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「特別対談 梅津庸一×浅田彰」レポート ―国立国際美術館「梅津庸一 クリスタルパレス」関連イベント
美術家・梅津庸一の仕事を総覧した展覧会「梅津庸一 クリスタルパレス」(国立国際美術館・現在は会期終了)の関連イベントとして2024年10月5日(土)におこなわれた「特別対談 梅津庸一×浅田彰」。浅田ならではの視点から語られる梅津論や、本展の総括、芸術活動の意義についても語り合い、非常に濃厚な、展覧会の締めくくりに相応しい対談であった。
当初の予定にはなかったイベントであり、「閉幕に向けて何かぶち込んだ方がいいかなと思って」と梅津自ら声をかけ「単なるいちファンとして」受けたという浅田による、急遽組まれた座組みだった。直前の告知だったにも関わらず会場はほぼ満席。
2人の出会いは2016年の瀬戸内国際芸術祭。アートコレクティブ「カオス*ラウンジ」が女木島の古民家で主催した展示に梅津も参加しており、そこに訪れた浅田と意気投合した。それに関連し、最初のトピックは日本におけるアートコレクティブの存在について。
哲学者・批評家であり、現在は京都芸術大学で教授も務める浅田であるが、1960年代に東大全共闘のリーダーであった山本義隆が東大教授にもなれる優秀さをもちながら駿台予備校講師に就きハイレベルでアカデミックな教鞭を執っている例を挙げ、日本において大学よりも予備校・私塾が大きな役割を果たす側面について語った。梅津は、私塾として立ち上げ今もアートコレクティブとして活動を続ける「パープルーム」を主催している。
浅田「とにかく、自分たちで集まって、アートが好きだからということで勉強してみよう、やってみようと言って。そっちのほうがだんだん面白いものを生み出しつつあるというトレンドはあったような気がするんですよ」
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浅田は対極の例に村上隆の名前を挙げる。浅田曰く、ひと昔前まで、東京藝術大学(旧制 東京美術学校)に入学しないとアーティストにはなれないという風潮、国内外のコンペティションで受賞成績を残し国内外の大手ギャラリストに作品を売ってもらわないとダメといった風潮があった。そしてその典型として大成功した村上隆だったが、現在はやりたいことより儲かること中心、自身が代表を務めるアート事業会社カイカイキキの経営を念頭に置いた姿勢で、面白くない、惨憺たるありさまだと厳しく指摘する。
浅田「カオス*ラウンジにせよパープルームにせよ、大学でもちゃんと教えていないような、つまり黒田清輝がいかに西洋絵画を持ってきたのかということを自分の手でやってみて、さらにはモデルも裸になって身をもってやってみている。権威ある先生が黒田をどうこう教えるとかじゃなく身をもって再体験し再制作していくことによって、実は一番面白い形で初期の日本の洋画なり戦争のあらゆる問題なりが真面目にトレースされている。そういう意味で応援したい気分がすごくあった。」
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いっぽう梅津は、今年京都市京セラ美術館で開催していた「村上隆 もののけ 京都」については「本当に酷いと思いましたけど……」と歯に衣着せぬ感想を述べつつ、腐っても村上隆、自身が設定する仮想敵として重要な作家だと位置付けた。2022年度に国立国際美術館が、アメリカに対する日本のコンプレックスを主題とした村上隆の作品《727 FATMAN LITTLE BOY》(2017年)を収蔵した件にも触れながら、村上が強く持っている日本の敗戦意識について浅田が熱気を帯びた語調で解説。戦勝国もみな幼児化し日本のアニメ・マンガ・オタクカルチャーを喜ぶ図は敗戦国アーティストの逆襲なのだというナショナルアイデンティティを村上は背負いすぎていると。なお梅津は、自身の作品にも日本の敗戦意識が影を落とす《霞ヶ浦航空飛行基地》(2006年)などがあるが、モデルとなった人物である梅津宣夫(梅津の大叔父)は真珠湾攻撃で奇襲をしかけた加害者側という点で、違ったアプローチになっていると思うと述べた。
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梅津「敗戦国の悲哀、みたいな話も椹木(野衣)さんの「悪い場所」と共振するところがあって、(中略)じゃあ僕の世代は何ができるのか?ということを最近考え抜いており、このクリスタルパレス展はその中間報告」
