かわいくなりたい人生だった

かわいくなりたいとずっと思ってきた話。


いや、だったっていうか今も思ってるよ。
でも今はかわいいっていうか、なんだろう、年相応に綺麗でかわいくありたいというか。極端に若見えしたいとかではない。
ちなみになりたい雰囲気としては声優の安野希世乃ちゃん。超良い。


そう、で、かわいくなりたいとずっと思ってたのずっとがいつからかと言うと、たぶん中学生ぐらい。
ほーーーんとに中2ぐらいのわたし、いかにもアニメオタクの中学生ってかんじだった。(実際そうだった)
プリクラ見返したら、中3ぐらいからは盛り返して、高2ぐらいにはもう今の顔になってきてた。
まあ高2ぐらいから眉毛描いて、アイラインも引いて、うーーーっすら化粧して学校行ってたから、そりゃあまあというところはあるね。ある。


まあ、こういうの良くないとは思うけど、わたしは面食いだったので、中学に入ってすぐ学年でもトップクラスにかわいい子と友達になったんですよ。
彼女はほんとうにかわいいんだけど、それだけじゃなく同じ趣味に対して同じ熱量があって、懐が深くて、話が早くて、情に厚い。いいやつかよ。
でもなんというか、彼女と仲良くなったことがわたしの美醜に関する執着の発端になった、たぶん。
ただ、だからわたしは今この程度の見た目になれたんだっていうのは確実にあって、自己憐憫もしたけど、良かったと思っているんだよね。こういう感情が、気づきがあったこと。
ちなみにうまくその感情と付き合っていけるようになってから彼女に話した。びっくりしてた。そりゃそうだ。言ったことないもんね。


彼女とはほんとうにいつも一緒に居て、平日も一緒だったのに休日もフリータイムでカラオケしたり、男子校の文化祭に行ったりした。
男子校の文化祭。そう、わたしが世の中で一番微妙な感情を抱いているもの。それが男子校の文化祭。
彼女と男子校の文化祭に行くと、大抵そこの学校の生徒から声をかけられたの。こっちからかけなくても。
(逆ナンしなくても声かけられるのって当たり前なのかな…)
たぶんわたし一人だったら相手にされてなかったようなイケメンとかも声をかけてきた。すごい。顔が良いとはすごいこと。
でもさ、やっぱり、わたしはそこでは「じゃないほう」でしかなくて、「じゃないほう」である自分がとても嫌だったのね。
かわいかったら、わたしはわたしとして見てもらえるんだろうか、ってずっと思ってた。


先述の通り、高校生からは化粧して学校に行ってたんだけど(ほんとうは校則違反だよ)、それでもわたしは「じゃないほう」だった。
結局中学〜高校の間、ずっとわたしは「じゃないほう」だったわけです。
なんというかまあ、つらいじゃん!?どう考えてもつらいよね!つらかった!


つらすぎた反動で大学に入ってからはほんとうに顔面に気合を入れた。
あとここで、今や親友と呼ぶべき美人と出会った。品の良いものが好きなところ(というか本人が品が良い)、汚い言葉を使わないところ、知識量がヤバイところ等々、日頃からわたしは彼女に対する尊敬の念がすごい。
彼女とは頻繁に化粧について談義したし、しょっちゅう百貨店で化粧品をタッチアップしては感想を言い合ったり、洋服も試着してあーだこーだ言い合ったりした。(毎日レベルでそんなんやってたのに、講義終わってからそれなりに勉強してたあの頃の時間の使い方よ…)
これが顔の向上におけるいい勉強だったなーと思う。この時期は自分に似合うものとか結構理解できてた気がする。
まあでもここではあんまり異性間交友がなぜかそれほどなく(一番ありそうなタイミングだったのに…)、別に「じゃないほう」をそこまで意識することはなかったかもしれない。


それからそのあと、わたしはサッカー観戦が趣味なんだけど、一緒に見てた仲間が中継に映って「かわいくね?」ということで一躍有名になるなどするイベントがあったのね。(それは社会人になってからだったかもしれない)(いつだっけあれ)
こいつもまたかわいい。小動物。いいやつ。自分では八方美人と言うけど、いつも人のことを考えて行動しててえらい。尊敬。
で、相変わらず「じゃないほう」であったわたしもおこぼれに預かりなんか一緒にいてそれなりにかわいいみたいな扱いを受けるようになったわけ。
今思うとあの頃のわたしはほんとうに猿山のなんとやらだったんだけど、ついでながら顔が良い扱いを受けるのはこのタイミングがはじめてで、ここでも顔にメチャ気合を入れていたりした。


ただそのあと、25を超えたら、「じゃないほう」じゃなくなるためにかわいくなるというそのこと自体が難しくなってきたの。
今まで通りにしてても、思ってたかわいいが再現できなくなってくる。人はそれを(悪く言えば)老いと呼ぶ。味でもあるんだけどね。
この味を楽しめるようになるまでにちょっとかかってしまったなー。
結論、万人にウケるかわいいみたいなものになりたかったわたしを、わたしは捨てた。
わたしのためにわたしが「なんかよくね?」と思えるわたしを模索しましょうとなった。
dazzlinとかJILL by JILLSTUARTを着ていたわたしは、今SUZURIで買ったちょっとヘンでかわいいスウェットにadidasのパクリみたいなレギンス履いてNIKEのゴツいスニーカー履いて生きてるよ。


まあそれからね、今社会人になりしばらく経つんだけども、結局いつも一緒にいる子は同期トップクラスの美人です。
相変わらずわたしは「じゃないほう」やってる、ウケる。
もうわたしは運命(と書いてさだめと読む、という無駄な蛇足)として受け入れることにした。
でもそれはまあ、わたしもそれなり顔を好きになれる余地がある状態になってきたし、あなたのお好みじゃないなら結構です!と自信を持って言えるようになったから。
飲み屋で声かけてきたり、クラブで声かけてきたりした男が美人見ててわたしのことミリも見てなくても、まあわたしだってあなたには興味ございませんので?ぐらいの気持ちでいけるようになれた。
ていうか最初からそれでよかったのでは!?何気にしてたんだろうねわたしは。


でも思春期に思うことってそれはそれで大事にしたいよね。
わたしもそこそこの美容オタクになったけど、それがなかったら今も自分が自分たるために顔面の質を向上させる気概がない人間だったかもしれないからね。
まあ別にオチはない。以上。