見出し画像

学校生活に関する子どもの声を集めます

 いま、不登校の子どもさんの新しい相談を毎週のように受けている。地域で不登校の子どもさんがどんどこ増えているのか、相談されることが多くなっているだけなのかは分からないけれども、この激増ぶりに「異常事態」を感じずにはいられない。不登校の子どもさんをお預かりしたり、居場所を作ったりしてきたが、もう個人でできることのリミットには達してしまっていて、新しくご相談を受けても直接サポートができないことも多く、無力感を感じている。

 一方であまりに不登校の子どもたちが増えているせいか学校の対応も少しずつすすんでおり、ムスメさまの中学校でも不登校の子どもたちが別室登校に集まっていて、教職志望の大学生ボランティアがついてサポートして下さるようになった。ムスメさまも「私たち7組(本当は6組までしかない)!学校に来てるだけでエライ!って言い合ってるの。」と喜んでいて、不登校の子どもたちにとって居心地のよいクラスが学校内に生まれてよかったなと思う半面、おそらくそうしたクラスを求めている子どもたちは潜在的にもっといるだろうと思うと、学校全体の制度そのもの(学級人数であったり、個別の学びへの対応だったり)を見直していかないと、学校が最も危惧する「みんなに特別な対応を認めていくと学校が成り立たなくなってくる」事態に陥るだろうなとも思う。だから特別な対応をしない、じゃなくて、それが「特別」なのではなく「当たり前」としてみんなに提供していけるようシステムを作り変えていって欲しいと思う。

 しかしなかなか「学校」が「学校の在り方」そのものに目を向けて事態を打開していく・・・という方向にはならないのが現状で、毎年文部科学省が行っている不登校の調査でも、不登校の「学校側の要因」を探らずに子どもたちにばかり要因を見出そうとしているなと感じている。そもそもこの「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」は毎年行われているのだけれども、回答しているのは学校だけで、子どもたちやその家庭からの声を集めていない。そのことが問題視されてか、昨年度教育機会確保法の成立を受けて初めて「不登校児童生徒の実態調査」が行われ、不登校経験のある一部の子どもたちに回答を求め、結果が公表された。教育新聞の記事にもあったが、学校が回答する調査の結果と、子どもたちが回答した調査の結果に大きな乖離があり、学校側が認識している不登校要因のトップにあがったのは「(子どもの)無気力・不安」に対し、子どもが挙げた要因で最も多かったのが「先生のこと(小学生で最多。中学生で3番目)」「身体の不調(中学生で最多。小学生で2番目)」であった(中学生の2番目は、勉強が分からない)。ここにこそ、学校が自らの在り方を問わずに子ども(と家庭)に原因を見出そうとしている姿勢が如実に表れていて、それを可視化しただけでもこの調査の意義があったんじゃないかと思う。でも身近な方々から不登校の相談を多く受ける身としてはなんだかすごく虚しかったり腹立たしくなるのも事実で、それというのも「何もなく子どもたちが無気力・不安になると思うの?」ということであり、そのように見える背景を学校側がまるで知ろうとしない、「自分たちに原因があるのではないか?」と問おうとさえしていないというところにある。

 さらにこの調査結果を受けて示されている対策のほぼ全てが、「子どもを支援する」ものであることに絶望してしまう。衆院選で各政党が不登校対策として「スクールカウンセラー」の増員や機能強化を大合唱しているところから気になっていたのだけれども、なぜこの調査結果から「スクールカウンセラーがもっと必要」という結論を導き出せるのか。子どもたちからは「先生のこと」で不登校になっているんだと声があがっているのに、例えば先生が平気で子どもを怒鳴り散らしている環境(残念だけれどもいまだによく聞く)をどうにかしていこう(子どもじゃなくて先生のほうにカウンセラーが必要なんじゃないかと私は思う)というようなことは1ミリも対策としてあがってこない。言葉は非常に悪いけれども、大気汚染という公害が起こってぜんそく患者が激増しているのに、対策として「医者を増員します」と言って元凶の大気汚染が放置されるような頓珍漢さがここにあるのに、なぜそれが問題視されないのか。私の把握できている限り、この子どもたちの声を拾った調査結果はあまり報道もされていない。

