『周波数』その1

『周波数』

~プロローグ~

「時刻は夜の11時を回りました、FMラピからお届けする、ミッドナイトラピ。ここからの時間は、漢字で”ヤマ タニ”と書いて”やまや”と読む、わたくし山谷祥があなたの相談を受け止める、受け止めるけど解決しない、山あり谷あり相談室のコーナーです。
 さて今日も、いつものようにみなさんから相談をお受けしているのですが、今日はこのコーナーの常連ともなっている、そして皆さんも楽しみにされている、ラジオネーム”アイニー”さんからのメッセージのみとさせていただきますね。
 いつもならアイニーさん、下ネタを交えながらーー大体そこは読めないんですがーー恋愛相談をしてきて、その様子が細かく書かれているので、私、山谷祥だけでなくリスナーの皆さんも、胸をドキドキさせながら聴いていたと思います。
 ただ、今日のメッセージはその雰囲気とは異なっていまして…...、正直読むべきかどうか悩みました。スタッフのみんなと議論を重ねました。そして、読む決断をしました。
 少し心がざわついてしまう方もいらっしゃるかもしれません。その時はどうぞ、ちょっとラジオの前から離れていただきたいです。
 ディレクターのよっくん、ごめんよ、BGMを落としてくれるかな。
 それでは、読ませていただきます。

 ――山谷さん、リスナーの皆さん、初めまして。アイニーの妹です。いつも兄のアイニーがお世話になっています。山谷さん、そして皆さんに相談があります。力を貸していただきたいです。
 実は、先日兄が交通事故に巻き込まれて、目がほとんど見えなくなってしまいました。そのため、今は妹の私が代わりに書いています。
 ここから兄の言葉をそのまま書かせていただきます。

 山谷さん、リスナーの皆さんお久しぶりです。アイニーです。
 はい、妹が書いてくれたように、事故に遭っちゃいまして、目が見えなくなっちゃいました。そのためしばらくメッセージが送れませんでした。一目ぼれした美女、通称ミホさんの様子、お伝え出来ずすみません。
 この事故の後、ミホさん、三回もお見舞いに来てくれましたよ。さすがに三回目になると期待しますね、カーテンが閉められて、目が見えないことを良いことに近づいてこられていろんなところを触られて……。妹に下ネタを書かせるのはなんか気が引けるので今日はやめときます。
 一目ぼれ、片思いの相手がお見舞いに来るなんて、そんなエロゲーみたいな展開、興奮しないはずのないこの展開。なのに目が見えないというのは、正直、かなりの絶望です。
 何度も何度もこのコーナーに投稿しているように、一目ぼれなんです。まず見た目から、タイプど真ん中で一瞬で好きになったんです。性格も最高ですけど最初はその見た目です。だから、もう二度とその御姿を目に映せないのかと思うと、……発狂しそう。
 事故した相手の人はちゃんと対応してくれているので、お金的なところは大丈夫そうです。なかなか仕事がうまくいかなくて落ち込んでいたんですって。それで注意散漫になったと。事故後はとっても親切丁寧です。なかなか、恨めません。
 …...こういう時は、誰に怒りをぶつけたらいいんでしょうか。
 
 ここまでが兄からのメッセージです。このメッセージを送るまでに、兄と何度も話をして説得してやっと、という感じです。
 どうか、どうか、兄に何か言葉をお願いします。兄はこのラジオが大好きです。――

 以上、アイニーさん、そしてその妹さんからのメッセージでした。アイニーさんからメッセージをいただいたのが、10月末、大学の文化祭が終わったころだったので、およそ一か月半ぶりということになるか……、まあその、下ネタなんかを交えていても、本当は真面目な性格であることを隠しきれない、そんなところが皆さんに好評だったんですが、まさかこの間にそんなことがあったなんて……」

 一つ息を吐く。
 いつもはおちゃらけながら、相談かどうかもわからないようなくだらないメッセージに、同じくくだらない答えをしていたけれど、このアイニーに対するコメントが、僕の今後のラジオパーソナリティとしての分岐点になるのは間違いない。
 気が付いたらうっすらとBGMが流れていた。よっくんの機転でいつもの明るい楽曲ではなく、落ち着いたギターソロが無音を埋めてくれている。
 天を仰ぐと、ふと両親の顔が浮かんだ。
 ディレクター席に目線をやって、マイクのカフをあげる。

