6-2. 悪気のなさが生む大きな悪 【ユクスキュル / 大槻香奈考】
「ずっといいこちゃん」たちから伝わってくるものとして印象的なのは、彼女たちの《悪気のなさ》だと思っています。
空虚な中で生きる少女たちの「どうしてもこれってわけじゃないけど、なんとなくこれでいいんじゃね?」的な主体性の無さ、そしておきらくさ(悪く言えば考えの浅さ)。
更に強い言葉で言うならば、悪の陳腐さにも繋がりかねないような、そんな危うさを感じるのです。でもきっと、彼女たちにはそれが日常であり真実であって、特に疑うことも無いのだと思います。
ずっといいこちゃん マーカードローイング
引用元:https://twitter.com/kanaohtsuki/status/1147129444131147776?s=21
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私には、ずっといいこちゃん作品について考えている時に思い浮かぶ人物が二人います。
一人はアウシュヴィッツ強制収容所で行われた「ユダヤ人の最終解決」に最も関わっていた人物、アドルフ・アイヒマン。そしてもう一人は、戦後のアイヒマン裁判に立ち合い「悪の陳腐さ」について論じた政治哲学者、ハンナ・アーレントです。
意外にもアイヒマンは、ユダヤ人にとって大切な「シオニズム(パレスチナ帰還運動)」の聖典とされるヘルツルの『ユダヤ人国家』を読んで共鳴し、かつ感動を覚えたそうです。さらにユダヤ語(イーディッシュ語)を学んで読めるようにもなりました。
彼がユダヤ人の最終解決(=大量虐殺)に深く関わる役職に抜擢された理由の一つは「ユダヤ人に対して詳しかったから」なのです。
大卒でないアイヒマンはなかなか昇進できなかったのですが(ナチスは学歴社会だった)、ユダヤ人に対する知識や理解が昇進のための材料になり、ユダヤ人問題の専門家として重宝されました。アイヒマン自身は凶暴でも残虐でもなく、むしろ生来気が小さかったと言います。
しかし出世欲だけは凄まじく強かった。彼がユダヤ人狩りに精を出す原動力となったのは、ユダヤ人に対する憎悪というよりはむしろ出世欲だったと言えるでしょう。
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戦後、アイヒマンはイスラエルの首府・エルサレムで裁判にかけられました。その裁判を傍聴していたハンナ・アーレントが「悪の陳腐さ」について報告を行いました。
悪は私たちごく普通の人間の中に潜んでいて、それは決して悪魔的な力や意志を持つわけではなく、ごく小市民的な、官僚的な、日常的性状のうちにあるのだ、と。
ちっぽけで陳腐な理由が、あれだけの悲惨な大量虐殺を起こしてしまうのです。
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そう考えてみると『ずっといい(2012)』からの『これでいい(2015)』や、『集まったとて(なんもできねぇ)(2020)』らの作品は、まさにアーレント的だと思えてくるのです。
『ずっといい(2012)』
引用元:https://twitter.com/KanaOhtsuki/status/1115843321610625024?s=20
『これでいい(2015)※途中経過』
引用元:https://twitter.com/kanaohtsuki/status/557866454155264001?s=21
『集まったとて(なんもできねぇ)(2020)』
引用元:https://twitter.com/KanaOhtsuki/status/1280479160930938882?s=20
日常的な小さなイライラを、著名人のツイートへのリプライで解消する。その著名人に対する個人的な憎悪は全く無くて、「そのときたまたま見かけたから」という理由だけ向ける無自覚な刃。その繰り返しによって自殺者を生んでいる現在の SNS。
ずっといいこちゃんたちは、群衆の愚かさを映す鏡や、悪の陳腐さについて考えるトリガー的な役割を担っているのかもしれません。
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