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咳はすべてを奪い尽くす

人が咳をしているときには話しかけないでほしい。

以前、仕事で読み合わせという、データが合っているか右と左で確認する作業をしていたときのことだ。そこには細かな数字が羅列されてある。
わたしは数日前からの咳がだんだんひどくなり、その日は絶不調でときおり連続して咳き込んだりしていた。

人が咳き込んでいる隣で、その人はデータを読み上げていく。
こちらはうんともすんとも言えない。咳して体が揺れるから目で細かい数字など追えるはずがないし、隣で発せられる言葉すら聞き取れない。何かを話しているなとは思うがすべては雑音として流れて行ってしまう。そこに仕事がまともにできていない申し訳なさなども混ざり合う。

「大丈夫?」
「(咳)」(首をふる)
「進めていい?」
「(咳)」(手の平手で「待って」のジェスチャーをする)
「聞くだけでいいから。おかしなところがあったら言って」
「(咳)」(聞き取れないんだってば)
「おかしいとこ、ないよね」
「(咳)」(あんたがおかしいよ)

あの時、この人は鬼じゃないかと思った。
こちらに向けていない顔半分をちらりと覗き込んだなら、きっと般若の面を付けていたに違いない。

苦しんでいる人の脇で話しかけたり、責任を伴う用事をするのは避けた方がいい。

咳というのはしている本人はその間苦しいが、周りで聞かされている人たちも間違いなく不快なはずなのだ。余計な音がない中で不健康な体内から吐き出される悪いものが、音付きで生み出されているのだ。
だから人前で咳をするということは、周囲に嫌な思いをさせていると思い恐縮するものなのだ。

音がしないのならまだ我慢のしようもあるかもしれない。
自分一人で苦しんでいる分には誰にも迷惑をかけない。
目に見えないもの、音として聞こえないもの、匂いとして嗅ぎ取れないものは他人には「無い」ものとされるから。


だから家の外ではなるべくなら咳をしないように心がけている。
その反面、家の中ではせめて一人のときには思い切り咳をしたい。誰に遠慮するでもなく思い切り吐き出してしまいたい。
喉の奥で何かがヒクヒクしていたり、虫がカサコソ歩き回っているようなくすぐったさというのは耐え難いものだ。

また、酸味のあるものやクッキーなどのポロポロしたものの欠片が喉の奥に張り付いた時の激しいむせもひどいものだ。まるでこの世の終わりのような苦しさに見舞われる。
胸は上下に強く波打ち、ゼイゼイと鳴く。立っておられずゆっくりと膝から崩れ落ち、涙とともに喉をドラムで鳴らす。
悪魔のような連続した咳に、体ごと乗っ取られた後のわたしからは魂が抜け出ている。
疲労困憊でどっと疲れが出る。
わたしの中の何かが死んだ。
体と心のどこかに欠けができたと思う。

激しい咳き込みのあとには、胸の中に穴が空いて、自分がどこか別の空間に放り込まれたような錯覚に陥る。トランス状態のようになっているのかもしれない。だからだろうか。家で思い切り咳ができることには快楽さえ覚える。

咳は体力を奪う。気持ちも萎えるがなにより体力そのものを奪ってしまう。
激しい力仕事をした後のようにぐったりとなってしまう。
あまり激しい咳き込みの後には額に汗さえ浮かぶ。

だから。
咳に苦しむ人の脇で細かい仕事の指示をしないでほしい。
大切な話をしないでほしい。
そんなとき、その人の半分は魂が抜けたようになっているから。
必要以上に注意力が賭けた状態になっているから。
少なくともわたしの場合はそうだから。

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