「アイニーさん、メッセージ、ありがとう。――

~第一章 新田(にった)ゆり菜~

 気が付いたらもうあと三十分程で日付が変わろうとしている。洗濯を干さないといけない。夫はさっき帰ってきてそのまま部屋にこもって仕事をしだして、この部屋の惨状を見てくれない。私はどうして独りなの。
 7月の夜らしい、真夏の蒸し暑さに汗が垂れる。洗濯機から衣服を取り出すと、「新田ゆり菜」と書かれた名札がポロリと落ちた。……ああ、一緒に洗っちゃったのか。
 鈍い動きでそれを拾い、どこで買ったか、はたまたどのクリーニング店のモノかわからない、不揃いなハンガーに袖を通してリビングのカーテンレールにひっかけた。余計に部屋の湿度が上がり不快指数が増す。部屋を見返すとあたりに散らばる子供のおもちゃ。
 金曜日の夜だというのに、何一つ嬉しくない。また一つ、不快指数が更新された。
「……次は、何をしなきゃいけないんだっけ」
 そうつぶやいた時、ふと体内電池がぷつんと切れる音がした。「もう今日は終わろう」とだけ、力なく口を開いた。

 二歳になる息子は、幸運なことにあまり風邪をひかない。そのため共働きの我が家においてどちらの仕事にも最小限の影響だけですんでいる。一方で、悲運なことに人見知りが激しく、いまだに保育園で活発に遊べていないらしい。
 その二つがかけ合わさると、夕方4時に体力の有り余った二歳児、が完成する。ありとあらゆるおもちゃをひっぱりだして、走り回り飛び跳ね、しかもそれを一緒にやるように強要する。周囲の人に言わせると、このころがどうやら一番可愛いらしい。でも、私には悪魔にすら見える。必死の思いで寝かしつけたかと思えば、汚れたテーブルにくしゃくしゃの洗濯もの、足の踏み場もない床が出迎えてくれるから……。
 今日はそれでもシンクは片づけたし、洗濯ものもタンスにしまった。おもちゃはもう、片づけるのをあきらめれば良いんだ、と言い聞かせて、夕食の時に使ったマグカップを軽くすすいでインスタントコーヒーを入れた。ローテーブルに置くと二人掛けのソファに勢いよく座り込んだ。深い深い溜息が宙を漂い空気と同化する。そして私もソファと同化する。
 スマホのラジオアプリを開いて、最後の力をふり絞り再生ボタンを押した。

 ――いやぁほんと、今はもう深夜11時の30分を回ってるんですよ。こんな時間にね、夜食のメッセージはだめですって”米は毎日三合”さん。おなか減るでしょ。確かにね、疲れた時には何か食べると体力回復できるから良いですよね。しかも夜、へとへとな時に食べるモノは何だっておいしんですよ。そりゃ間違いない。小腹だってすいてるし。
 そこでお茶漬け持ってくるのはずるいよ。まじで食べたい! 家庭にもよとは思うけどきっと多くのところでは冷房掛かってるでしょ。熱中症だって怖いし。こんな暑い日にさ、冷房をかけて温かいものを食べるなんて贅沢の極み。深夜に食べる罪悪感もまたそそるものがあるし、それなのに胃に優しいお茶漬け。ねえ、ラジオを家で聴いていただいている方、ごはん余ってませんか? 冷凍庫で凍らせていませんか? ちょっと頂戴。お茶漬けのもとと一緒に局まで持ってきてよ。てか”米は毎日三合”さんが持ってきてよ! 三合炊いてるんでしょ!? お茶碗いっぱいぐらい余ってないの?――

 ぐぅ、とおなかが動く音がした。この疲れ切った体にお茶漬けは染みそう。冷蔵庫に目をやって、そういえば一昨日に凍らせたごはんがあることを思い出した。けれどここからの工程が多くて、解凍しながらお湯を沸かして、お茶漬けの素を探し出さないといけない。その低い低いハードルですら、今の私には越えられそうにない、残念ながら。
 仕方なくコーヒーだけすすりながら、すいた小腹と戦うことにした。

 何故かまぶたが重い。気が付くと部屋の電気は常夜灯に切り替わっていて、おなかには薄手のタオルケットが掛けられていた。スマホからはラジオの音が消えていて、テーブルに置かれていたはずのマグカップもない。
 壁掛けの時計は、2時半を指していた。どうやら寝落ちしたらしい。喉が渇いた。
 じっとりと汗ばむ額をぬぐい、腰をひねってソファで固まった筋肉をほぐす。キッチンまで向かうとたまっていたはずの食器がすべて片づけられていた。知らぬ間に夫がやっていた。
 決して夫も家事育児に無関心なわけではない。仕事が忙しいだけ。
 それがわかっているからこそ、余計にしんどい。いっそのこと何もしないでいてくれれば別れることも考えられるのに。
 

~~続く~~

一言コメント


noteを更新したのはいつ振りか。しかも小説となると、何年も前になるかと思います。
ふいに始めてみました。ラジオを題材にした小説です。
以前ラジオ局でディレクターをしておりましたので、それを題材にした作品を書きたくなったのです。
良ければ、ごゆるりとお付き合いいただけますと幸いです。

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