 だからといって私は先生が悪い!と糾弾したいわけでも、スクールカウンセラーが無意味だとも思っていない。先生が怒鳴ってしまう背景には様々な制度上の問題があるだろうし、スクールカウンセラーの存在によって助けられている子どもたちもいるだろうと思うから。でもそもそも「先生は怒鳴ってはいけないよね」という共通認識は必要だし、その認識にたってはじめて「怒鳴らざるを得ないような環境をどうにかしていこう」「先生をサポートしていこう」という対応に結びついていくものである。「先生が怒鳴るのがいや」という子どもの声をまるっと無視して、「子どもが不安なんだ」とカウンセラーにつないで子どもの「不安な気持ち」だけ聞かれ続けていても、何も解決には向かわない。子どもの声を聞いたカウンセラーさんが先生との間に入って具体的な環境調整(管理職に先生のサポートをするよう促すなど)をしてくれるといいのだけれども、そんな権限がカウンセラーさんに与えられているとも思えないし、職域としてそれが含まれているのかさえよく分からない。こうして「怒鳴る教員の問題」が「不安に思う子どもの問題」にしれっとすりかえられていってしまうことに、私は非常に危惧を覚えるのである。

 もしかしたら「身体の不調」という要因の背景も安直に「心理的な問題」とみなしているから「カウンセラーを」の大合唱につながっているのかもしれないけれども、まずは身体的に(健康面で)問題がないか確認が必要だし、学校やその他の活動の(心身両面にかかる)負荷についても検討が必要である。とりわけ昨今の中学生の忙しさは尋常ではないように私には思えるし、内申書を人質にとられた課題の多さとプレッシャーもものすごいものがある。思春期で身体が劇的に変化する時期、本当は身体へのケアが必要な時期に、過重な負担を心身にかけていないかという視点ももっと必要なのではないかと私は思う。学校の先生がたは過密スケジュールをマッチョにこなしていける身体能力の持ち主ばかりかもしれないけれども、そんな生徒たちばかりではない。だから「身体の不調」を心理的要因に帰結させる前に、出来得る環境調整をしていく必要があるのではないか。

 さらに中学生たちが要因(2番目)としてあげている「勉強が分からない」だって軽視できない問題で、「学び」を「競争」にしてしまっている現状を変えて、「格差をうめる」という公教育のミッションに立ち返って欲しい。「ついてこられない生徒は仕方がない」ではなくて、「誰もとりこぼさない」ようにそれぞれの学びを保障するのが公教育の最大の仕事ではないのか。

ぜえぜえ。
(この話題になると、あまりの伝わらなさにおやかんシューシュー状態になるのである。)

 子どもたちの声が、あまりにも聞かれていない。
勇気を出してあげられた声も、聞こえないフリされたり、大きな声でかき消されたり。
あるいは勝手に「こうでしょ」と解釈され、対策をうたれたり。

 権力勾配があるって、こういうことなんだなぁ・・・ということのオンパレードである。だけどこうしてプンスカ怒っている私だって子どもたちが学校で何をつらいと思い、何を拒否し、一方で何を求めているのか、分かっているとは言えない。もっと、子どもたちの声を聞いてみたいと思う。

 そこで。

 1月29日に開催するオンラインふくろうぶんこの講座「哲学カフェ×子どもの権利 コロナ禍で大人が考えよう!子どもの権利」に先だって、まずは子どもたちの声を聞いてみることにした。不登校かどうかにいかかわらず様々な子どもたちが、学校生活の中でどういったことが好きで、何を嫌だと思っているのか。そして「学校がこうなったらいいな」という願いは何か。アンケートとインタビューで子どもたちの声を集め、大人に何ができるかを考えたいと思う。

 もちろん身近な範囲でしか声を拾うことができないだろうし、アンケートとインタビューで聞き取れることも(方法論的な)限界があることは承知している。それでも子どもたちの声を受け止め、自分にできることをし、社会に届け、いずれはシステムを変えていけたらと思う。なんか、壮大になってきたな。でも、これは極めて政治的な活動でもあるのだ。「不登校は子どもの問題じゃなくて、システムの問題だ」と気づいたその時から、政治的なフェーズに入らざるを得なかったのだと思う。

 アンケート用紙の配布と、インタビューに応じて下さる子どもさんの募集をもう間もなく始めようと思っている。また後日ご案内するので、ご協力頂ける方はどうぞよろしくお願いします。

細々noteですが、毎週の更新を楽しみにしているよ!と思ってくださる方はサポートして頂けると嬉しいです。頂いたサポートは、梟文庫のハンドメイドサークル「FancyCaravan」の活動費(マルシェの出店料等)にあてさせて頂きます。