか。(身体とお金は大事なので無茶はしませんが)

もしかしたら私は、奇抜なことをして目立とうとするよりも、余程欲張りなことをしようとしているのかもしれない。
これは「あわいのデザイン」「黒子のデザイン」を追求していきたいからこその野望とも言えるような気がした。

いつもありがとうございます!文献代や勉強代として使わせて頂きます。