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“答えあわせはまた後で” 津田道子ーー『 Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』レポート&レビュー TCAA2022-2024受賞記念展

コロナ禍に身体への関心が大きく変化したのは、私だけではないと思います。例えば家族のような最小単位の社会においても、他者との距離を意識することが身体の振る舞いに関わっていることを経験しました。カメラの位置やフレームと映る人の関係が、身体が持っている距離感を測る道具になると考えてます。この展覧会は、ポスターが剥がれてるのを見つけた時に、そっと貼り直すような、しなくてもいいことだけど、気づいたことに働きかけた延長にあります。

(津田道子、TCAA WEBサイトより)


TCAA2022-2024受賞記念展『津田道子 Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』『サエボーグ I WAS MADE FOR LOVING YOU』レポート&レビューより続く。


津田道子がTCAA の受賞記念展でサエボーグ『 I WAS MADE FOR LOVING YOU』と共に開催中の個展『Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』は、一つの大きなインスタレーション空間の中でパフォーマンスが行われるサエボーグと異なり、三つに分割したスペースを、『生活の条件』『振り返る』『カメラさん、こんにちは』と題された三つのインスタレーション作品でそれぞれ構成し、加えて入り口壁面にそっと配された初期のビデオ作品『あたたとわなし 家族』も含めた全体として、タイトルに冠した『Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』が表現されている。

アーティスト・トークでも個別に津田が解説していたが、展示の中核を成すのは、東京都美術館で行われたTCAAの選考会(スタジオ訪問)で津田が、そのときは資料として審査員へ見せた幼少期のホームビデオから制作された複合的な映像インスタレーション『カメラさん、こんにちは』である。
最終室に展示される『カメラさん、こんにちは』から一部の要素を抽出し、同じようにインスタレーションとして成立させた『生活の条件』が入り口の部屋で鑑賞者を迎え、二つの間をつなぐように、通路上へ『振り返る』を構成するカメラやスクリーンが展開している。
最終室から入り口まで引き返すとき、観る側は第一室『生活の条件』でスクリーンへ映し出されるものが何なのかについて、『カメラさん、こんにちは』を鑑賞した後のため、受ける印象は異なるものになっているはずで、その「ちょっと遅れてくる」感覚を抱えたまま、帰路に着く、あるいはサエボーグの展示に向かうのだ。

以下、プレスツアーの様子とそれぞれの作品をインスタレーション・ビューとキャプションで紹介する。



プレスツアー



『Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』:会場入り口。サエボーグの個展側とは反対に位置する。双方共、鑑賞後またこの入口へと戻ってくる設計になっている。



『Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』:プレスツアーの様子。『カメラさん、こんにちは』の前で作品解説をする津田道子。複雑な構造の作品のため、各プレスの記者も集中して聞いている様子だった。



『Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』:プレスツアーの様子。『カメラさん、こんにちは』の前で作品解説をする津田道子。やや緊張気味な様子が伺えた。



インスタレーションビュー『生活の条件』

津田道子『生活の条件』(2024, 映像(17分)、鏡、木、スクリーン、音)インスタレーション・ビュー:入り口側から奥を見る。ぼんやり歩いているとフレームにぶつかりそうなほど光量が落とされている。


第一室に入ると、光量が落とされた空間の中に複数の木製フレームとスクリーンが床面設置され、特定の動作を繰り返す人物が映し出されているのが目に入る。近づくと、スクリーンに映り、時折フレームイン、アウトする人物たちの動作は規則的でループしているが、明らかに寝ている状態をのぞき、何を意味するものかが俄かには理解できない。同時に、設置されたフレームのいくつかにはスクリーンが嵌っておらず、只の枠の状態、もしくは代りに鏡が嵌められていることに気付く。配置の巧みさで、スクリーンと鏡、フレームの中にそれそれ映される人物や観客、背景が一体になったかのような感覚が生じる。
空間の中にこのような錯覚を物理的に作り出すインスタレーションの手法はこれまで津田が得意としてきたもので、人間の認知を揺さぶるトリックには素朴な驚きの感覚と、自身が強制的に映像へ取り込まれるような独特の不気味さが同居している(その同居は、部屋を出た先の通路に展開している『振り返る』にも強く存在する)。

