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不安を御せなかった話2
気づくと、握りこぶしをぎゅっと握って歩いている。
全然スタスタ歩けるようになってからも、この状態が続いていた。別にいつもの歩きなれた道で、意識ではなーんにも思っとらんのに、「道中何があるか分からん」とばかりに、警戒心&緊張感マックスで歩いている模様。気づいたら握りこぶしをほどいて力を抜くんだけど、また勝手に拳は握られる。なんなん。
でもこれまた「気づいたら」、あんまり握りこぶしをしなくなっていた。それと同じ頃、私はオットーに喜びの報告をしていた。
「今日ね、自転車で(雨降ってたから)濡れて帰ってきたの!」
「なんで嬉しそうなの?」
「なんかさ、ちょっと自分(の身体)によくないことを出来るようになったんだよね。回復を実感する!!」
「・・・?今まで何でできなかったの?」
「いや、雨に濡れたりしてどうにかなっちゃったら嫌だなと思って。絶対折り畳み傘持ち歩いてた。」
回復するって元気が出るとかエネルギーが出てくるとか、そういうのもあるかもしらんけど、私は「ちょっと無理ができる」っていうところに回復を感じ取ったんだよね。たとえば夜も「早く寝なくちゃ」って23時頃までには必ずお布団に入っていたのが、ちょっとスプラトゥーンに熱中して1時間くらい遅くなる、みたいなことが負担を感じずに「できる」。身体によくないことをしたら明日(以降)の私に差しさわりが出るんじゃないかっていうことを気にせずに、明日(以降)の私を信じてちょっと無理しちゃえる。なんかそれがめちゃくちゃ嬉しくて、「私は!雨に濡れて!!帰れた!!!」ってガッツポーズしちゃった次第です。
こうして「回復」とは「自分への信頼を取り戻す」ことも含まれるんだなと改めて思ったんだけれども、不安ゲージがマックス振りきれていた頃は、信頼もなにも、まず「自分」が溶けて拡散しているような気がしていたものだった。「自分」と「他者」、「自分がいる今」や「過去」「未来」っていう時間、「事実」と「自分の考え」の境界線がゆるゆるになってしまって、それによるダメージがえげつなかった。たとえばSNSなんかで他者の不幸な出来事に触れてしまうと、これまでだったらいわば他人事として胸を痛めつつも流すことができたのに、突然自分の身に降りかかってくるような不安や恐怖を感じるようになってしまった。そのせいで、「自分の意図しないタイミングで意図しない情報がやってくるかもしれない」不安が高まり、しばらくSNSのタイムラインをみることができなくなってしまった。1月の能登半島沖地震も、あまりに胸がざわつくので、申し訳ないけれどSNSどころか家族にもお願いしてTVのニュースも見ないようにしていた。もうなんか、フィルター機能がぶっ壊れてしまって、全てが「我がこと」状態で入り込んで来てしまう、そのダメージを想像しただけで怖くなっていた。
そして時間の境界線がゆるむと(まだ起こってもない)未来を先取りしてしまうし、その未来も妙に妄想的なものだった。あまりに口の中の違和感がひどいので、もう私の歯は全部だめなんだ、この年で総入れ歯になってしまうかもしれない、って心配をしていたなんて、今振り返ると信じられないけれど、当時は本気でそう思っていた。(科学的・客観的な)事実と、不安からくる思い込みみたいなものとの区別があやふやになってしまって、合理的な思考ができなくなってしまっていたのだよね・・・とにかくこの頃やたらと眠くて、日中何か身体を動かしていないとすぐに眠ってしまいそうだったんだけど、こういう不合理な思考が常にせわしなく働いていて、脳のリソースを奪っていたんだろうな、と思う。前のnoteにも書いたけれども、自分で自分の考えることをコントロールできないんだから、眠って(意識をなくすことで)強制シャットダウン、からの休息が必要だったんだろうけど、日中寝てしまうと膝のリハビリ的によろしくない気がして、無理やり起きていた。これも今振り返ると、悪手すぎてやばい。
「不安」って、こうやってどんどこ境界線を溶かしていってしまうものなんだな。逆に言えば心身の健康って、境界線に守られているものなんだろう。
いったん溶けていった境界線、今はうすーい膜をはってくれているような気はする。それまでの間、家族が膜のかわりになって、直撃ダメージを防いでくれていた。「入れ歯になったらどうしよう」って言う私に、「たとえ入れ歯になっても大丈夫。」ってオットー氏はニコニコしながら返してくれた。「大丈夫なんかじゃない」とかゴネてたかもしれないけど(あんまり覚えてない)、オットー氏は終始一貫変わらない態度で、「なったらなったでしょうがない。」「その時はその時。」「どうなっても大丈夫。」って言い続けてくれた。そう言われると、確かにな、って思う私もいた。え、だって入れ歯になるんだったら入れ歯になるし、入れ歯になったところで入れ歯になるだけだし。心配しても未来は変わらんし、心配するような未来でもないかも?入れ歯くらいで大騒ぎしすぎやん、じぶん。
コントみたいって今は笑えるけど、この時は大真面目だったんだよな。
という話を書いていたら、ついさっき、「映像研には手を出すな!」の作者、大童澄瞳さんのこんなインタビュー記事がSNSに流れてきて、「これ!これ!!ちょうどこのこと話してる!!!」となったのでご紹介したい。
大童さんはご自身が発達障害であると分かった時に、もともとご家族にそれぞれ障害があったので、それほど不安にならなかったというお話をされた上で、このように言葉を続けられていた。
あした、もし自分の足がなくなっても、足がないなりの生活を知っている。足がない苦労も知っているし、足がなくても笑えるし、耳が聞こえなくなっても手話があるっていうことを知っている。障害があっても楽しめる事柄がたくさんあるということを知ってる。だからそこまで怖くない。
入れ歯になってもオットー氏と笑ってるだろうし、楽しいこといっぱいあるはず。だから大丈夫。
そんなこんなで退院して2カ月くらいは境界ガバガバだったが、そこから数カ月かけてうすい膜を再生中。いやほんとにもう、何度でも言うけど長い・・・
見守り、支えてくれたみなさんに、感謝しかない。本当にありがとうございました。
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