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僕の好きなアジア映画105: あしたの少女

『あしたの少女』

2022年/韓國/原題:다음 소희(英:Next Sohee)/138分
監督:チョン・ジュリ(정주리)
出演:ペ・ドゥナ(배두나)、キム・シウン(김시은)など

本作は昨年日本でも公開された映画だと思うが、例によって山形での上映はなかった。その後DVDのレンタルも各種配信もあったのだが。重たい内容の映画を観る気分ではなかったのでしばらくそのまま観ないでいた。今日は(8月11日のことです)台風で旅行も取りやめにしたので時間に余裕があり、やっと観る気になりレンタルで観た。これはどちらかといえば地味な社会的な映画だし、解決を見出しがたい主題を考えれば絶望的に重たいのだけれど、素晴らしい作品だった。もっと早く観ておくべきだったと後悔している。

ソヒ(소희)は主人公の高校生の名前である。ダンスが大好きな彼女だが、その夢が彼女の将来に何らかの光を与える可能性はほとんどない。平凡な学業成績、貧しい家庭で育った彼女はどこかに就職をするしかない。学校は就職率のみをみて、もちろん生徒の個性など見ようともせず、ただ学業の成績のみで就職可能な会社での実習を紹介する。就業率のみで学校は評価されるのであり、就業させる会社の仕事の内容すら知らない。会社は学生を実習生という名ばかりの立場で実質的な労働を求め、彼女たちをただ道具として、所属する部署の業績のためのみに酷使する。管理職たちもその業績のみで会社に評価されるからだ。学生たちはただ労働搾取をするためだけの対象であり、学校も会社もただ一つの集合体としての数字のみで判断し、決して個を顧みることをしない。こうした社会の歪んだ構造によって彼女たちは個としての尊厳を完全に損なわれている。

本作の原題は「次のソヒ」である。つまり社会的構造の変化がない限り少女たちはこれからもずっと搾取の対象であり、そういう意味で次のソヒになる運命から抜け出すことはできないという意図だと思う。しかし邦題は「あしたの少女」。まるで少女たちの明日に希望があるようなこの邦題には違和感しか感じない。現代の韓国社会にあって希望を見出せない、「あしたがみえない」少女たちを鮮烈に描いた本作に、「あしたの少女」はないのではと、僕は思うのだが。

本作の監督は『私の少女』の女性監督チョン・ジュリ。前作も田舎の港町を舞台に、韓国社会(というよりどこの国にもある)のさまざまな問題を凝縮して炙り出した秀作だった。しかし前作からこの作品までなんと8年という期間を費やした。つまり韓国の女性監督は映画を製作する機会になかなか恵まれない状況に置かれているようだ。

百想芸術大賞映画部門女性新人演技賞/脚本賞、Blue Dragon Film Award for Best Screenplay、Grand Bell Award for Best New Actressなど


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