正解だったら出会えなかった世界
僕たちは普段、意識的にも無意識的にも無数の選択をして生きている。
そしてその選択は、それぞれが異なる大きさを持っている。
小さな選択。
例えば、「今日の夕食は何を食べるか」とか「明日は何を着て出かけるか」とか、そういったことだ。これらの小さな選択はあまり恐怖が伴わない。
しかし大きな選択はどうだろう。
例えば、決別、受験、就職、転職、起業、結婚など。
これらは何かしらの恐怖が伴う。
僕たちは小さな選択に関しては、正解か不正解かをあまりこだわらないが、大きな選択をする場合は、途端にそれが正解なのかを明らかにしようとする。
なぜなのだろう。
きっと、大きな選択は大きな喪失があるからだ。
人生は時間であり、それらは有限である。
言い換えるならば、選択の大小というのは時間の大小でもある。
つまり、そこに費やす時間の長さを示す。
そして喪失というのは、費やすことができないと決まった時間だ。
費やすことができないと決まった時間が、実はかけがえのないものだと知る時、僕らはたちまち後悔をする。
しかし、そんなものはその時間を実際に生きてみないと分からない。
滑稽なことに、僕らはそういった分からないことを必死に明らかにしようとする。
正解と不正解って何なのだろうか。
分からない。
ただ、どう考えても僕が辿っている道は不正解にしか思えない。そんな不正解の道を歩いている僕の個人的な話をこれからしようと思う。
ここからは極めてプライベートな話になるので有料にさせていただく。
有益かとか面白いかとかはさておき、僕の中ではかなり頑張って仕上げた文章だと思う。僕はそんなに長文を書くことが得意ではないし、エピソード的な内容を書くのは苦手だからだ。だからもし読んでくれる人が少しでもいるのであれば僕は嬉しい。
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