『生活の条件』と題されたこのインスタレーションは、先述の通り、そして会場キャプションでも表記される通り、『カメラさん、こんにちは』の映像に登場する俳優たちの動作や仕草を簡素化して抽出したもので、「家事や食事の際などの、家の中でのちょっとした所作」(キャプションより)だという。それは小津安二郎の映画における食卓のシーンから動作を抽出し(演劇のように、ダンスのように)振り付けるという津田の近作と同じ手法でもある。

津田はアーティスト・トークで、その「ちょっとした所作」について以下のように語っていた(前エントリも参照のこと)

これは先ほどの作品『カメラさん、こんにちは』に出てくる人が「家の中で行っている動作」をより抽象化して「動きになってください」という指示を出して振り付けています。例えば、ホームビデオの映像内ではブドウを食べていますが、「ブドウを食べるとは…」という動きをより抽出しています

「動きになってください」という津田独特の指示を実効する俳優たちの仕草は、俗にいう「静かな演劇」の舞台上で行われる日常的な振る舞い(とりわけ初期チェルフィッチュにおける身体動作)のようにも、また、ある種の抽象度が高いコンテンポラリー・ダンスのようにも見える。単に通り過ぎるだけでは観客が俳優個々が行うそれら「動き/所作」を充分に把握することは難しく、可能であれば、まとまった時間をとって体験するのが望ましいのではないかと感じた。



『生活の条件』インスタレーション・ビュー:床置きされたクッションの正面には、寝そべる人物が映るスクリーンとスクリーンの嵌っていないフレームが見開き画面のように広がる。ループされ続ける人物の動きをじっくり観ることができる。


『生活の条件』インスタレーション・ビュー:ソファがある側の裏もスクリーンになっている。


『生活の条件』インスタレーション・ビュー:人物が起きて立ち去ったあとのスクリーン。クッションが映され続ける様子はミニマルな映像作品のようでもある。


『生活の条件』インスタレーション・ビュー:スクリーン裏からのプロジェクション。表裏で反転した像が映し出される。


『生活の条件』インスタレーション・ビュー:座って鑑賞するためのクッション。


『生活の条件』インスタレーション・ビュー:左手の枠はスクリーン、右手手前は鏡、奥に二つ、スクリーンと何も嵌っていないフレームが立つ。鑑賞者はスクリーン、鏡、実像と、様々な映像が複雑に入り混じった視覚体験をする。


『生活の条件』インスタレーション・ビュー:正面のフレームには鏡が嵌っており、筆者と後ろの空間、映像が再生されるスクリーンが映し出されている。入れ子状に様々な像が入り組む構造。


『生活の条件』インスタレーション・ビュー:通路へつながる出口から入り口側を見る。こちらから見えるそれぞれの像の関係はまた異なったものになる。



インスタレーションビュー『振り返る』

津田道子『振り返る』(2022/2024,  映像、木、ソフトウェア、カメラ)インスタレーション・ビュー:奥の空間へと続く通路の一点透視的な構造を活かしたインスタレーション作品。スクリーンには、通路行き止まりの窓側に設置されたカメラの映像が「1分遅れて」映し出されている。つまり、「1分前の世界」が「ちょっと遅れて」映し出されている。



『生活の条件』の空間を抜け、『カメラさん、こんにちは』が展示される最後の空間へ向かう途中の通路には、近作をアレンジしたインスタレーション『振り返る』がセッティングされている。こちらもカメラ以外は『生活の条件』と同じ様にプロジェクター、スクリーン、フレーム、鏡で構成されるが、スクリーンへ映し出されるものは収録済みの映像ではなく、リアルタイムでカメラが撮影する空間の1分後、つまり「ちょっと遅れてくる」ものだというのが大きな違いとなる。
カメラは通路の行き止まりとなる窓側に設置され、通路にレンズを向けたその映像が、通路の真向いに設置されたフレーム入りのスクリーンへプロジェクターを介して鏡の像のように映し出される。スクリーンの後ろには実際に鏡が嵌められ、鏡は窓際の風景を映す。仮に「振り返って」鏡を見つめる鑑賞者がいれば、あとからやってくる鑑賞者の視線には、向かいのスクリーンへ映し出される「振り返った」鑑賞者の後ろ姿が入る。