戦争やナショナル・アイデンティティといった重大なテーマや、日本の美術史において長らく透明化している諸問題を、作家個人がどこまで意識を肥大化させて引き受けるか。はたまたそうでもせねば巨大なアートヒストリーには太刀打ちできないためにそうするのか。梅津においては初期より現在に至るまでその試みがうかがえる。
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日本人の裸婦を描いた油画で日本の洋画を世界に問うた黒田清輝の《智・感・情》(1899年)。梅津はそのモデルに理想化しない自分自身の姿を当てはめ更にもう1点を足した《智・感・情・A》を描いた。このことについて浅田は、黒田が富国強兵の時代に掲げた「絵筆で国に奉仕する」「男子一生の仕事として画家をやる」といったマッチョな思想・歴史をクィア化(変態化)しているのが面白いと評した。対して梅津は、こういった初期作については一定の効果や意味があったと思うが、東洋芸術っぽいサンプリング・リミックスもので続かず、美大制度批判を絵の中でこねくり回すのではなく私塾という形でプロジェクト化していったとパープルーム始動の経緯を語り、ただ現在は美大批判も単なる草むしりや日課のようになってしまい、自分の芸風や様式にはなっているが惰性にもなっているとその難しさも吐露していた。
梅津「本当だったらもっとがんとした権威があってしっかりした構造があればそれを壊すことでこちらも前衛性を担保できたけれども、僕の代にはもうすでに瓦解していたというか。権威側がもうどうしようもなくなってて、「もっとちゃんとしようよ!」っていう優等生的な役割を在野なのにやらされてたところがあって。もはや制度批判というか介護に近いなと思ったこともあって。「おじいちゃんちゃんとしましょうね」みたいな……」
浅田「在野の人たちが反権威で頑張れる、それほどの権威がなかったということが、良かれ悪しかれ、梅津さんたちの非常に豊かなクリエーションに繋がったと思う」
「権威」をキーワードに続くトークは、哲学者・浅田ならではの視点で語られた非常に興味深いものだった。黒田清輝が画家業を「男子一生の仕事」といったように、権威とはどうしても男性中心主義・家父長中心主義のもとにあったと前置きし、フランスの哲学者ジャック・ラカン、そしてラカン派が唱える「梯子と脚立(はしごときゃたつ)」という概念を引用する。梯子と脚立は似ているようで異なる。
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引用 https://illustmansion.com/terms-of-service
浅田の解説によると、ここでいう梯子とは無限の高みにまでのぼっていくためのもので、その高みにいるのは神であったり大きな意味での父であったりするのだが、それらの存在はどこまでのぼっても到達しない超越的なものとされる。その無限の父や超越的なものからの抑圧を受けた精神の病の兆候から生まれるクリエーション、アート表現がある。
しかし社会全体の中で父の権威が無くなった時、病の兆候を治してしまい真っ当な主体に作り変えてしまうことはつまらないことで。例えば草間彌生の「病をアートにして生きる」という、病を治すのではなく病と同一化していく表現。苦しむ幻覚で見ていた斑点を自ら作っていく中で、図と地が反転して、斑点の外側の余白部分が無限の網になって宇宙に広がるのだという表現を、草間は「兆候を解消するのではなく、兆候を別の形でアートにすることで私は生きるんだ」と言うそうだ。このような、病の兆候の形を変えてアートにすることが、無限の梯子に対する脚立なのだ。脚立のフランス語escabeauのbeauとは美であり、美的作品は病の兆候を脚立化したものだ。(……というのをラカン派の思想として紹介していたが、これでラカンを分かった気になられても困るとも発言していたので注意されたい。)
梅津作品に話を戻すと、ちょうど《春に向けてのエクササイズ》(2014年)という映像作品に登場する梅津は、脚立をちょっと昇ってはすぐ降りるということを繰り返している。まさに超越性、権威が失われた中でもがいているような、梯子を脚立化しているような作品であると浅田は感じたようだった。
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梅津「本当にこの作品は僕の作家性をよく表しているなと自分でも思うんですけど、昇って、(上から)飛んで、それをカタルシス(と表現する)みたいな感じになるのだと思いきや、やっぱりそこで逡巡があって、やっぱり降りよう、また昇ろう、と、いわば時間稼ぎのような。けれどもやっぱり身体は疲れていくっていう。僕の美術史との時間の付き合い方もそういうところがある」
梅津はこの後のトークで、草間ほどの病ではないが、自分は厨二病をいかに治さずにやっていくかというところがあるとも話していた。
