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揺れ動きながら,デモに行く

 うははははー。似てるー似てるー!と,ムスメがプラカードに描いていく3A(ABEさん,AKIEさん,ASOさん)たちにお腹がよじれるほど笑いながらも,小さな罪悪感も感じずにいられない,面倒くさいワタクシ。「面白いなー!」と盛り上げている一方で,「でもね,こういうことは自分より弱い人にしたら絶対ダメなんだよ。」と妙に説教くさくなったり。「ASOさんの口曲がりすぎてるかな?」と言うムスメに「それくらい曲がってるよ。」と揶揄して答えつつ,「いや,人の見た目のことをそんなふうに言っちゃいけないんだけど。」と激しい葛藤に耐えかねて呟いてみたり。要するに「弱い,ズルいおとな」の典型なのだがしかし,参加してみて初めて分かった。デモには,絶妙なバランス感覚が求められるということに。

 「悪口」や「いじめ」ではなく,「抗議」したり「風刺」する。

 あぁ,その両者を分かつ境界線の,なんと心もとないことよ!

 と天を仰ぎたくなる。もし目の前に子どもがいなかったら,そんな境界線の存在にすら気づかずまっしぐらに直進していたかもしれない。「それは,子どもの前で言ったりしたりできることか?」という自制が,かろうじてストッパーになっている。それくらいの危うさを,私は「私自身に」感じた。だからといって「デモは危険だ」などと言いたいのではない。デモは1人ひとりの小さな声を届ける手段の一つだし,意思表示できる大切な場だ。私はこれからもデモへ参加するだろうし,デモへ参加している人たちを応援したいと心から思っている。それでも「いきすぎてしまうこと」を恐怖したり,表現の仕方に葛藤したりすることを書こうと思ったのには理由がある。

 「心揺れながらデモに参加している人が,ここにいるよ。」
 ということを伝えたいなと感じたからである。

 みんながみんな,そうではないと思う。多様な人の集まりなので,「打倒安倍政権」に向けて心をひとつに!という方もいらっしゃるだろう。でも逆に言えば,そうじゃない人も含みこんでいるのが雑多な人の集まりなのだ。#0317京都抗議デモでは,ミーハー心からしてみたかった念願の「コールに合わせて,アベヤメロ!」のシュプレヒコールができて満足だったが,じきに飽きてきた(ごめんなさい!)。その代わりに,沿道の人々にプラカードを見せてにこやかに「現政権のやり方に反対してます。総辞職を求めています。」とアピールするほうがなんとなくしっくりときた。帰宅してオット氏がムスメのプラカを見て「すごい!オモシロイ!」と褒めたたえながらも,「『ABE』なんて呼び捨てはどうかな。ちゃんと『さん』をつけとき。」とムスメに言った。そりゃそうだ,と思った。怒っている気持ちを「アベヤメロ!」のコールにのせて叫ぶのは気持ちよかったし,溜めていたものを吐き出した感じで「あー,スッキリ!!」と爽快感もあった。それくらい怒っていた(いる)し,それを素直に表現できるのは心身の健康にとってもいいものだと感じた。でもだんだんとモヤモヤしてくるのは,「許しがたいことをした人たちだけど,人のことを呼び捨てにするのはなんだか馴染まない」みたいな感覚が呼び覚まされてくるからだと思う。もちろんここで言いたいのは,「人のことを呼び捨てにしてはいけない。」なんていう規範ではない。そうではなくて,それぞれ生まれ育ってきた文化や価値観の中で「普段は守っている一線」みたいなものがあるわけで,そことの齟齬というかズレに居心地の悪さを感じてくるのもまた,簡単にスルーできない事実なのである。ただその一線というのは先ほどの例で言えば,「人をさんづけで呼ぶ・呼び捨てにする」という二者択一などではなく,状況に依存したグレーで幅のあるもの。「この私の今感じている怒りは,呼び捨てOKレベル!」の時もあれば,怒りがちょっと収まって「言いたいこと言ったし,まぁ『さん』づけしておくほうが気持ちにフィット」という時もある。それはもう,こうして言葉にするとはっきりとした区別があるように思えてしまうが,渦中にいる時は言語化できない,認識の手前の,言ってみれば身体感覚のようなものである。だから自分の気持ちと今している行為がぴったんこ合わさっている場合は気持ちがいいし,ちょっとずれてくるとモヤモヤする。デモに参加している間だって自分の気持ちは変化していくし,気持ちよかったりモヤモヤしたりを揺れ動くのは,たぶん当たり前のことなんだと思う。そして一番大事なことは,デモに参加している他者もまたきっと同じだろう,と想像することなんじゃないだろうか。

 だから「アベヤメロ!!」と叫んでいる人も,ただそこでプラカードを掲げている人も,「今その人が感じている気持ちを表現『しようとしている』」人なんだと思いたい。その表現は今この時点に凝固した「完成形」ではなく,揺れ動きながら変化していく「途上」のものなのだと。

