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自分のルーツ

お盆恒例墓参り。

睡眠不足の頭痛を抱えながら父と早朝に祖父母を迎えに行きお墓参りへ。

祖父は90歳、祖母は85歳。

春分の日のお墓参りでも祖父は杖をステッキのように持ち足取り軽かったが、今日はもはや杖もいらない、危ないから靴を履いたら?という助言も虚しく履きやすいからという理由でつっかけスリッパ的なもので外出。元気だ。

祖母は昔は「ジィちゃんがボケてきた」と嘆いていたのに今では「ねぇジィちゃん、今日火使ってないよね?(コンロの火を付けてないよね?)」と記憶を祖父に頼る始末で、祖父の回答は「あ〜使ってないやろう」という何とも適当な答え。それでも祖母はすっかりその答えで安心していた。

でも車の乗り降りでは祖父が祖母を支えたりさりげなく気遣ったりする姿がとても紳士的で素敵なのだ。車からお墓までの土手を歩く時は鼻歌を歌っていた。


祖父はいわゆる下町の表具屋をやってたわけだが、育ちがいいわけでもないのに何となく教養がある、ということに最近気がついた。

これって昔の男性には多いと思うんだけど、書も特に習ったこともないのに非常に達筆で、趣味で水墨画もやっていた。

会話もウィットに富んでいまだに時々ダジャレを言うし、何だか話していて引き出しの多い隠れ教養人なのだ。

それで何となくだけど、やっぱり私は父方の血が濃そうだなと確信した。

そもそも父と私は顔がそっくりだが、そうではなくて、祖父の全体がなんかそういうのいいな。と思うことが繋がりを強く感じるなと思った。

「90歳にもなるともうこの世のおまけで生きてるようなもんや」と言う祖父は確かにもう全ての心配事から解放されて日々を楽しく生きているようにも思われる。

そんな祖父を見て私は何となく癒されて居心地の良さを感じていた。

祖母はというと、そんな祖父に頼っていつまでもか弱く可愛らしくいる女性で、それも素敵に思えた。相変わらず俗っぽい話が好きで昔の話をたくさんしてる。ある意味でその引き出しを探し当てられるのもすごいことだなぁと思う。

父と祖母が並んで歩いているのを見て、祖母は昔は小さくて可愛かったこのおっさん(父)の手を取って歩いていたんだなぁと思うと感慨深く、父は幸せだったなぁと昔の風景がうっすらと見えた気がして小さく感動していた。


今まで祖父についてそんなに深く考えたこともなかったけれど、共通点や共感できるところがたくさんあって、ルーツを垣間見た。

でもルーツはルーツ、ここから創るのは自分だなぁとも思う。

何と言っても時代が違う。

それでも本質にあるものは変わらないものだなと思うと安心感を得られる気がした。


ごきげんようよう。









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