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お年寄りの音楽家を聴く

さて、ある程度人気のアーティストやプレイヤーを聴いて、クラシック音楽に馴染めてきたら、様々な年齢層の音楽家の演奏を、聴き比べてみるのも面白い。

たとえば、ベートーヴェンの「運命」にしても、若い指揮者が振るのと、お年寄りの指揮者が振るのとでは、随分感じ方が変わる。「若い人の運命はフレッシュでいいなあ」と感じるかもしれないし、「巨匠が振ると、味わい深いなあ」と思うかもしれない。

長年、クラシック音楽を聴いていると、そんなお年寄りの演奏に対して、味わいのような端的な感想のみならず、「畏怖」の念を抱くようになってきた。特に、演奏する曲の内容が重ければ重いほど、精神的にのしかかるものが大きくなるように思う。それほど演奏会後の感情は充実している。ともすればお年寄りの演奏はもう「今」しか聴けないかもしれないのだ。

そのような特別な想いも込めつつ、これまで聴いた中で特に印象深かった、伝説級の演奏家を紹介したいと思う。聴くなら「今」しかない。

ヘルベルト・ブロムシュテット

2022年10月のNHK交響楽団のAプログラムで、マーラーの交響曲第9番を演奏し、歴史に残る大名演を残した、御年95歳の指揮者である。マーラーの「第九」について取り上げることはもう少し後になりそうだが、私はこの演奏をラジオで聴いただけだが、涙腺が崩壊しかけた。それほど尋常ではないパワーを持った大曲を、2日間に渡って振り切った95歳のマエストロの驚異性が分かるかと思う。

長年、当交響楽団に客演し、私も若い頃からテレビの前で釘付けになって見ていたこの指揮者を、生で聴く機会が一度だけあった。2021年10月の来日で、ステンハンマルとベートーヴェンを振った時だ。所沢のホールだった。

ダニエル・バレンボイム

2021年6月9日。愛知県芸術劇場コンサートホールにて。


指揮者としても、ピアニストしても世界最高と称されるマエストロのひとり。指揮は聴いたことがないが、2021年のパンデミック時に、勇気を持って来日してくれた時に、ピアニストとしての演奏を聴くことができた。曲目は、当初の予定ではベートーヴェンのピアノ・ソナタから第30,31,32番だった。この後期の三大ピアノ・ソナタもまた、多くの演奏家や愛好家から敬愛されている精神的で、最も特別な作品群の一つである。

ところが、バレンボイムの強い意志で、愛知会場は初期〜中期のピアノ・ソナタに変更になったのだ。本当は後期を聴きたかったので、些か残念ではあったが、さて実際に聴いてみると、その残念感は一瞬にして払拭されたのである。

ホアキン・アチュカロ

2022年7月15日。三井住友海上しらかわホールにて。

ホアキン・アチュカロは、現代スペインを代表するピアニストで、7月の演奏会時点で89歳だった。NHKの「クラシック倶楽部」で来日時のリサイタルを特集しており、初めて聴いたのがその時だった。番組のインタビュー時に、親交のあった作曲家であるモンポウとのエピソードトークがとても印象的だった。スペインの作曲家の演奏に定評があるが、今回はモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いた。

山下洋輔

2022年10月16日、愛知県芸術劇場コンサートホールにて。

音楽家・鈴木優人と、ジャズピアニスト・山下洋輔との異色のコラボレーション。近年しばしば共演しているようである。上原ひろみ、小曽根真、山中千尋など日本人の世界的ジャズピアニストの先駆者と言っても良い山下洋輔はこの日、母校の麻布学園でのエピソード、祖父が建築家であったこと、名古屋とのゆかりなど、興味深いMCで聴衆を引きつけたのち、演奏でも類稀な音楽性を聴かせた。

共通点は何か


さて、今まで各個人の演奏についての感想を書くことを避けてきたが、全てに共通点があるからである。それぞれの演奏家に共通することは、演奏家の個性が、作曲家や曲そのものを凌駕・超越していることだと思う。特にベートーヴェンを演奏したブロムシュテットとバレンボイムの両者の場合、「ベートーヴェンという作曲家の音楽」の真髄を追求しつつ、既に完成された個人の音楽性を顕現させていた。

それは勿論耳で聴こえてくる情報なのだが、同時に視覚的であるようにも思えてくる。この感覚をどう表現すれば良いか分からないが、まるで美術館で絵画を見ている時の感覚に近いように思う。「これが私が提示する音楽です。どうぞご覧ください」と言われて見ているかのようである。

そして、常に自由だ。技術的なことはどうでもよくなる。こう演奏しないといけない、楽譜の指示通りに奏でなければならない、という束縛感からは一切解き放されている。アチュカロのモーツァルトの文法は独自のものだし、山下洋輔のラプソディ・イン・ブルーは、楽譜通りではないけれど、完成された美学がある。「味わい深さ」という一言では片付けられない音楽の美なのだ。

若手の、あるいは円熟の全盛期を迎えている著名なアーティストの演奏とはまた違う、「畏怖」の音楽、究極点の音楽。この地点を楽しむことができるようになれば、感動の幅が格段に広がることだろう。


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