「動きたくない」×「いざ出発」× #8EFFC6

 あの夜から、3週間が経った。

 一人になることに抵抗はなく、ユウイチくんのいない生活には思ったよりも早く慣れていった。結局、私は彼に心を開いていなかったということなのかな。いつでも私のペースで生活をしていて、彼はあくまでも合わせてくれていただけ。彼は、私が彼に合わせていると思っていたかもしれないけれど、実際は逆だったのかもしれない。私は、結局どんなときも自分のやりたいことを優先しているのだ。

 別れを切り出したとき、ユウイチくんは大きく動揺したようだった。
「ユウイチくんってフラれたこと、ある?」
 小さく笑いながらのその質問に、彼は消え入りそうな声で「ない」とだけ一言返した。だろうな、と笑う私に、黙々とネイルを続けるユウイチくん。テレビからは爆発音が聞こえてきて、美しいスーツを着た女性が思い切り走っている。あのヒールであれだけの走りを見せられるなんて、尊敬する。
「……俺、何かした?」
「してないよ」
 何もしていないし、何も言わない。だから、別れるのだ。彼とのお付き合いに何も不満はなかった。それなりに楽しかったし、それなりに好きだったと思う。でも、彼とずっと一緒にいることは難しい。息苦しいと感じてしまった。
「好きじゃなくなった?」
「分からない。」
 それは、分からない。これは本当。きっと、分かることはないと思う。
「……俺は、サトコのこと好きだよ」
「うーん、うん、ありがとう。」
「なにそれ」
 情けなく、ユウイチくんが笑う。こんな彼の顔を見ることはないと思っていたし、私がその原因になることはないと思っていた。だって、彼が私によって傷つくことはなかったから。予想外のことに少し胸の奥で動いたものがあったけれど、ひょんなことから飛び出た私の言葉を撤回するつもりはない。
「ごめんね、ありがとう。」
「勝手に終わらせんなよ。」
「うん」
「……二人のことだろ。」
 ぽつりぽつりとこぼされる彼の言葉に、一つずつ頷いていく。私にできることは、それしかなかったから。
 背中を向けあって、ベッドに転がった。互いの体温と気配を感じる最後の夜に、彼は何を思うのだろう。最後まで仕上げてくれたネイルはあまり可愛いとは言えなくて、でも微かな光に反射して輝いている。まだ、微かに残っている情が疼いていることも嘘じゃない。それが生み出す小さな痛みには気づかないふりをして、そっと目を閉じた。
「……残っているものは捨ててくれていいから」
 朝、彼は私の動かない背中に一言だけ告げると部屋を出ていった。私の寝たふりには慣れている彼だから、きっと気づいていたはずだ。返事をすることもなく、それから私はたっぷり午前のあいだ、布団にもぐって溢れる涙を止めることなく流し続けた。

「ほら、行くよ!」
 一応、キリちゃんに連絡をすると午後からやってきて、外に連れ出されてしまった。連れてこられたのはチェーンの家具店で、何も必要ないのにというと「元カレとセックスしまくったシーツを変えないわけ?」と呆れた顔で言われた。
 その通りなのかもしれないけれど、そこまであけすけに言われるとちょっと微妙な気分だ。それに、前にシーツを買い替えたのも結構前な気がする。その間に、彼氏は2回くらい変わっているから、少なくとも2人の男と同じシーツで寝ていたことになる。
「……キリちゃんって意外と潔癖なんだね」
「そう?」
 当たり前じゃない?というトーンで片っ端からシーツを見繕っていく彼女の存在はありがたい。あのままだったら、午後はそのまま寝入ってしまっていただろう。
「……正直、サトコがアイツと別れて良かったと思ってるよ。」
「ユウイチくんのこと、嫌いだもんね」
「胡散臭いし、なんであんなに堅苦しいんだろって思うからね。こだわり強いっていうか、融通きかないっていうか。」
「確かに。箸が揃ってないと怒るんだよね。」
「ごめん、サトコ。それは私も嫌だわ」
「えー?」
 数時間前はあんなに泣いていたのに、今ではこんなに笑えていることが不思議で仕方ない。人間とは単純なもので、誰かに笑い飛ばしてもらえればそれでどうでもよくなったりもする。
「……本当に、サトコがくだらない男に落ち着かなくて良かった。」
 視線は綺麗に並べられたシーツを捉えながら、ポツリと呟く。キリちゃんの気持ちが痛いくらいに伝わってきて、私はまたなんか泣きそうになってしまった。
「……あ」
「ん?いいの見つかった?」
「うん、このグリーンのやつ。爽やかで癒されそう」
「今サトコに必要なのは癒しだからね。よし、買ってあげましょう」
「いいよ!」
「失恋記念よ、失恋記念!ショウからも、お詫びに何か買ってあげなさいって言われてるの。」
「えぇ……悪いよ」
「こっちこそ、付き合うわけないだろうって思って男を紹介した手前申し訳ないなって思ってるから!いいから、お言葉に甘えて?ショウに怒られるの嫌だし」
「……ショウくん怒ったりするの?」
「ああいうやつが怒るのが一番怖いのよ」
 少し悪戯っぽく笑うキリちゃんは可愛くて、見ているだけで少し心が軽くなる。じゃあ、と小さなつぶやきに反応して、すぐにキリちゃんはカウンターに向かっていった。
「さ、何か食べてかえろ!」
 ほくほくとした顔で、買ってきたばかりの袋を勢いよく渡して、キリちゃんはすぐに近隣の店の検索を始める。
「何食べたい?」
「……ハンバーガー?」
「なんでよ。もっと美味しいものいいなよ」
「ジャンキーな気分なの!オーガニックとかそういう感じじゃないの!」
「仕方ないから、シェイクもつけてあげよう」
「アップルパイも欲しいです!」
「仕方ないなぁ~。じゃあ、行きますか!」
 目を合わせて、さっきよりも大きく笑いがこぼれる。なんとなくつなぎたくなって手をとると、キリちゃんは何も言わずに私のそれに応えてくれた。そういえば、ユウイチくんとは3カ月くらい手もつないでいなかったな、なんて。また彼のことを思い出す。
「……キリちゃん」
「ん?」
「ありがと」
「どーいたしましてっ」
 キリちゃんは楽しそうに大きな声で笑って、つないだ手をぶんぶんと大きく振りまわす。また、明日からはじまる日常はきっと変わらないと思うけれど。ちょっとだけ楽しみにしていてもいいかもしれない。
 カラリと気持ちのよい青空を見上げて、私は光を胸いっぱいに吸い込んだ。

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