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浅田は他にも、本展の第4章で版画作品が並ぶ空間の壁紙が版画で刷られていたり、第5章では壁にクリスタル形のペインティングがされていたりして、壁自体が作品化している様子が、「パラ作品」と言えるようで面白いと評した。これは、ドイツの哲学者・カントが使用し、フランスの哲学者・デリダが再解釈をおこなった美学・芸術学における概念「エルゴン/パレルゴン」になぞらえたものだ。ギリシャ語の「エルゴン」(作品)に、接頭辞「パラ」(傍らに)がついて額縁などの付属物を表す「パレルゴン」。パレルゴンであるはずの壁が作品化しているので、壁自体が「パラ作品」。
その版画で刷られた壁紙は、梅津が通う版画工房の刷師やスタッフたちと共に貼る作業がなされた。また、その場で画材を買ってきて壁にペインティングをしたり、普段の制作で使用している陶芸作品を乾燥させる棚を展示台として運び込んだりといったアクションもおこなっている。それは、美術館が現代美術を扱うとはどういうことなのか、と考える中で本展に臨むとき、整理整頓して文脈付けして体系化していく美術館の仕事に対して、美術館をアトリエ化すること、制作の原理を持ち込むことを意識したようだった。
梅津「僕の定義する現代美術っていうのは、価値が定まった、停止したものじゃなくて、価値があるかもしれないし、ないかもしれない、そして今まさにそこで価値が生成されたり逆に価値を失ったりするという刹那的なもの。展覧会自体を作品化するっていうことを、半分天然も入ってますけど、目指したところではあって。それがこの展覧会の一種の変な狂気とか見づらさみたいなものを生み出している」
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陶芸を本格的に始めるようになったきっかけや、艸居、艸居アネックスで本展と同時期に開催していた2人展「シルヴィ・オーヴレ+梅津庸一:『シルヴィとうめつ。おばけやしき?』」などにも触れながら炸裂するトークの勢いは衰えない。
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浅田が梅津の今後の展望を訊ねる場面もあった。梅津は、絵本など子どもに向けた仕事や、足繁く通っているオーセンティックバーとのコラボ、絹本に描くなどの日本画、本展でも実現していたヴィジュアル系バンドとのコラボももっとおこないたいなどと多方面に精力的な様子を見せていた。
後半は会場との質疑応答へ。前半の濃厚なトークに刺激され鋭い質問が飛び交う。そこから自由闊達に広がるトークも聞きごたえがあった。以下、抜粋しながらQ&A形式で紹介する。
【質問】
大叔父をモチーフにすることはあっても父(や母)が表れてこないのは、父子の関係を藝大など権威的なものに任せているからなのか。
【回答】
梅津:うまく言語化できないが、近すぎる血縁関係に対して嫌悪しているわけではなく……(距離を保ちたいといった様子)。パープルームも家族的な距離感だが血は繋がっていないとか、そういうコンセプトなのではなくそういう気質。自分が選んだ美術という不思議な分野には、間違いなく美術業界・美大を中心とした美術教育産業があって、どうしてもこういう生き方になってしまった。
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【質問】
作品に頻出する水玉模様、目玉模様は村上隆と関係があるか。
【回答】
梅津:村上さんの目玉や草間さんの水玉模様も知っているので完全に無関係とは言い切れない。自分の初期作は点描で描いていたが、美術史を参照するペインティングから離れていったとき点描の点が記号化して丸になっていった。美術史を参照しなくても絵が描けるのかというトライアルをしたときに円形や菱形といった誰でも描けるような幾何学模様・図形を頼りにするようになった。それが今も続いている。
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浅田:例えば草間さんは種苗業を営む家の生まれで、父親の不貞があったり母親に「こんな子生まれてこなければよかった」と言われたり最悪の家庭環境で育った。ひまわりの種の集合が身体を這う幻覚を見て倒れるなどの経験を経て作られた斑点模様の作品は図と像が反転し網目の部分が開かれた場所へ広がっていくとしたり、ペニス恐怖症でありながらそれを切るのではなくふにゃふにゃしたものをいたるところに増殖させることで怖いものではなくユーモラスなものに変えたりなど、種がもとになっている。それに対し梅津さんは《花粉濾し器》など、花粉に対するこだわりはどこから?