「仕組み自体はシンプルな作品ですが、中に入って状況を理解しようとすると複雑なことのように認識します。廊下の先から撮影しているカメラの映像が1分遅れてスクリーンに映るんですが、観客の方は自分が映り込むことで何が起きているか捉えるのが難しくなり、それを捉え直そうとすること自体が、時間だったり自分の身体だったりを振り返ることになるんです」

津田がアーティスト・トークでそう語るように、言葉で正確に記述するのが難しい、現実の認知を揺さぶる複雑な視覚の体験がデザインされ、観る側が一瞬で把握しづらいその仕組みを理解しようとする時間自体も作品の一部なのだ。遅れてくる映像に映る自分の姿は、まるで他人の身体のように見える瞬間すらある。


津田道子『振り返る』インスタレーション・ビュー:廊下の奥にセットされたカメラとフレーム。フレームには何も嵌っていないが、最初に仕掛けられたスクリーンと鏡が念頭にあるため、映像的な錯覚を引き起こす。


津田道子『振り返る』インスタレーション・ビュー:窓際にセットされたカメラ。ここから捉えた映像が向かいのプロジェクターへ映し出される。


津田道子『振り返る』インスタレーション・ビュー:カメラの前に吊られたフレーム。何も嵌っていない枠だが、鏡かスクリーンがあるかのような錯覚を覚える。


津田道子『振り返る』インスタレーション・ビュー:通路手前の鏡が嵌ったフレーム。「振り返った」鑑賞者の姿はカメラに捉えられ、真後ろのスクリーンに映し出される。



インスタレーションビュー『カメラさんこんにちは』

津田道子『カメラさん、こんにちは』インスタレーション・ビュー:二つに仕切られ大空間に構成されるインスタレーション。中央には映像を撮影したセットが建てられている。


通路を抜け、最後の展示室に入ると中は二つに仕切られた大空間で、そこに展覧会の中核であるインスタレーション『カメラさん、こんにちは』が展開している。
『カメラさん、こんにちは』は、アーティスト・トークの記事などでも紹介した通り、津田が小学生だった1988年のある日、津田家で初めて撮影されたホーム・ビデオ映像を元にした複合的なインスタレーションである。
オーディションで選ばれた12名の俳優たちが、ビデオ内での役割(父、母、子など)を変えながら演じ直す12組の「家族」のうち11の映像が壁掛けモニタに映し出され、対面する壁には12組のスチル写真が飾られる。
空間の中央にはその撮影のために作られたセットが再現され、セット正面の壁面には、セットを映すカメラからのリアルタイム映像と12パターンの映像のうちの一つが重ねて投影される。セット内に立ち入る観客を映像内に取り込むインタラクティブな装置だ。
視線をもう一つの壁に向けると、そこにはホームビデオ上で動く人物たちの軌跡をなぞったドローイングが描かれ、壁の向こうは12パターンの映像を一つにまとめたバージョンが映画のようにループ上映されている。

ホームビデオの内容自体はたわいもない家族の雑談だが、選考会のスタジオ訪問で資料として審査員たちにそれを見せた際、津田はそのビデオが自身の制作における「原点」だと気付いたという。近年積極的に取り組んでいる小津安二郎の映画における食卓のシーンをモチーフに、日本社会における家族やジェンダーロールの問題を取り上げる作品はまさに典型的だった。

「食卓を固定カメラで撮って結婚の話をするというのは小津映画そのもので、それに気づいたときにはゾッとしました」

アーティスト・トークでそう語った津田は、父、母、そして津田自身である女児を12名の俳優に、役割や性別を固定させない12パターンの「再現ホームビデオ」を撮った。
ある映像では父だった男性俳優が隣の映像では母になり、女児にもなる。同じように女性俳優の母は父に、女児になり、女児役の女児俳優も父に、母になる。また、中高年女性の俳優が女児を演じたり、女性俳優だけが演じる家族、日本語以外の言語を喋る外国人と思しき俳優も交えた家族の姿も撮られている。

