1998 ~ 2024 12
12
私は既に帰国していた。
インドネシアから4時間ほどのオーストラリアで12月23日の夜に彼と会うことになっていた。
6か月ぶりに戻った日本は師走の活気で街中は忙しい人々でいっぱいだった。街中の小さな声も自然に耳に入ることを感じながらイギリスでの6か月を思い出していた。有効期限切れの車の免許証の書き換え講習を受けて実家に戻るとドアの外からも電話の音が聞こえていた。祖母は忙しく流しで食器の片づけをしていた。蛇口からの水の音で電話の音が聞こえなかったのだろう。私はその電話を取ると細い声の女性が私の名前をあげて話し始めた。
12月21日のお昼頃だった。
この電話がかかってきた事と私がこの電話を取った事は偶然で奇跡だ。
緊急連絡先に私の実家の電話番号があったこととそれを見つけて電話をかけてくれたことも奇跡だ。
この2つの奇跡によって12月19日に彼が亡くなった事を知った。
あの電話の後彼は死んだのだ。
チケットをカナダ行きに変えて12月23日に日本を出た。
トロント、カナダは凍り付くような寒さで私を迎えて会ったこともない彼の家族とクリスマスを過ごした。
これまでの人生の中で最も悲しい12月25日になった。
一週間後、インドネシアからカナダへの距離も考慮されて彼の遺骨だけが帰国した。
何年も彼に会っていなかった家族の遺骨との再会を目の当たりにして自分の悲しみを表に出してはいけないような気持になった。孤独でどこへ向かっていいのかわからなくなっていた。私は本当にひとりだった。
外に出れば、世の中は何も変わってなくて当たり前の時間が同じように流れていることに絶望した。この絶望が一生続くような気がした。
最後の瞬間、目を閉じて人生を終えた時、何を思ったのだろうと考えた。何度も何度も死ぬほど繰り返し考えた。
気が狂いそうだった。
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