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梅津:生殖に関する意図もあるが、花粉は意思を持たず気流に乗って流され運が良ければ受粉するが大半はそうではなく、遠くに行けば行くほど空気中の濃度も薄くなるので、届けるためにはいっぱい飛ばさなきゃいけなくなる。それが自分の美術へのスタンスと共振するところがある。
浅田:昆虫が花粉のポリネーター(媒介者)になって花に受粉させるので、昆虫を引き付けるための形に花が進化することもあり、動物の受精と異なる花粉のロジックは面白い。
梅津:まさに以前ワタリウム美術館で「ポリネーター」と花粉を運ぶ側のタイトルを付けた個展をおこなったが、作品を素朴に作る制作者でありながら自分でキュレーションするとか、制作と運営を行ったり来たりした。今回のクリスタルパレス展は作家寄りの仕事が多い。
【質問】
作品の形について、どういう動機と経緯で初期作の平面作品から逸脱しているのか。
【回答】
梅津:作家活動を始めた当初は硬いパネルに自分の姿と美術史の参照を紐付けて描き、しっかり後世に残るものを作ろうという意気込みがあったが、根っこには制度批判があったためアートバブルな時代とマッチせず、絵画をしっかり描いて提出するという場所が信じられなくなった。それでパープルームというコミュニティで過ごし、最近は個の仕事に回帰してきたが、まだ絵画に戻る気になれない。大きなドローイングや屏風、掛け軸、版画、陶芸などは絵画のバリエーションともいえる。絵画が持つマーケット需要に供給が一致してしまう興醒め感もある。無理にちゃんとした絵画に落とし込む時期ではなくてずらして置いたほうが豊穣な制作ができると考えている。
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浅田:屏風作品《水難》について。この展覧会のために作ったの?(梅津が、「意識はしています」と回答。)ここ国立国際美術館は南海トラフ地震が来たら明らかに水没すると言われていて……。(梅津が、「そしたら水族館にしたらいいんじゃないですかね」と冗談口。)ニュー・アカデミズムと言われた、『アースダイバー』の著者でもある中沢新一が、かつての大阪は上町台地の他はほぼ海で、上町台地があった今の天王寺にある大阪市立美術館は水没しないかもしれないが他はだいたいダメだろうと。そのような場所で水難図屏風というのは相当なもんだなぁと思った。
梅津:昨今の社会派アーティストなら立地の問題を真面目にリサーチして告発するとかもあると思うが、それこそ虚しい。世界中どこが安全か言い切れる場所なんてない。危ないとか言うだけでなく「もしかしたらここに100年後は魚が泳いでいるかもね」とかユーモアで返す前向きなメッセージを込めている。今年の春、国立西洋美術館で「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」という展覧会があり、そこで川崎重工を告発するパフォーマンスがあった。分かるけれども話を単純化しすぎているし、ちょっと調べれば誰でも言える話で、現代アーティストが持っている職能・能力はそういうところに使うべきじゃない。主張が間違っているとは思わないが単なる市民活動になってしまうとそれこそ権威の濫用に思える。
浅田:親しくしていたダムタイプの古橋悌二は、自身がエイズになったことでエイズ・アクティヴィズムやLGBTQの社会的承認を求める活動を行いつつ、「ポリティカル・コレクトネスのレッテルを貼られたらアートとして終わり。訳の分からない剰余の部分がアートなんだ」「基本的に倫理や道徳の問題であり、美とかアートの問題とは少し違う」と言っていた。エイズのリアリティを知らしめて人々の関心を喚起するだけだったらテレビ番組などでジャーナリスティックにやればいいので、それを汲んだ作品を制作するのはいいことだけどそこから少しずれるのがポイントな気がする。
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浅田「成熟できなかった未熟児たちを生命維持装置で繋いでいるような。気が滅入る展覧会でした。」
梅津「寝てる場合じゃないですよね、起きろと。」