「映像の言葉は元のビデオから起こしていて、創作した部分はありません。前後で分かりにくいところや、一人称を名前から「あなた」「この子」などに変えただけ。再演をしたのは、私個人の思い出ではなく、誰にも置き換え可能な経験として提示したかったからです。12名の中には在日韓国人三世の方2名、ウズベキスタン出身の方1名がおり、それぞれ韓国語、ロシア語で演じてもらっています。日本だけでなく、多くの言語・文化で受け入れてもらえるような試みなんです」

個々の俳優が自分の属性——自認し、社会から認知される性別、年齢——とは異なる性や年齢の役を演じる場合を多数含む12組の「家族」は、画面上に現れる、ユーモラスというより不気味さに近い、強い違和感によって、恐らく多くの鑑賞者が持つであろう父、母、子などの社会的役割やジェンダーロールの固定観念を揺さぶり、家、家庭というものが持つ一般的な概念に再考を促す。具体性が敢えて省かれ、「ダイニング」という概念をなぞるかのような抽象性が高いものに仕上げられたセットや、人称の変更、多言語を混ぜる試みも、普遍性を高めている。

役者さんには映像の完璧なコピーをしてほしいわけではなく、それぞれの家族を振り返りながら、それぞれの解釈で演じてほしいとお願いしました。なので、12本の映像は、同じ台本ではあるけれども、尺に1分以上の開きがあります」

そして、津田は俳優たちに上記のような指示を出していたそうだが、例えば男性俳優が「妻」を演じながら振り返る自身の家族とは一体どのようなものだろうか?性や役割を入れ替えた後も、俳優たちは個々なりの演技で父、母、子になっているのだが、そうした演技上のねじれが画面の違和感を増し、作品の狙いとして成功しているように感じられる。

そのような社会的役割への揺さぶりを、サエボーグはパフォーマンスというより直接的な接触を伴う手段を通して行うが、撮影、編集、上映という「時間」の表現である映像を用いる津田は、それと優れて対比的といえ、本受賞記念展の大きな特徴だ。タイトルの「人生はちょっと遅れてくる」はその点でも実に印象深い。


津田道子『カメラさん、こんにちは』インスタレーション・ビュー:奥側から入り口方向を見る。左手の壁には12組の家族を撮影したスチル、右手にはそれら家族を映したモニタがある


津田道子『カメラさん、こんにちは』:11個の壁掛けモニターには、津田家のホームビデオから作られた台本を、役割を変えながら12名の俳優が演じる11組の家族が映し出されている。写真の映像は父親を(画面中央)女性の俳優が演じ、母親(画面左)を児童の俳優が、そして子供(画面右)を男性の俳優が演じている。


津田道子『カメラさん、こんにちは』インスタレーション・ビュー:女性だけで構成された家族のパターン。国籍もルーツも三者で異なる。


津田道子『カメラさん、こんにちは』インスタレーション・ビュー:モニタが並ぶ様子。映像は開始時に同期しているが、各家族ごとに間やテンポが微妙に異なるため、ビデオが終わるタイミングは少しずつズレている。


津田道子『カメラさん、こんにちは』:モニタの下にイヤフォン端子。音声はここから出力されている。


津田道子『カメラさん、こんにちは』:音声を聴くためのヘッドフォン。壁掛けモニタ横の椅子上に積まれている。


津田道子『カメラさん、こんにちは』:ホームビデオを元に作られた台本はラミネート加工されて会場で手に取り、読みながらの映像視聴が可能。テキストを参照することで、何がどのように演じ直されているのか、よく分かる。


津田道子『12の家族写真』:各家族ごとのスチル写真が並ぶ様子。12組なりの雰囲気差が面白い。まるで本物の家族かのようだ。


津田道子『カメラさん、こんにちは シングル・チャンネル・バージョン』:壁で仕切られた奥には12組12人の役者が次々に登場するシングル・チャンネルの映像が上映されている。家族の誰かがフレームアウトするたびに新しい俳優が登場し、入れ替わる。


