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小さなナイフが活躍する、車座の台所

料理に使う小さなナイフが、好きだ。
ペティナイフともパーリングナイフとも呼ばれる、万能の調理用ナイフだ。

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スーダンの台所、煮込みのための玉ねぎみじん切り

小さなナイフが活躍する台所

中東やアジアやアフリカ、ヨーロッパでもよく出会う(つまり東アジア以外の広域)。
小さいナイフをぐいぐいと器用に使って、まな板なしで何でも切る。じゃがいもなどの硬い野菜だけでなく、きゅうりのみじん切りも、よく熟れたトマトの角切りも、肉を切るのだって、空中でさっさとこなしてしまう。

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ブルガリアの台所、冷たいスープ用のきゅうりみじんぎり

なぜ私がこのナイフを好きかというと、みんなで一緒に料理できるからだ。

片手でナイフをあやつれると、まな板がいらない。まな板がいらないと調理台がいらなくなり、そうすると大勢で車座になって料理できる。狭い台所で横並びになる制約から解放され、みんなで顔を見ておしゃべりしながら料理できる。

これはインドネシアの台所で大鍋のお粥を作っている時の様子。このタイミングではナイフではなくナタなのだけれど、こうして車座で料理しながら何時間もおしゃべりしている。

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これはスーダンの台所で野菜の煮込みを作っているときの様子。この家の子と私が野菜を切っていたら、近所の子もやってきて、それからベッドに寝ていたお母さんも起き出してきた。台所の片隅に座りこみ、みんなで下ごしらえした。一人増えても二人増えても容易に輪に加われて、小ナイフの輪は包容力があるのだ。

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スーダンの台所。(台所って薄暗くて、動くナイフは陰影しかわからない...)

まな板はマスト?

日本の台所に慣れていると、調理には包丁とまな板が必須のように思うけど、実はなくても意外に困らない。

そもそもまな板を使うのは、中国韓国日本など東アジアの一部の国。食文化研究の第一人者石毛直道氏によると、まな板文化圏は箸文化圏と一致するという。氏の著書「世界の食事文化(ドメス出版)」より要点を抜粋すると、

- 西洋では食卓で各自が肉を切ったりと"料理する食べ方"になっているのに対し、東洋の箸文化圏は”すでに切ったものが出される"
- ヨーロッパでもチョッピングボードはあるがチーズや野菜用で一番大事な肉には使わない。一方日本は、一番大事な魚用のものをまな(=真魚)板と言う。
- インドなどの手食文化圏は切り刻むがまな板は使わず手や宙で切る。

なんとも興味深い違いだ。

まな板は誇らしい、でもまな板いらずのナイフ文化は好き。

まな板を使うと、和食の魚も肉も崩さずきれいに切れる。煮物の野菜も均一な形と大きさにきっちり切れるし、揚げたとんかつも箸で食べられるサイズに切れる。

そういう正確性、丁寧さ、心遣いはまな板の重要な価値だし文化として誇らしい。

でも、「イモひと切れが大きくても小さくてもだーいじょうぶ、それよりあんたほらここ来てガハハハ」のような大らかな車座が好きで、言葉交わさずともただそこにいさせてもらえる感じがうれしくて、まな板いらずのナイフ文化が好きなのだ。全然上手に切れないけど。

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