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ホイホイ戦略

 文字が頭から離れない。
またしても別の沼にハマってしまったからである。

 その名も「限界しりとり」。

 最近Quizknockが好きすぎて、オンラインゲームアプリにまで手を出してしまった。この「限界しりとり」というのは一言で言うと、ランダムに文字数指定されながらしりとりでバトルをするゲームである。たとえば「しりとり」という言葉のあとに「7文字」と指定されたら、「り」から始まる7文字、たとえば「リモートワーク」でつなげないといけない。しかも持ち時間が決まっていて(対戦は2分)、言葉を思いつかないとどんどん時間が減っていって焦る。いきなり「ぬ」の8文字だか7文字だかを指定されて、全く思いつかずに1問めで2分終了、ゲームオーバーになったこともある。そこで「ぬ」から始まる7文字なんてえげつないやろー!、と文句ブーブー言って終わればいいんだけど・・・

 悔しすぎて!!
「ぬ」から始まる7文字や8文字をえんえん脳内で探す地獄タイムが始まるんである。マジこれね、多分今この記事を読んでくれているあなたが想像しているより明らかに地獄ですから!「ぬ」用語なんて思いつかなくて、そのうちに「ぬ・・・あ(い、う、え、お・・)」とか五十音を組み合わせていく羽目になり、脳内を言葉が埋め尽くす。そんでもってようやく「ヌーヴェルバーグ!!」と歓喜するんだけど、そんなの瞬間ね。次に「ぎ」の8文字とか容赦なくやってきて、また脳内フル稼働・・・のくせに、対戦を繰り返していくと、絞り出した素敵ワードを忘れていって、「ぎゃーーー!!なんだっけ!???」なんてこともちょくちょくあり・・・はい、多分そう遠くないうちに頭や胃が痛みだして、「おかあさん、また封印しないといけないゲームが増えちゃうよ。」とムスメ氏が予言するような事態に陥ること間違いなしデス。そうやって封印された、テトリス・・・ドクターマリオ・・・残っているのは「あつ森(あつまれどうぶつの森)」だけなんだけど、離島ガチャがしたすぎてマイル獲得に強迫的になっているという(マイル旅行券ひとりで100枚くらい貯めてるの!端的にヤヴァイでしょ?しかも昨日離島ガチャして一晩でそれ全部溶かしてますから・・・ちゃちゃまるに会えずにジャックで手を打つことに。)、これまた「ばかなの!?」とセルフつっこみせざるを得ない状況・・・

 ・・・ゲーム向いてないんか?わたし。

 まぁとにかく、もともと「言葉」が好きだから「限界しりとり」はとっても楽しいんだけど、特性的にそこから離れがたくなり、寝ても覚めても「言葉」が気になって仕方がないという状況に。目にしているものの文字数をつい数えちゃうとか(先日もラクエストで子どもたちがマインクラフトをしているのをみて、ま・い・ん・く・ら・ふ・と!7文字じゃーん、とホクホク)、なんなら夢の中でも言葉探ししてるよね。こうなってくると四六時中言葉に溺れている状態になってつらみも増すわけで、楽しみが苦しみとセットという、なんだかわけが分からん状態なんですわ。

 難儀なもんです。

 と、前置きがすごく長くなってしまったんだけれども、こんなにも不完全な私が子育てという営みをしているんだから、色々とアレです。先週の記事「禁止とか我慢とか」は思いのほか多くの方に読んで頂いてとても嬉しく思っているのだけれども、(私が)子どもの意志を尊重するよき親、というふうに受け取られていないかとちょっと心配であります・・・たとえば「ゲームのことを口うるさく言わない」のは、「とてもじゃないけど、人のこと言えない」からでもあり、まぁなんというか、そこにあるのは「お互い節度を持ってがんばろーな!」という同士としてのつながりである。よくも悪くも、子どもに口うるさくならない一番のハックは「子どもと同じことをしてみる。楽しんでみる。」かもしれないなとは思う。・・・もちろん(親の/おとなの)無理にならなければ、の話である。

 そして私は、学校へ行かないというムスメの選択をそのまま受け入れたけれども、だからといって「勉強しなくていい」とも、「集団の中でやっていかなくていい」とも全く思っていない。というよりむしろ勉強に関してはたぶんこだわりを持って「すべき」だと思っているし、人との関わりの中で生活をしていって欲しいと願っている。ただその方法は「学校」に限定されるわけじゃないし、それがムスメ氏の求めている方法でないのだとしたら、茨の道になるかもしれないけれどオリジナルの方法を開拓していってくれよ、と伝えている。

