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コテンラジオ第23話 始皇帝ってどんな人? 気づいたこと

コテンラジオ第23話を聴いて、要点を抜き出し所感を述べます。


●始皇帝ってどんな人?めちゃくちゃ優秀な現実主義者

⇒猜疑心が強すぎる部分もあるが普通に優秀だったイメージ。明確なビジョンを持っていたところが最も凄いところな気がする

●出自が特殊 趙の人質の子

⇒辺境から生まれた国は強いというのは従来ここで言ってきたことだが、秦という既に中心になったところではない場所で生まれ、苦労をした幼少期のおかげで始皇帝というバケモノが生まれたという見方もできるな

●父の子楚に呂不韋が人生フルベット

⇒有名な奇貨居くべしのエピソード。小説とかでは先見の明がある賢人として描かれる呂不韋だが、実際どんなメンタルだったんだろう?かなり心臓バクバクだべさ

●呂不韋

⇒元々、衛の商人で少なくとも親父の代から豪商。器量も大きく、発想力もあるという人物だが、女性関係が後の破滅を招く…。呂不韋の妾が始皇帝の母でそれを見初めた子楚が呂不韋に妾を所望。その時既に妾の腹には始皇帝が…みたいな話

●子楚に才能はなかった

⇒すぐ死んだし、よう分からん

始皇帝も人質時代は大変だっただろう

⇒子楚はいち早く趙を脱出し、母と子だけ趙に残され、苦労したと言われる。ちなみにそこで同じような境遇の燕の王子と仲良くなったが、王になり、馴れ馴れしい態度を取られたため侮辱。それを恨みに思われ中国で最も有名な刺客である荊軻をけしかけられ危うく死にそうになった

●子楚がすぐに死に13歳で即位

⇒子楚の祖父はキングダムの回想に出てくる昭王。治世は50年とかに及び、昭王が死んだあと、跡を継いだ王はわずか3日とかで病死。さらに跡を継いだ子楚も3年くらいで病死。運命のいたずらすぎる

●呂不韋の実力は半端ではない 国の政治のみならず経済も牛耳っていた

⇒商人出身ならではか?子楚が王位にあった間に地盤を固め、戦国四君を真似て食客を3000人養っていたとかなんだとか

●始皇帝はこの時期非常に苦労した

⇒親戚は頼りにならない。呂不韋は自分をコントロールしてくる。そんな感じでどうすればいいのやら…って感じになるよねー

●弟の反乱 合従軍の到来

⇒更に母親の愛人の反乱。ちなみにその愛人は超巨根。その反乱によって呂不韋は関連をこじつけられ失脚し、後に死を賜る

●人を信用しない

⇒人間がらみで苦労したんだから仕方ない

●毎日書類30kg分決裁していた

⇒人嫌いな分、仕事に逃げる的な?

●非常に勤勉でワンマンだった 属人性が強かった

⇒法家の仕組を使ってるし、李斯を中心とした閣僚の力を利用しているので、属人性が滅びの原因かどうかは微妙。人に帰結させるのもどうかと思うが、個人的には二世皇帝と趙高のせいだろと思う

●功績は統一後の仕組を作成・運用したこと

⇒前回の話聞いてて思ったけど、商鞅の作成した仕組を全国に広げた感が強い。でもそれを強権で運用に乗せたのは間違いなく始皇帝の功績

●言語も風習も通貨も違う国々を統一してそれを1つの国とした

⇒これが最大の功績だろうなー。ヨーロッパと中国で同じく大帝国が出来たが、ヨーロッパは瓦解し二度と統一されず、中国は国が滅んでも統一されるべきという概念は残った。それはやはり始皇帝の作った枠組と商鞅の組み上げた中央集権の仕組のおかげなんだろうな

様々な規格を統一した 度量衡の統一

⇒教科書に載るレベルの偉業

●インフラ整備

⇒これは諸刃の剣となる。二世皇帝たちはアホだったが、インフラ整備を進めて人民が疲弊した結果秦が滅んだというのもあると思う

●皇帝という概念の作成

⇒帝というものは実は戦国時代にも使われてるんだけどね

●人の意見を聞くけど、自分の意見も最後に入れる

⇒人は信じないが度量はあるというのがおもろいところかも。でも自分の功績に最後しちゃうならそれはずるい

●文字の統一

⇒これも教科書に載るレベル

●秦は滅んだが、漢にバトンを渡した

⇒バトンを受け取るくらい秦の仕組が優れていたという事よ・・・


●まとめ

書いてきた通り、後に繋がる概念的なものを作り運用に乗せていったというところが圧倒的な功績だなと思う。反面、急速な変化によって次代に負の遺産を残し滅びの原因を作ってしまったというところもあるよなーと感じる


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