津田道子『カメラさん、こんにちは シングル・チャンネル・バージョン』:シングル・チャンネルの映像。韓国語やウズベキスタン語が発話される際は英語や日本語の字幕が表示される。英語話者を採用しなかったのも、「当たり前」への揺さぶりだという。


津田道子『カメラさん、こんにちは スコア』:仕切り壁へのドローイング(カットシート)。「これは人の動きを上から見たところを想像してドローイングにおこしたもの、人の動いた軌跡です。母親が黒くて太い線、子供が細い線、父親が点線。2本の直線はカメラのアングルの変化です(津田道子、アーティスト・トークより)。


津田道子『カメラさん、こんにちは』インスタレーション・ビュー:空間中央には12通りの映像を撮影したセットが組まれ、「カメラさん」が食卓を映すリアルタイム映像が壁面に投影されている。同時に、壁面には12通りの家族のうち、ホームビデオ通りの組み合わせになった家族の映像がループで投影されている。セットに座る観客は、映像の中に入り込む体験をする。


津田道子『カメラさん、こんにちは』インスタレーション・ビュー:映像用セットは津田家のホームビデオからリビングを再現したものだが、中立性、普遍性を高め、様々なバックボーンを持つ観客たちにも「家族」をイメージしてもらえるよう、固有名の要素を剥ぎ取った作り物のようになっている。画角を維持するため、椅子やコップなどの位置は固定されている。



付記:『あたたとわなし 家族』

津田道子『あたたとわなし 家族』(2007、ビデオ、1:48)



触れる順番としては真逆になるが、津田の展示会場入り口横には、初期の映像作品『あたたとわなし 家族』も置かれている。
津田がまだ学生だった時期に制作されたもので、キャプションとしてタブレット上に表示される以下の文言を読めば分かる通り、複雑な仕掛けが施されている。

左右対称な部屋と、その対称軸上に垂直に設置した鏡からなる撮影セットで、鏡に映り込む出演者と鏡の向こう側にいる出演者が、鏡越しにひとつの身体のように見えたり、ズレて見たことのない身体像が現れると言ったことが起こる。(キャプションより)

左右対称に設えられた部屋の中に置かれた鏡と祖母、母、猫、津田、そしてその鏡像を振り子のように揺れるカメラが撮影する。揺れているのはカメラなのだが、観る側には部屋が左右に振れ、そのたびに三人の人物が入れ替わってゆくような錯覚を起こさせる。
一瞬誤植かと思わせるタイトルとも関連する視覚的トリックを活かしたこの作品も、三つのインスタレーションを観た前と後では様々な意味で受ける印象が変わってくるだろう。手法としてもテーマとしても原点の一つに位置付けられる作品から得るその体験もまた「ちょっと遅れてくる」ものの一つである。



インタビュー:津田道子

津田道子インタビュー風景:『カメラさん、こんにちは』のセット内で、短時間インタビューを行った。



プレス内覧の3月29日、アーティスト・トーク後の津田に短時間インタビューを行った。『カメラさん、こんにちは』のセットに座り、当該作品や『生活の条件』の成り立ちについての解説を聞き、併せて昨年七月に金沢アートグミで行った個展『So far, not far』との関連性や今後の予定などをあわせて聞いた。作品は端正で理詰めだが、津田自身の語り口はアーティスト・トーク同様、慎重に言葉を選びながら話すという印象を受けた。

——セットの中でお話ししてると、ちょっとヘンな気分になりますね。受賞者インタビューなどでも語られていることで、改めてお伺いしたいのですが、展示の中核であるこの作品『カメラさん、こんにちは』は、審査中のスタジオ訪問の際に、審査員へ資料としてホームビデオを見せたのがきっかけで着想されたのですよね?

