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僕の好きなアジア映画76: 小説家の映画

『小説家の映画』
2022年/韓国/原題:소설가의 영화(英:The Novelist's Film)/92分
監督:ホン・サンス(홍상수)
出演:イ・ヘヨン(이혜영)、キム・ミニ(김민희)、ソ・ヨンファ(서영화)、パク・ミソ(박미소)、クォン・ヘヒョ(권해효)、チョ・ユニ(조윤희)、ハ・ソングク(하성극)、キ・ジュボン(기주봉)


幸にして先日ホン・サンス監督の長編デビュー作品『豚が井戸に落ちた日』を観ることができて、27作目となる本作『小説家の映画』以前の作品で僕が観ていないのは、『女は男の未来だ』と『浜辺の女』、そしてコロナ禍で劇場に行くことを躊躇った『あなたの顔の前に』と『イントロダクション』の4本だけになった(おっと『映画館の恋』もあった)。などと言っている間にもこの『小説家の映画』の後にすでに3本の映画を作り上げているのだから、ホン・サンスのペースに追いつくのはなかなか容易ではない。

プロットはシンプルだ。後輩を訪ねてきた、最近執筆をしていない小説家が、旧知の人々と邂逅する中、このところ映画出演をしていない女優に出会う。そして彼女と意気投合する中でその女優を主演に短編映画の制作を思いつく。簡単に言えばこれだけ。いつもの通り、強力なドラマは存在していないし、その必要性も映画の中の会話でさらりと否定してみせる。そういうホン・サンスの映画のスタンスは多くの映画ファンにとっては特異なものといえよう。彼の映画は人を選ぶ。

この映画もいつもの通りの会話劇。辛辣であったり、ぎこちなかったり、親密であったり、食事をしたり、お酒を飲んだり。前述した通り「ドラマ」についてもそうなのだが、本作ではその会話の中でホン・サンスの映画や芸術に対するスタンスを登場人物にさりげなく語らせている。小説家を演じたイ・ヘヨンの威厳のある演技も素晴らしい。

映画に出演しない女優に「もったいない」という商業主義的映画監督に対する小説家の辛辣な批判。芸術に対する向き合い方はは個人の考えが尊重されるべきであり、芸術に対して真摯であるべきという思いが滲む。フィクションの中で自然な姿を描くこと。映画の中で自然であることとドキュメンタリーとは全く違うということ。好きだと思う俳優を選び、その俳優が落ち着く環境を作ることが重要ということ、などなど。

映画が出来上がった後、制作に関わった女優の甥がスタッフに語る。普通の映画監督よりこの小説家は余程情熱的で緻密であり、ある人にとってはこの映画はとても価値のあるものになるだろうと。これはホン・サンスの映画の存在そのものであり、彼の映画が好きな者は大きく頷くセリフではないか。

さて出来上がった短編映画の中、公園で野花を花束に束ねる女優。美しい花束に「カラーだったらいいのに」と言ったその時、今まで荒いモノクロだった映像が鮮やかなカラーに転じる。ただカラーにすることだけで起こる穏やかな衝撃に息を呑む。見事に「自然」な姿を見せるキム・ミニは、過去のどの彼女より最も美しかったのではないか。

その映画を試写でみて女優がどう感じたかは明らかにされない。ただ彼女が緊張から解かれた様子だけで締めくくられる。ホン・サンスの頭の中をしばし垣間見るようなこの映画、僕にとってはホン・サンスの中でも最も好きな一つになった。

第72回ベルリン国際映画祭銀熊賞


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