対話の変化・書き言葉の新生(三沢左右)

 歌会、読書会、座談会などのイベントが、Zoomなどのwebツールを使用したオンライン実施に置き換わってきた一年だった。当誌「COCOON」の批評会も、昨年以来オンラインで行われている。概要は本誌巻末の批評会記を参照されたい。
 イベントがオンライン化して、何が変わったのだろうか。角川「短歌年鑑令和3年度版」収録の特別座談会の議題は「コロナ禍における『座』のあり方を考える」であった。座談会中、吉川宏志氏はZoom歌会の難しさを述べ、「言葉になる以前の、身体的なメッセージって意外と大切なんだな、と改めて気づきました。」とまとめる。松平盟子氏は、場を共有する際に現れるさまざまなサインや「察する」機序を述べた上で「でもオンラインの場合は違いますね。基本的に全員が正面を向いています。遠近がない。」と分析する。
 たしかに、オンラインでは多くの情報が削ぎ落されるというのが私の実感である。また、通信に付随する「間」も見逃せない。会話のテンポを一拍遅らせられるだけで、会話は宙に浮く。適切に伝わっているかの不安を抱えたまま、言葉を継いでいくことを強いられると、一〇秒足らずの発言でも気分は独演会だ。聞いている側も、話者の意図のまとまりを瞬間的に整理しながら長口上を聞き続ける集中力を要求される。コロナ禍とそれに伴うプラットフォームの変化は、私たちの対話の形に何かしらの影響を残すだろう。
 ところで、「コスモス」二〇二一年一月号に興味深い企画があった。結社内の連作賞「O先生賞」の発表号。選考経緯が異色だ。四人の選者が一次・二次選考を郵送で行い、最終的な選と選評は、選者であり取りまとめ役の高野公彦氏のもとに集められる。そして、集まった選評を高野氏が〈話し言葉〉に編集し、〈架空の座談会〉という形で創作するのである。「選評の内容は変えていない」ということだが、読者に納得してもらうためのさじ加減が難しい企画である。実現したことに驚きを感じると同時に、言葉の「内容」とは何なのかということを考えさせられた。
 これまで私たちが雑誌で目にしてきたインタビューや座談会も、書き起こしに際して冗語が省略され、「内容」が伝わりやすいように編集されているのだ。当然、先述した身体的メッセージや「間」も削除編集され、時には発言自体が編集者の意図に沿う形に整序される。編集の前と後との懸隔を考え合わせると、「書かれたもの」→「書かれたもの」という編集形式の「コスモス」企画の方が、もしかすると誤差は少ないのかもしれないとも思える。「書かれたもの」は今、新たな視点で捉え直され、新生しようとしているのではないか。

オンライン講座はできず手書きにて歌を批評す昭和びとわれ 影山一男「コスモス二〇二〇.一二」

 「コスモス」にこのような一首があった。作者は自信を「昭和びと」と苦笑するが、私は「手書き」で思考や感情を伝える歌人のたくましさを読み取った。
 生活様式が否応なく変わりつつある状況下、「対話の変化」と「書き言葉の新生」は歌人の言葉をどう変えていくのだろうか。

文・三沢左右

歌誌「COCOON」vol.19(時評)2021.3 より転載

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