津田:そうですね私も凄く発見があって、これは今やるべきだと思ったんです。

——それはたまたまなんでしょうか?見せるに至った経緯と言いますか…。

津田:小津の映画と共通項があることは分かっていて、いつか作品にしようとは考えていたので、用意はしていたんです。

——見せる前は、「ジェンダーロールについて、社会的な活動として行おうとしているのか、個人的な動機があるのか」と質問されたと…。

津田:はい。それで、「こういう映像があるんだけど」と見せたら納得して頂けたというか。

——それはもしかすると、受賞の決め手になった出来事かもしれませんね(笑。

津田:どうなんでしょうね(笑。確認はしていませんが。



津田道子インタビュー風景:背景の壁面には筆者が映し出され、映像の中に入り込んだ状態になっている。



——そのホームビデオを起点に、より抽象的で、普遍的な形に展開していったのがこのセットなんですね。

津田:はい。だいぶ簡素な、CGのようなセットになりました。

——ただ、あくまで日本における家庭の形(食卓の形式)を前提にしているわけですか?日本の観客を想定して。

津田:ある程度はそうなのですが、韓国の方とウズベキスタンの方にも参加してもらいましたし、できるだけ色々な国の人に開いていきたいと思っています。ただ、英語じゃなくやりたい、というのはありました。

——英語じゃなくやりたい?

津田:役者さんの使う言語ですね。外国語といったらまず英語、というのではなく…。もちろん英語話者の方にも見て頂きたいのですが。

——なるほど。こういう家庭の、団らんみたいなものって、どの国でも「分かる」ものなんでしょうか。ダイニングの作りなども非常に日本的な形態ですし。

津田:小津映画の生活空間をモチーフにした作品のリサーチをしていたとき知ったんですが、こういう風にキッチンがあってみんなで寛いで…という形の住宅や生活のスタイルは、戦後に住宅金融公庫が戦災で家を失った市民に勧めたローンの仕組みとセットで広まり、形成されていったものなんですね。ホームビデオに注目したのは、そうした繋がりも関係があります。

——そういうドメスティックな文脈を持った作品に、色々なルーツの人がどういう反応を見せるかは興味深いですね。家族、というものの典型的なパターンに対して、なにかが演じられていると見做すのかどうか。

津田:オリエンタルなものに見えないよう考えてはいますね。ただ食卓を囲んでいる、それを撮るカメラが回っているだけのものだという点を強調して。当時の日本の食卓っぽいセットにもできたんですけど、「味」みたいなものは最小限にしたかったです。

——より演劇的というか、舞台のような空間を意識されている?

津田:リアルだけどVRに入りこむような、CG空間を見ているような、そんな感覚でしょうかね。

——お話を聞いていると納得しますが、一見するだけだと非常にテクニカルというか、何が起きているのかを把握するまでに時間がかかるんじゃないでしょうか。津田さんの作品はそうした「難しい」ものが多い印象です(笑。

津田:本人そのつもりないんですけどね(笑。

——ちょっと脱線しますが、昨年金沢のアートグミでやってらっしゃった個展『so far, not far』の映像インスタレーションも、他では見たことのない印象を覚えるものでした。センシティブな過去を口にする喉と、それとは別の身体が動く様子(ランニング)がスクリーンの裏表でズレながら重なり、スピーカーからの音声と入り混じるよう設計された空間の不思議さは、今回入り口に展開する鏡やスクリーンを使ったインスタレーション『生活の条件』のトリッキーな仕掛けと繋がっているようにも思います。



津田道子『So far, not far』(金沢アートグミ, 2023)インスタレーション・ビュー:表裏二面のスクリーンにそれぞれ映像が映し出され、天井付近へ設置されたスピーカーから津田の「声=言いたかったけど、言えなかったこと」が響く。片面にはその「声」を発話している「喉のあたり」の様子がクローズアップで映し出され、もう片面には津田が金沢市内を走る映像が映る。ランニングの映像は、1964年の東京オリンピックで聖火ランナーが走ったルートを辿るもので、発話と、発話する身体と走る身体が表裏に組み合わされる形式のインスタレーション。



津田:ありがとうございます。『生活の条件』みたいに鏡を使った作品をグミのあの空間でやることもできたと思いますが、ハマりすぎてなんだかハマらないなと。

——キャプションにも表記されていますが、『生活の条件』で俳優さんがしている動きは、『カメラさん、こんにちは』に現れる人物の動きを取り出しているんですよね?

