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左へカーブを曲がると

 「指宿のたまて箱」という電車がある。全席指定で鹿児島中央と指宿駅を結ぶ特急列車だ。竜宮伝説をモチーフとしたインパクトのある白黒の外装や、落ち着いた木の内装。運行開始前にテレビか何かで知ったときは、幼心に憧れたのを覚えている。運行開始が東日本大震災の2日後だというのだから、それももう12年以上前の話らしい。

 そんな「いぶたま」だが、昨日、それこそ12年ごしに乗車を果たすことができた。本来は彼女と種子島に行く予定であったが、諸般の事情で種子島行きを諦め、何となくで指宿に行くことにすると、折角だからと件の列車の予約をしてくれた。

 予約していたのは正午前発の便だった。たまて箱をイメージした白い煙を吐き出す列車は、その様子が普通のやつとは違うんだぞ、と自己主張しているようで、期待感をもたせるものだった。清掃が終わり、車内に入ると温かい色の木材が使われていて、とても良かった。もうこれだけで割と満足できるものだった。
 全席指定席。僕たちは山側の並んだ2席に座った。運行開始から12年は長いように感じるが、出発までにほとんどの席が埋まっている感じがあり、少し意外だった。

 出発した列車の車窓からは、最初の方はなんだか見たことのある景色が続いた。ただ、本当に晴れた日だったからこれからの旅程が少し不安になったのを思い出す。少しして、景色を見たり見なかったりしながら車内販売で謎にマグネットやチョコパンを買ってみたり、スタンプを押してみたり、車内を探検したりしていた。

 そのうちそんなことにも飽きて、「しりとりでもしよう」と言おうとしたそのとき、左に曲がったカーブで、解説するアナウンスとともに、青い光る海が目に飛び込んできた。天気がいいのもあり、なんだか気分が良かったのもあり、すごく海がきれいに見えた。そして思い出したのが、「さよならなんて云えないよ」の一節だった。

左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも

 そういえばここの詞は小沢健二が鹿児島を車で走って見た情景からできたとかいう逸話がある。もしかしたら、同じようなカーブで、同じような感じで似た景色を追体験してたのかもしれない、と少しうれしくなった。それに、あまりにも瞬間的にその一節を思い出したから、多分きっとそうだと思う。

 そしてその景色を見ながら、きっと今日の旅行はすべてうまくいくだろうと、完璧な満足感を味わえる一日になるだろうと、そう確信した。



 そして指宿駅に降り立った僕らは、行きたかった島にも花畑にも行けず、タクシーにぼったくられて、海を見て帰った。なんだったんだ、あの確信は。


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