納得できないわたしの居場所
旅の途中、日本に帰る度に決まっていつも思うこと。それは、
「なんで?」「どうして?」日本はこうなの?
生まれてから異国の地へ旅に出るまでわたしは、当たり前の中で当たり前に気づかず当たり前に生きていた。
学校では決まった教科書で決まったことを学び決まった時間にまるで時計の針のように生活をすることが当たり前だし、会社員はスーツを着て決まった時間に会社に行き家族や自分の時間を犠牲にして仕事をすることがごく一般的で、
みんなと同じようにできないとそれは「おかしい」「変わってる」というレッテルになる。
当たり前に疑問を持たずに生きていけるなら、気づいたとしても諦めるように暮らせるのなら、わかっていても折り合いをつけて人生を全うできるのなら、どれだけ幸せなのだろう。
上司に放った「納得できません。」は、今までの当たり前をがらがらと崩して旅をしてきたわたしにとって"当たり前"に発したことばだったけれど、
それはこの国ではご法度らしい。
みんな気づいているけど言わないで働いてるんだよ、この国は。
このことばを一人、また一人と聞くたびに、どうしようもない息苦しさに襲われた。首を何かに縛られてぎゅう・・と締め付けられるような呼吸のできない苦しさにとうとう耐えられなくなってパタリと倒れてしまったのかもしれない。
なんで?どうして?納得できない。
何度も何度もぐるぐると頭に巡りまた元の位置に戻ってくる堂々巡り。
わたしが生きていける場所はあるのだろうか?
タイにいるときにふと言われたことば。
人間関係って、2割は自分が何をやっても嫌う人。6割は何をやっても興味がない人、残りの2割は何をやっても好きでいてくれる人。で、できているらしいよ。
わたしの人生、何をやっても好きでいてくれる2割の人と過ごす時間をできる限り増やした方が幸せなんじゃないか。わたしの居場所はそこなんじゃないか。
何度も、世界に一人ぽつんと置いてけぼりにされた感覚になるけれど、わたしが生きていく場所はわたしがつくり、決めればいい。
じぶんの表情は嘘をつかない。こんなにもきらきらした表情になるのは、好きな場所で好きなことを好きな人としているときだけだ。
***
地球で目一杯生き、太陽をたくさん浴びた肌が服で隠れる白い肌と境界線をつくりくっきり薄い茶色が浮かび上がっていた。
今回の人生、たくさん日焼けをしてたくさん笑って、たくさん幸せと感じる人生にしよう。
こんなにも綺麗で広い地球に、せっかく生まれたのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?