 だから子どもが「イヤだ」と言っても、その気持ちはそのまま受け取りつつも(ああそっか、イヤなんだね、とは言う)、「じゃあしないでいいよ。」とはもちろんならない。たとえば勉強にしたって、基礎的な学力が将来の自分を支え、自分の頭で考える自由を手にすることにつながると信じているので、それは未来のあなたにとって必要なことですということは何度も伝えている。なんでもそうだけれども、「いま」の私が、「いま」の私よりも成長した「みらい」の私にとって必要なことを査定するなんてことは無理なのだから、子どもが「こんなこと何の意味があるの?必要ない。」と言ったとしても、「それはあとになってからでないと分からない。今のあなたには原理的にそれを判断することはできない。」一択だと思っている。「意味ない」と「やりたくない」を大人が混同してはいけないわけで、未来の子どもの可能性(そのことの意味)を信じ、今の「やりたくない」には方法や環境を整えるアプローチで誘惑するよりほかないと思っている。この振る舞いは、たとえば「予防接種」など健康に関わることには適用されやすいと思うのだけど(痛いからイヤだ!と子どもが言っても、あの手この手で接種する方法を探る)、勉強になると途端にブレてしまうように思う。でも私は身体的な健康と同じように基礎的な学力は必要だと思っているし、もちろん子どもさんの持っている力によってその目指す到達度は異なるにしても、それぞれが持ちうる可能性を追求できるといいなと思っている。

 そういう意味で私は非常に戦略的で、なかなかあざとい方である。たとえば「読書」ひとつとっても、non活字勢ホイホイをあちこちに置きまくる。私自身の揺るがない考えとして、「文章を読む力は今もこれからも非常に重要である。」ということと、「ただし文章から情報を得たい勢ばかりではない。」というものが同居している。なので「読書は大事だからするといいんだけど、ナチュラルボーン読書家以外に読書を強要しても意味がない。」というのが私の中での合理的な論理の帰結になるので、「本を読め。」なんて言い続けるとかはもちろん論外。そのかわりに、ムスメ氏が好みそうなものをせっせとブックオフオンラインで買って「こんなん買ってみたよー」とそこら辺に置いておく。ここで重要なのは、「ムスメ氏が好みそうなもの」を選ぶのであって、私自身のシュミや意向はでんと横に置いておくことである。「ムスメに読んでもらいたい(と私が勝手に思っている)本」じゃなくて、ムスメ氏の好みに合わせる。だから最近ブックオフで買ったのはラノベの代表格「ソードアートオンライン」。真の本好きからしたら邪道だと言われそうだけれども、私はそんなことを全く気にしない。まずもってまとまった文章を読む経験を積めること、文章から物語の世界を立ち上げることが大事だと思っているので、その入り口は(差別や暴力を助長するようなもの以外)なんだっていい。アニメやゲームの文化に馴染みのない私からみると、ラノベのいかにもな表紙なんかはちょっとビックリしてしまうんだけれども、ムスメ氏にとってはそれが物語に入っていく誘惑になるのである。実際に手に取ってみたら難しい言葉が並んでいるし、決して読みやすいとは思えないのだけれども、ムスメ氏は「面白いよ!2巻も欲しい!」と盛り上がり、自分でコミックの方も買ってきていた。ムスメ氏が面白いって言っているのだから、きっとそこには大きな魅力があるんだろう。彼女からまた私の知らない世界の魅力を教えてもらいたいと思っている。

 だからまぁ大人にできることっていうのは、「イヤでもやらせる=我慢する力をつけさせる」でも、「イヤなことはさせずに放っておく」でもなくて、「なんかいいもんあるぜー」って思ってもらえるようなホイホイをたくさん仕掛けることなんじゃないかなぁ。その引き出しは「教養」というものに支えられていると思うけど、小中学生の時の私が「勉強する意味」としてこんなことを想定できていたかといったらそりゃもう、できるわけがない。あとになってから「無駄だった」と思うこともたくさんあるかもしれないけれども、「やっておいてよかった」こともこんな想定外の形であったりする。「やっておいてよかった」ということを取りこぼさないためには、もしかしたら無駄になるかもしれないことも含めてやっておいた方がいい。学校というシステムはそれらをいい意味でも悪い意味でも強制する力を持っているのだということに、そこを離れてみて初めて気づいた。子どもの「やりたくない」とか「やる意味あるの?」を封じて、必要なことを粛々と進めていける環境はある意味ですごい。実際私だって、「勉強やりたくない?でもやるべきだ。」と信じて子どもに関わっているし、「意味」を先送りして今すべきことをしなくちゃいけないっていう主旨は学校と同じだしね。だけどそのような問いが立てられた時にそれをスルーすることができないし、やりたくないことを強制する力も持たない。その強制力なくして子どもの「イヤだ」「やりたくない」に変化をもたらすには・・・思わず飛びついちゃうホイホイ戦略しか正直ないんだよね・・・

 長くなりましたが。

 変化の激しい今の時代に、正直大人が子どもホイホイを仕掛けるって結構難しいことだとも思っている。だから大人も楽しみながら、子どもの見ている世界に触れられるといいんじゃないかな・・・というわけで、今更ながら「ポケモンGO」をスマホに入れているワタクシです。全然分かんないよ・・・子どもちゃんにレベルあげしてもらうだけだよ・・・でもポケモンてかわいいね。

※ちなみに写真は「ガリガリ君ソーダタピオカ」でーす。リポDタピオカ作って光らせたのが先週の写真で、今週は「ガリガリ君」も紫外線に当てると赤く光るという情報を入手してトライ!(ガリガリ君を地道に溶かしたんだよー)しかしUVランプでは弱すぎるのか、光らなかった・・・でも子どもちゃんが超さわやかでキレイな写真を撮ってくれたのですんごく嬉しい♪それにしても乾燥タピオカ茹でるのに2時間近くかかったよ・・

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