梅津:昨今の現代アートって政治的信条を発露する場所になっていて、それに共感できる人しか楽しめないような……それって本来の美術の役割を担っていない。どんな政治的思想を持っている人でもフラットに楽しませようという気が作家側にないと。あらかじめ観客を選別するような展覧会は感心しない。
【質問】
作家が作品を作ることの意義とは。
【回答】
梅津:昨今信楽で陶芸作品を作っているが、1回に200kgの粘土を買って土に還らない形にしたり、大きい窯で1回焼くだけで十数万円のガス代がかかるほどとんでもない量のエネルギーを使ったり、SDGsの時代を逆行している。現代アート作品は万人受けするわけでもないし一部の物好きなコレクターの趣味につけこんで売りつける詐欺まがいの行いでもある。それでもやりたいという欲望が勝ったときに作品を作る。作品が誰かのもとに届いて「いいなぁ」と思われるとか機能すれば有用性を見出せるが、ほとんどのものがゴミかもしれない。だから意義というより意地や欲望で作っている。でもそんなことはなかなか言えないので綺麗な言葉がステイトメントに貼りついてくる。そういうところを見透かしながら美術を見ていくといいと思う。
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浅田:意義があろうがあるまいが考える前に手が動いちゃってるのがアートだと思う。第二次世界大戦後の実存主義の頃は全てが無意味とされた。20世紀以降そうだと思う。生きているためには何の役にも立たないかもしれないが、これを見るために生きていてよかったと思う、そういうのがアート。
梅津:映画や漫画に比べ芸術はシェアできる人数が少ない。多くの人から見たら何だか分からないものだけれども、僕はすごく自分の作品を大事だと思っているし、そこに常軌を逸した熱量や愛情を注いでいるわけで。そういう姿を見て「こんなものを大事に思う人もいるんだな」とか「健気だな」「可哀想だな」とか何でもいい、感じてもらえたら。芸術は意義や意味を問われがちだが、オーセンティックバーでもラーメン屋でもカレー屋でもかけがえのない自分のメニューを磨いてお客さんに喜んでもらうために出す。そういう目線でものを作っていきたい。なんかよく分かんないオブジェが、僕としてはなかなかいいと思うよ、くらいの感じで、だけれども人生を賭けていくっていうような、素朴な意味での作り手というふうに回帰していきたい。
2時間きっかりでトークは終了。この日は本展最終日の前日で、網羅的な批評がたっぷりと聞かれたクロージングイベントとなった。最後に浅田は「こんな人(梅津)の面倒をみてここまでこぎつけるのは美術館の方々の苦労もしのばれる」「決断とご苦労に拍手を送りたい」と担当学芸員らにも賛辞を呈していた。
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会期最終盤で販売開始したクリスタルパレス展図録のサイン会
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著者プロフィール
Romance_JCT
普段は会社員です。
本日17時まで開催の「梅津庸一 クリスタルパレス」図録を手にしました!
— ْ (@Romance_JCT) October 6, 2024
きれい〜!!🟡🟣🔵
Romance_JCTとしてレビューとレポートで掲載頂いた記事を2本、ギュギュッと収録頂いています!✏️
はじめの梅津さんのテキストはPIERROTやDIAURAといったV系バンドのお話から始まっていました。 pic.twitter.com/yWO7mcMI9n
画像:クレジット表記のないものはみそにこみおでん撮影
おまけ
控え室でのアフタートーク
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今日の対談を語りあう3人
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控え室(国立国際美術館会議室)でパープルームTVの撮影。梅津庸一浅田彰特別対談のアフタートーク。
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レビューとレポート