 その観点から言えば,「アベヤメロ」なんて野蛮だとか,他者が個人の表現の仕方を批判するのはナンセンスである。それは「その人がそうとしか表現のしようのないくらい,今は怒っているのね。」ということで,自分や他者を傷つけたり人権を侵害するものでない限り「とやかく言われる筋合いのないこと」である。そしてそれは逆もしかりで,「そんなお上品に主張してる場合じゃない」などと仰る方にフィットする表現方法と,他者のそれとはまた違っていて当然なので「とやかく言われる筋合いのないこと」なのである。また「お上品に」今は表現している人が怒って「野蛮な」方法を選択する時もあろうし,「野蛮に」表現している人もじきに気持ちが落ち着いて「お上品な」方法で訴えるようになるかもしれない。さらに言えば,自分の気持ちとズレた表現をしつつモヤモヤしている人もいるし,「批判」とは別の形で—例えば,対抗軸となる人を応援するというような形で(※1)—表現することを望んで「その場(デモ)にいない」人だっている。

 まぁとにかく自分を含めて人は人の表現が気になるし,自分と違うそれについてモノ申したくなるものだけれども。

 人が表現しようとしていることについて,とやかく文句を言わない。
 自分の気持ちにフィットする方法をあれこれ探りながら,表現をしていく。

 という,一見簡単なことのようだけれども実は非常に難しい振る舞いを「デモ」は求めてくるのだということ。参加してみなければ,全然気づかなかったと思う。そしてそれは「デモ」についてだけ言えることではなくて,今の社会全体に本当は浸透していて欲しい作法だと私は思ったのだが果たしてどうだろう。きっと今の社会が窮屈で息苦しいのは,「表現しようとしていること」への敬意を,他者にも,そして自分自身にも払うことができないというところにあるんじゃないだろうか。

 初めてデモへ行ってきた経験をありのままに書いただけの「人生初のデモに行ってきた」という私のnote記事は,びっくりするほど瞬く間に拡散されて閲覧数が5000を超えた。SNSもnoteも普段ちんまりとしかしていないので,正直なところ初めのうち恐怖でしかなかった。どんなふうに読まれているかも分からないし,Twitterの通知やnoteの閲覧数を眺めてムスメといっしょに「こわっ」「やんな?」と言い合っていた。でもその内に「共感しました」という言葉を届けてくださる方々もあったり,デモに初めて行った者として取材を受けるなどもあり,今までは沈黙していた(せざるを得なかった)人々が声をあげたい,あげようと思っていること,そして恐る恐る声をあげてみるという経験がどんなものなのかということに,多くの人の関心が集まっているのではないかと感じた。そしてそのこと自体に,私もとても励まされる思いでいる。

 政治にしろ何にしろ,「おかしい!」と思ったら自分なりのやり方で声をあげることに不慣れなのは,私だけではないんだな。不慣れながらコミットして,自分の気持ちにフィットする表現方法を揺れ動きながら探っていったらいいんだ。そう思えた心強さといったら!

 「ASOさん,『有無』も読めないんやで。」とムスメに吹き込むことが果たしてよかったのか悪かったのか,「これはいじめラインちゃうか。」「いやでも,『有無』を読めない政治家,ということが表すなにがしかは批判していいだろう。」と自問自答して悶々モヤモヤ。そういうことを繰り返しながら—「いきすぎ」の失敗をして反省したりなんだりしながら—,表現することに慣れていったらいいのだと自分自身に対して思う。
 
 ムスメはプラカの3Aさんたちに「SAN」をつけた。そして今後は,大好きな韓国アイドルグループTwiceのダヒョンちゃんの絵に「やめて!やめて!」という吹き出しをつけて貼るんだそうである(※2)。なんだか楽しそうだ。

 のびやかに,自分に合ったやり方で表現する。

 それを互いに保障できる,そんな社会を作っていきたいから。

 揺れ動きながらデモに行っている人が,ここにもいるよ。

※1
政権を直接批判するのではなく,その対抗軸となる人を応援することを選ぶのであれば,4月8日投票の京都府知事選挙は絶好の意思表示の場になると私は思っています。関心のある方は,無所属で出馬表明された福山和人さんのSNSをフォローしてみてください。私も選挙の候補者の話を聞きにいくなど初めての経験でしたが,その時のことを「福山和人さんに会いにいった~京都府知事選挙に向けて~」に綴っています。

福山和人さんHP
http://www.fukuyamakazuhito.jp/
福山和人さんTwitter
https://twitter.com/kaz_fukuyama

※2
「TT」というヒット曲で,ダヒョンちゃんが怒った顔で「やめて!やめて!」と歌うのです。

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