津田:そうです。同じ俳優さんたちの中から、全員だと多すぎるのでより動きとかに興味がありそうな方を選んで。家の中での仕草だったり、家族の会話で示唆された動きだったりを独立させて取り出した他、家の中でしそうな動き(寝る、座る、など)の一つ一つを抽象化させて、「動きそのものになってほしい」と指示しています。

——「動きそのものになってほしい」という指示のユニークさは、津田さん独自のものですね。普通、出てこない指示です。

津田:実際のホームビデオのシーンを思い浮かべて演技するのではなく…あの方たちはダンサーではなく俳優さんなのですぐ演技しようとするんですが…、そうではなくて、「動きになってください」とお願いしています。

——「動き」と言えば、展覧会の関連企画でGWに参加者を募集してこの辺りをランニングするそうですね(※実際にイベントが行われたのは6月)。アートグミでもランニングの企画をやってらして、それらは関連展示として下で観られますが。



津田道子、サエボーグ、TCAA受賞記念展関連展示風景:受賞記念展の関連展示として、階下のスペースに津田がアートグミで発表したランニングの軌跡を描いたドローイング、リサーチ先のギリシャ、マラトンで参加したハーフマラソンの記念メダルなども展示されている。右側のモニタはサエボーグの過去作を上映するモニタ。


津田道子、TCAA受賞記念展関連展示風景:津田の受賞記念展の関連展示。アートグミで発表したランニングの軌跡を描いたドローイング、『カメラさん、こんにちは』で、壁面に拡大されたドローイングが飾られている。


津田道子、TCAA受賞記念展関連展示風景:津田の受賞記念展の関連展示。アートグミで発表したランニングの軌跡を描いたドローイング。


津田道子、TCAA受賞記念展関連展示風景:『カメラさん、こんにちは』で、壁面に拡大されたドローイング。



津田:大人数ではないんですが、近くを走る予定です。美術館の立地って、ランニングに適した立地と近いんですよ。フラットで広くて、治安が良くて。だからでしょうかね、美術館の周りって、ランナーが多いんです。

——そうなんですか?確かに近代美術館は皇居の近くだから、ランナーが多い印象ですが。

津田:私はランニングを始めた二年くらい前から国立の美術館の映像を作る仕事もしているのですが、国立国際美術館、京都国立近代美術館、東京国立近代美術館、国立西洋美術館…全部ランナーが多い(笑。ランニングの企画も、そんな結びつきから始めたところがあります。)

——こぼれ話以上に興味深いエピソードですね。わたしも中学のとき陸上部でしたが、20年以上、真面目に走っていません。津田さんは、今後も作品とは関係なく、ランニングを続けられるんですよね?

津田:はい。展覧会の準備でトレーニングができてませんし、夏は身体を動かすぞ、と(笑。

——ありがとうございました。わたしも久しぶりに走ろうかな(笑。




サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」/津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる」
Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024 受賞記念展

会期:2024年3月30日(土) ~ 7月7日(日)
休館日:月曜日(4/29、5/6は開館)、4/30、5/7
開館時間:10:00-18:00
会場東京都現代美術館 企画展示室3F
入場料:無料

https://www.tokyocontemporaryartaward.jp/exhibition/exhibition_2022_2024.html#link01




取材・撮影・執筆:東間 嶺 
美術家、非正規労働者、施設管理者。
1982年東京生まれ。多摩美術大学大学院在学中に小説を書き始めたが、2011年の震災を機に、イメージと言葉の融合的表現を思考/志向しはじめ、以降シャシン(Photo)とヒヒョー(Critic)とショーセツ(Novel)のmelting pot的な表現を探求/制作している。2012年4月、WEB批評空間『エン-ソフ/En-Soph』を立ち上げ、以後、編集管理人。2021年3月、町田の外れにアーティスト・ラン・スペース『ナミイタ-Nami Ita』をオープンし、ディレクター/管理人。2021年9月、「引込線│Hikikomisen Platform」立ち上げメンバー。


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